カミラ教

 人狼事件の捜査を担当することになって、数日が経つ。


「すみません、王下騎士団レルマ支部です。捜査にご協力いただきたい。話を伺ってもよろしいですか?」


 ヒメナは胸当て、腰当て、腕当て、脛当て、篭手、鉄靴を身に付けながら、事件現場近くの道で聞き込み調査を行っていた。


 呼び止めたのは、顔にそばかすが目立つ婦人だ。ヒメナは人狼事件の概要を話してから、何か知っていることはないかと訊く。だが、婦人から喜べるような答えは返ってこなかった。


「ごめんなさい。話せそうなことは……」


 またか、と思ってしまう。ヒメナが今日話しかけた市民の数は百を超えているが、ほとんどがこの婦人のような回答だった。


「んがぁー」


 不満や苛立ちが込められたような声を耳にする。

 振り向くと、猫背で両腕を垂れ下げながら、こちらに歩いてくるレティシアがいた。


 レティシアにも聞き込み調査を頼んでいた。ヒメナと同じく、レティシアも部分的に身を鎧で覆っている。その鎧を飾るものは何もなく、姿はありのままだ。それは、ヒメナが何時間もかけて説得し、レティシアに鎧をデコレーションすることを諦めさせたからこそある状態だった。


「首尾はどうだ?」


 訊くまでもなさそうだったが、それでも一応は訊く。


「ぜーんぜんダメ」


 レティシアは首を横に揺らした。やはり、有益な情報は得られなかったようだ。

 これだけ聞き込み調査をしても、何の手掛かりも掴めないとは思わなかった。人狼は上手くやっているようだ。

 ヒメナはくすんだ瞳で空を見上げる。そのとき、レティシアが声を放ってきた。


「てかさー、聞き込みした人からコレもらったんだけど」


 レティシアは、懐から小さな袋を取り出す。


「なんで? てゆか、コレそもそもなに?」


 渡されるまま、ヒメナはその袋を受け取った。

 まずは振ってみる。複数の何かがぶつかり、転がるような感覚があった。次に口紐を解き、手のひらの上で袋を逆さまにしてみる。すると、楕円形かつ緑色の実が何個か出てきた。


「これはオリーブの実だな。となると──」


 そこから、ヒメナは渡された理由を察する。


「おそらく、君の幸運を祈って、といったところだろう。というのも、その方はカミラ教徒だったんだ」


 カミラ教とは、人類を創造したという神カミラを崇拝する宗教だ。


 このカミラだが、決して空想の産物ではなく、実在する神だという。そう言い切れるのは、それを証明する過去があるからだ。

 人の前に姿を現し、直接的にその存在を示したときもある。神の御業としか思えない奇跡を起こし、間接的にその存在を示したときもあった。


 後者のほうで一つ、オリーブに関わるものがある。


「確か、カンタリス公国のほうだったか。ひどい干魃に見舞われていた時期があったそうだ。国民は苦しみ、嘆いていたが、そんなときにオリーブの森が突如として生まれたらしい。森の木々はすぐ実をつけ、その実から作られたオイルは土地を潤し、国民の命を救った。以降、オリーブはカミラ教の神木として崇められるようになったそうだ。ようするに、このオリーブはお守りとして渡されたわけで──」


 大陸一の教徒数を有するがゆえか、カミラ教に関しては騎士学校である程度学ばされた。学んだ知識の一部を引っ張り出しながら、ヒメナは語っていく。


 その途中で気付かされた。

 隣からいなくなっている。レティシアの姿が、いつの間にか消えていたのだ。


「は……?」


 ヒメナはぶんぶんと首を振り、探す。ややあって、すこし離れた道の脇にしゃがみこんでいるレティシアを見つけた。レティシアが向けた視線の先には、蛇がいる。


「ヒメナちゃん見て! ちっちゃい蛇いる! で、すごい模様! 青い縞々だよ! なんか毒とかありそうじゃない⁉」


 レティシアは子どものように無邪気な顔で、きゃっきゃと騒いでいた。


「……」


 ヒメナは静かに苛立つ。


 多少、話が長かったことは認めよう。だが、尋ねてきたのなら話は最後まで聞くべきではないか?

 無礼だ。集中力がない。だが、何よりも気になったのは緊張感のなさだった。

 きっと、それは志の低さから来るものだろう。


 剣術の腕があることは確かだ。しかし、逆に言うとそれだけ。騎士として持つべき正義や信念がないのにもかかわらず、レティシアは騎士になったのだ。ひょっとすると、遊び感覚に近いのかもしれない。


 ヒメナは腹立たしさを覚えつつ、げんなりする。


 この様子だと、こう判断せざるを得なかった──この事件が解決できるかどうかは、ヒメナに懸かっている。レティシアに何かを期待するのは避けるべきな気がした。期待するとしても、戦闘面ぐらいにしておいたほうがいいだろう。


 身にはすでに疲労感が募りつつあった。

 ヒメナは嘆息しながら、レティシアに近寄っていく。


「とにかく、捜査のやり方は変えたほうがよさそうだな」


「どする? キキコミチョーサやめる?」


 いっそ捜査の手法を変えるのも一つの手ではあった。しかし、ヒメナは早計だと感じる。


「話を聞くべきだが、まだ聞けていない者たちがいる。やめるのは、その者たちから話を聞いてからでもいいだろう」


「それって?」


「貧民街の人々だ」


 レルマの北東には、都市の九分の一ほどの面積を使って形成される貧民街があった。


 そこには文字通り、貧民──収入不足や教育機会の欠如などの理由から、生活水準が低い市民が住んでいる。よその都市や村からやってきて、市民権を得ないまま暮らしている流れ者もいるそうだった。


 エマ・ニーニョは平民街と貧民街を隔てる境界線となる道で殺されていた。よって平民街におらずとも、貧民街に目撃者がいるということはありえる。

 貧民街は治安が悪く、身の危険が想定されるため、騎士でさえも入ることを尻込みする者は多い。だが、手掛かりがそこにしかないなら身を投じるしかなかった。


 ヒメナは貧民街がある北東を向きながら、決意を固める。そして、その決意を声に込めたのだった。


「貧民街に向かうぞ」

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