悪の定義(レティシア視点・回想)

 問われたレティシアは、考える。率直に感じたのは、スケールの大きさだった。

 これまでの日々は、苦痛に耐えるだけで精一杯だった。何かを考える余裕はなかった。悪を裁きたいと思ったことなど一度もなかった。


 オマールをはじめとする、カミラ教の人々には正義があるのだろう。だが、レティシアにはそれがない。そんな自分が、彼らとともに悪を裁くなど、許されることではない気がする。

 レティシアは、純粋にそう思った。


 だが、一方でこうも思う。

 世の中には悪がそんなにも多いものなのか。そして、悪はレティシアを苦しめた盗賊団と同じように誰かを苦しめているのか。


 だとしたら、それは受け入れがたかった。

 世の中がそうだとしたら、変えたい。あんな苦しみは、もう誰にも味わってほしくない。


 その思いは段々、膨らんでいく。

 気付けば、心は決まっていた。俯かせていた顔を上げ、レティシアは毅然と言い放つ。


「天使とか、そういうのはよく分かんない……けど、すごい力があたしにあって、それがみんなのためになるっていうんなら、使って……!」



   †



 それから、レティシアは天使が魔女戦争中に残したという書物の内容から、天術の扱い方を習得した。光の矢を放ったり、擬似的に作った翼で飛んだりすることができるようになる。

 レティシアには、本当に天使のチカラが宿っていたらしい。


 天術が自在に扱えるようになってからは、悪人の粛清に同行するようになった。死なない程度に相手を痛めつけることで心を折って、悪人を次々と改心させる。


 人を傷つけ、脅すような真似をすることはつらかった。しかし、対話による働きかけで悪人をやめるような者は悪人にならない──それがオマールの言い分であり、レティシアもそこには共感していた。だから、つらさは噛み潰していた。


 ただ、いつからだったか。レティシアはこんな疑問を抱くようになる──レティシアが甚振ってきた悪人は、本当に悪人なのか。


 そう思ったのには、二つ理由があった。


 一つは、悪人との会話に噛み合わなさを感じるときがあったこと。十分に会話ができたことはなかったが、レティシアが聞かされていた話と悪人が語っていた話に、内容の乖離が見られるときがあったのだ。


 そして、もう一つは感覚的な話になってしまうが、悪人らしいと思えない者もいたこと。佇まいや口調から感じる雰囲気に親しみが持てそうな者もいたのだ。


 疑問は、日に日に大きくなっていった。

 そんなとき、カミラ教本部の廊下を歩いていたレティシアは、会話するオマールと部下の姿を目にした。その部下は、レティシアが大聖堂の医務室で目覚めたあと、オマールと部屋に入ってきた二人のうちの一人だった。


「にしても、思い出しただけで笑ってしまいますよ」


「何の話でしょう?」


「レティシアに話した嘘についてですよ」


 嘘とは何か──疑問に思ったレティシアは隠れ、耳を傾ける。


「よくもあんな嘘をペラペラと。世に蔓延る悪に裁きを下したいだなんて。我々にそんなつもりはこれっぽっちもないのに」


「間違ってはいないでしょう。正義や悪などといったものは立場によって変わります。カミラ教の繁栄を妨げる者は、我々にとってみな悪ですよ」


「ははっ、聞こえよく話すのが本当にお上手な方だ。ようするに、我々の邪魔をする者はみんな力で黙らせてやりたい。ただ、それだけの話でしょう?」


「言葉は料理と同じですよ。綺麗な皿に載せられていたほうが、綺麗に盛り付けられていたほうが、不思議と味は良くなるというもの。せっかくならば、美味に感じたほうがよいでしょう」


「同意はしますよ。こちらが美味にする側ならね」


 笑い混じりの会話を聞きながら、レティシアは口を開きっぱなしにしていた。


「ただ、それだけじゃありません」


 オマールの部下が愉快げに続ける。


「盗賊団の件もだ。我々が渡していた、天使の細胞液を麻薬だなんて偽るとは……」


「多少、嘘が荒い自覚はありましたがね。ただ、ここは相手が子どもだったから助かりました」


「盗賊団の末路は実に滑稽でした。愚かな連中でしたよ。我々のような高貴な人間が、盗賊団などという下賎な人間に協力を持ち掛けるわけがないのに」


「同意ですが、その愚かさには感謝すべきでしょう。なぜなら、その愚かさによって人工天使計画は成功に至ることができた。我々は、レティシアという兵器を手に入れることができたのですから」


「……」


 レティシアは愕然としたまま、動けなくなっていた。


 つまりは、こういうことらしい。


 カミラ教は、人工天使計画なるものを企てていた。〈人工天使〉とは、魔女大戦で命を落とした天使の遺体から抽出した細胞を取り込ませ、天術を扱えるようになった人間だ。計画の進行は盗賊団に委託されており、唯一の成功例として生まれたのがレティシアだった。そのレティシアは、カミラ教にとって障害となる者を排除するために利用されてきた。レティシアが痛めつけてきたのは、決して悪人などではなかったのだ。


 レティシアは深い後悔に襲われる。そして、これまでの行いが罪であったことを認めた。これ以上、罪は重ねたくない。そのために、決断する。

 この直後、レティシアはカミラ教の本部から脱走した。

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