対決

 追い払うように剣をふたたび振り、人狼を退かせてから、レティシアは叫ぶ。


「ヒメナちゃん、大丈夫っ⁉」


 ヒメナは茫然としていたが、数秒で我に返った。


「あぁ、なんとか無事だ……助かった」


「よかった。じゃあ、はいこれ」


 レティシアが手渡してきた剣を、ヒメナは受け取る。鎧は持ってきてもらえなかったようだが、それは仕方ないだろう。姿を消したヒメナを捜すため、レティシアはきっと身軽さを重視したのだ。


 ヒメナが剣を構えると、人狼はローブを脱いだ。こちらが騎士だと気付き、本気を出す決意を固めたということなのかもしれない。


 鼻先が尖った狼の頭を備え、隆起した筋肉と茶色の体毛に覆われた姿が露わになる。その姿を目にして、レティシアはぽかんと口を開いた。


「うわ、マジで狼が二本脚で立ってる感じなんだ。なんか不思議……」


 恐怖を抱いてなさそうなところは頼もしかったが、緊張感が乏しいことにはやはり危うさを覚えてしまう。


「気をつけろ。人狼は想定よりも強かった。やはり楽に倒せる相手じゃない」


「なるほどね。んじゃ、最初から全開で行こっか」


「手はず通りに攻めるぞ」


「おけ!」


 ヒメナとレティシアは同時に飛び出す。左からレティシアが、右からヒメナが人狼に迫っていった。


 敵よりも勝っている分野で押すことが、戦いでの定石だ。ヒメナもレティシアは力でも速さでも人狼には敵わない。しかし、手数でなら勝てる。レティシアとヒメナは両方向から怒涛のような勢いで斬擊を見舞っていった。


 さすがに人狼もこの連撃を防ぐことは困難だったようだ。注意がレティシアだけに向けられた、明確な隙が生まれる。これを見逃さず、突く。


「はああああっ!」


 ヒメナは剣を振りかぶり、人狼の胸板を斬りつけた。だが、ヒメナの剣はわずかにしか沈み込まない。血もわずかにしか飛び散らなかった。


「硬っ……!」


 人狼の筋肉は硬質化を遂げているとは聞いていた。だが、ここまでのものだったのか。


 唖然とするヒメナを、人狼は蹴飛ばそうとしてくる。

 引き戻した剣で防御することで、直撃はなんとか防いだ。しかし、衝撃は殺しきれない。ヒメナは撥ね飛ばされ、壁に背中を打ちつけてしまった。鈍い痛みが背中に走る。


「がはっ……」


「ヒメナちゃん!」


 よそ見をしたレティシアを、人狼が手の甲で薙ぎ払う。


「うあっ……」


 レティシアは、硬い石畳を転がっていった。手の甲が当たったのは胸当てだったため、威力は緩和されたはずだ。ただ、消失したわけでもない。うずくまるレティシアの口の端からは、一筋の血がつーっと流れていた。


 互いに致命傷ではない。だが、重い一撃を食らってしまったことは確かだ。ここからは、この傷を背負ったまま戦うことになる。分は悪くなるだろう。


 ヒメナは不安に包まれていった。

 勝てるのか。いや、そもそもが無謀だったのではないか。ヒメナもレティシアも未熟な新米騎士でしかない。人狼を倒すことなどできるわけがなかった。早すぎたのだ。


 ヒメナの眼差しは揺れる。

 だが、レティシアは違った。彼女の眼差しは、微塵も揺らぐ気配がない。


「負けらんないっしょ……」


 レティシアが立ち上がる。


「あいつ倒せなきゃ、また誰かが殺されちゃう。そんなの嫌……あたしはもう誰にも死んでほしくないっ!」


 決然と叫ぶレティシアを、ヒメナは丸くした目で見ていた。


 レティシアは剣を構え直し、突撃する。そして、短剣も用いながら人狼に何度も剣撃を浴びせていった。その剣捌きは相変わらず速く、巧い。それでも剣撃の圧といったところでは、ヒメナとともに挑んだときには及ばなかった。


 レティシアの攻勢を凌ぎきり、人狼はふたたび鋭い爪を突き出してくる。


 刹那、ヒメナの身体が反射的に動いた。

 地面を蹴りながら、ヒメナは気付く。なぜだろう。不安はいつの間にか消えていた。代わりに、滾るような戦意が心を満たしている。


 人狼とレティシアの間に割り込み、ヒメナは剣でもって爪を弾く。そのまま二、三度剣を薙ぎ、人狼を退かせた。


「ヒメナちゃん……」


 開きっぱなしの瞳で見つめてくるレティシアに、ヒメナは落ち着いた声で言う。


「単独で攻めるな。互いに一人で敵う相手ではない。敵うとしたら、二人の連携をもってしてだ」


 そして、その連携はどのような形が最善か。

 時間は少ないながらも頭を絞り、捻り出した作戦があった。レティシアに、その作戦を端的に伝える。


「──できそうか?」


「あたしはヨユー。むしろ、ムズいのはヒメナちゃんじゃん?」


「そこは努力しよう」


「おっけ。じゃ、二回戦と行こっか!」


 ふたたび、ヒメナとレティシアは突撃する。レティシアが左から、ヒメナが右から距離を詰めていくが、ここからが違った。


 追い剥ぎと争ったときのように、レティシアは壁蹴りで宙を舞う。それから、人狼がいる奥に着地した。そのレティシアとともに、ヒメナは人狼を挟撃する。

 人狼は見るからに戦いづらそうにしていた。このまま攻めれば押し勝てそうだったが、向こうもそれは受け入れないだろう。


 人狼はぐっと膝を曲げ、空へ跳躍する。それにより、この挟撃から脱出するつもりのようだ。

 しかし、それは読んでいる。


「当然、そう来るよな!」


 ヒメナは人狼よりも早く跳び、待ち受ける形で剣を振りかぶっていた。だが、直後に振り落とされた剣は爪によって受け止められる。そのまま、剣はヒメナの手前に押し返された。


 やはり、力では敵わないか。しかし、問題はない。これで人狼は空中で身動きが取れなくなった。


「アンヘル!」


「任せて!」


 レティシアは縦に身を一回転させ、遠心力を加えながら剣を振る。そのまま、踊るようにして斬擊を放ったのだった。

 その斬擊は命中する。人狼は、脇腹を横に裂かれた。


 脇腹は筋肉がつきづらく、斬りやすい部位だ。レティシアの一撃はしかと通り、鮮血が飛び散った。

 人狼は傾き、地面に倒れる。それから、身を縮ませていった。


 最後は、人間の姿へと戻る。頬が痩せこけ、カールがかかったショートの茶髪を持つ、四十代ほどの男へとなった。


 ヒメナは息を切らしながら近づく。そして、その男を見下ろしながら呟いた。


「これが、人狼の正体か……」

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