拭えない懐疑心

 ダミアンに事情聴取をしてから数日後の真夜中。

 ヒメナは腰から剣を外し、胸当てや脛当てなどの鎧を脱ぎ、一人でレルマの路地裏を歩いていた。


 騎士の仕事を終え、ガルメンディア家の屋敷に帰っているわけではない。いまも仕事の最中だ。人狼事件の捜査に当たっており、その一環としてレティシアが提案した方法を実践しているところだった。


 その方法の概要とはこうだ──真夜中の路地裏で一般人を装って歩く。つまりは、囮になって人狼を誘き寄せようという作戦だった。


 レティシアは屋根裏に身を潜めながら、ヒメナを見守っている。役割は時間ごとに交代する手はずとなっており、いまは決めたルートをヒメナが巡回する番だった。


 ただ、その番に当たっているヒメナの表情は重い。それは、胸にある疑わしさゆえだ。


「これで本当に人狼を誘き寄せられるのか……?」


 レティシアから猛烈に推されたこと、これまではヒメナが決めた方針に従ってもらっていたことから、作戦の決行には同意した。


 だが、冷静になってから思う。人狼もこの作戦にはさすがに引っ掛かってくれない気がした。


 時間の無駄だったという結論になることが怖い。そうなったときのためにせめて、ヒメナは歩きながら何か建設的なことを考えようとする。そして、ずっと頭に残っていた謎に焦点を当てることにした。


 どうして、人狼は途中でダミアンから手を引いたのか。


 一つ目の可能性としては、理性を取り戻したからというのがあるかもしれない。人を襲うなんてしたくない、人を食うなんてしたくない──といった感情が寸前で蘇ったという話は、ありえなくはないだろう。


 二つ目の可能性としては、途中で襲っている相手がダミアンだと気付いたからというのがある。つまりは、人狼がダミアンの知り合いであったパターンだ。もしそうであったとしたら、容疑者は数人にまで絞ることができる。


 他には、途中で満腹であることを自覚した、ダミアンが好みの味ではなかった、などの可能性が考えられる。だが、これらはいささか下らなすぎるか。


 ヒメナはふっと鼻を鳴らす。その直後、ふと違和感を覚えた。


 暗く狭い路地裏という点は同じだったが、目の前に広がる景色は見覚えのないものになっていた。頭上を仰いでも、レティシアの姿はどこにも見つからない。いつの間にか、巡回ルートから外れてしまっていたようだ。


「呆けていたな……」


 ヒメナは巡回ルートに戻ろうとした。踵を返し、来た道を早足で進む。

 そのとき、ふいに背中がひやりと冷たくなった。


 ヒメナは身を捻り、顔だけを後方に向ける。視線の先には、数秒前まではいなかった、フードつきのローブで全身を覆い隠した者が立っていた。


 ヒメナが硬直していると、その者の姿に異変が起きる。成長を早送りしたようにして、シルエットが一回り大きくなったのだ。そして月を隠していた雲がちょうど動いたことで、その者が正面から照らされる。姿がはっきりと捉えられるようになった。


 体毛に覆われた、尖った鼻。口の端で輝く、鋭い牙。袖から伸びた、鋭い爪。

 確信を得るには十分だった。愕然としたヒメナは呟く。


「嘘、だろ……?」 


 間違いない。目の前に立っているのは、人狼だった。


 俄には信じられない。人狼を本当に誘き寄せることができたらしい。レティシアの作戦は有効だったということか。

 とにかく、眼前の光景がすべてだ。信じられなくても信じるしかない。


 こうなったら、やるべきは人狼の無力化。人狼はヒメナを捕食するつもりだろうが、返り討ちにする。行動不能にしてから、身柄を拘束するのだ。


 しかし、それをいま成そうとするのは現実的ではなかった。両手剣がない。鎧で身を守っていない。何よりヒメナは単独だった。


 ヒメナは顔の向きを前に戻し、地面を蹴る。人狼を引きつけながら巡回ルートに戻り、レティシアとの合流を図ろうとしたのだ。


 全力で走りながら、こまめに背後を確認する。その何度目かの確認で、ヒメナははっとした。

 人狼が追いかけてきたのだが、そのスピードが尋常ではなかった。さながら馬のようだ。みるみるうちに距離が縮まり、ヒメナは追いつかれてしまう。


 瞬間、鼻を刺すような臭いが香った。嗅いだことのある臭いのような気もしたが、思い出せない。ひとまずは後回しにし、向けられていた爪の対処に動こうとした。


「くっ……」


 ヒメナは隠し持っていたナイフを取り出し、振り上げる。ナイフは人狼の爪を弾き、その軌道を逸らした。人狼の爪はヒメナの肉を抉り損ねたが、安堵するには早い。


 人狼はもう一方の腕を突き出してきた。ヒメナは短剣を操り、ふたたび爪を弾こうとする。しかし、その途中で手を滑らせる。短剣を落としてしまった。


「しまっ……」


 ヒメナは顔を絶望一色にする。今度こそ、爪がヒメナの肉を抉るかと思われた。


 だが、人狼はなぜか寸前で腕を引く。次の瞬間、人狼の腕が元々あった虚空を刃が斬った。ヒメナは脇に視線を飛ばす。そこには、剣を振り下ろした直後のレティシアがいた。

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