仮説の正否は

 まず、ヒメナとレティシアは騎士舎に寄る。そして、ヒメナが立てた仮説を検証するために必要となるものを持ち、念のために剣を帯びてから、サウロが囚われている監房へと向かった。


 監房は、半地下に設けられていた。天井近くの小窓から洩れる風を浴びながら、蝋燭の光を頼りに鉄格子に挟まれた廊下を進む。やがて、ベッドに腰掛けるサウロの姿が目に入った。こちらの来訪に気付いたか、サウロはやつれた顔を上げる。


「……ガルメンディアさんと、アンヘルさん?」


「夜分遅くにすみません。いくつかお尋ねしたいことがあり、伺いました。構いませんか?」


「えぇ、構いません。ただ、事件についてですか? それならほとんどお話しましたが……」


「いえ、大丈夫です。我々が尋ねたいのは、あなたがレルマにやってくる以前の話なので」


「レルマに来る以前の……?」


「はい」


 ヒメナは鉄格子に一歩近づき、質問を投げかける。


「確認させてください。あなたは魔女戦争後、転居をくり返していたという話でしたね。グラセスからエルダヴェインに移り、ノーレ、フェルモア、リリアムを経て、レルマにやってきた。これは間違いありませんか?」


「えぇ、それは……」


「では、こちらはいかがでしょう。すべての都市で人を襲い、食い殺した。間違いはありませんか?」


「それも、はい……」


「分かりました。では、その上でこちらを見ていただきたい」


 ヒメナは騎士舎から持参した、大きな紙を広げた。


「これは、あなたがかつて住んでいた小都市グラセスの地図です。いまから、人を襲った地点として憶えているところを指差していただけませんか?」


「はい、大丈夫ですが……」


 要求の意図が分からなかったのか、サウロは怪訝そうにしながらも手を掲げる。鉄格子の隙間から人差し指を出そうとした。しかし、その人差し指は途中で止まる。


「あ、れ……?」


 サウロは首を傾げた。


「思い、出せない……? あの、私だったらここやここを選ぶだろうというのはあるんです。けど、実際にその地点で襲った記憶がない。でも、人を食い殺したことは確かに憶えていて……あれ、どういうことだ……?」


 困惑気味のサウロを見ながら、ヒメナは目を細める。


「あなたがグラセスに住んでいたのは十年以上も前です。記憶が曖昧になっている可能性はなくもないでしょう。そのため、次はこちらを見ていただきたい」


 ヒメナは別の地図を取り出し、広げた。


「こちらは、あなたがレルマに来る直前に住んでいた都市リリアムの地図です。どうでしょう。こちらなら、さすがに憶えているのではないですか?」


「あぁ、こちらであれば……」


 サウロは人差し指をふたたび鉄格子から出し、地図のどこかを差そうとした。だが、今度も途中で指は止まってしまう。


「あれ、おかしい。こっちもだ……人を襲ったことは憶えているんです。でも、どこでやったかが思い出せない。あれ、なんだこれ……どういうことだ……?」


 隠したり、ごまかしたりするような雰囲気は感じられない。サウロは本当に混乱しているように見えた。

 近くに寄ってきたレティシアが、ヒメナに耳打ちをする。


「ヒメナちゃん、これって……」


 レティシアには、ヒメナが立てた仮説を事前に伝えていた。サウロの反応から、レティシアはその仮説が正しかったと判断したのだろう。ヒメナも同じ意見を持つ。


「あぁ、サウロは〝改憶魔術〟にかかっている」


 改憶魔術──それは、記憶への干渉を可能にする魔術だった。対象者が元々持っていた記憶を、ゼロから作り上げた記憶で上書きできる。


 強力な魔術だ。だが、完全でもないらしい。


 記憶をゼロから作り上げるというのは、一枚一枚絵を描いていくような感覚に似ているという。だとすれは、膨大な時間と労力がかかる。人の記憶を一分一秒、完璧かつ矛盾なく書き換えることなど不可能に近い。だからこそ、そこにはどうしても粗さが生まれる。その粗さゆえに生まれた違和感に、サウロは困惑していたのだろう。


 おそらく、この改憶魔術は人狼魔術とともにかけられた。そして、それらの魔術はサウロを犯人に仕立て上げるため施されたものに違いない。


 やはり、レルマにはもう一体人狼がいた。二月の初日、ダミアン襲撃と同日に起きたエマ・ニーニョ殺害はおそらく、その人狼によるものだ。

 そして、サウロが改憶魔術にかかっていた事実──それは、さらにまた別の事実を示す。


「このレルマには、魔女がいるっ……!」


 いささか信じられない。魔女は、みな火刑に処されたはず。魔女になるために必要な魔書を手に入れる術もない。にもかかわらず、なぜ魔女が存在している? 


「と、とにかくだ……」


 ヒメナは震える声で呟く。


「騎士舎に戻って、見たこと聞いたことすべてをありのままに話そう。その上で、指示を仰ぐんだ」


 踵を返し、ヒメナが監房を出ようとした、そのときだ。

 ひどく甲高い声を聞く。


『キヅク! キヅク!』


 ヒメは振り返り、捉えた。監房の壁に、青い縞模様の小さな蛇が這っている。その蛇が声を発していた。


『騎シキヅク! キン急ジタイ! キン急ジタイ! ヒツヨウ! 阻シヒツヨウ!』


 突如、異変が起こる。蛇の身体が膨張を始めたのだ。最終的に、その全長は二メートルを超えるほどまでになった。


 大蛇となったそれは蹴るようにして、壁を離れる。そして牙を剥きながら、レティシアへと突っ込んでいった。

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