別問題

「……」


 ヒメナは目線を下げ、押し黙った。


 やはり、新人騎士が受ける任務ではないという思いは消えない。任務失敗の先には死が待っているかもしれなかった。どう考えてもリスクが大きすぎる。だからこそ、恐怖があった。


 ただ、ハイリスクであると同時にハイリターンであることも確かだ。


 人狼の拘束に貢献できれば、ヒメナが騎士として踏み出すその一歩目は最高のものになる。なりたい自分に向かって、大きく前進することができそうだった。はたして、こんなチャンスを逃してもいいものか。段々、焦りが湧いてきた。


 だが、焦りだけではない。

 ヒメナは自覚する。胸には使命感も湧いてきていた。それは、イメルダが期待していると知ったから生まれた使命感だろう。ヒメナはその期待に応えたかった。


 その焦り、その使命感と向き合う。それから、心を決めたのだった。


「わかりました。人狼事件の捜査、謹んでお受けします」


 ヒメナは承諾の意を示す。すると、リカルドは安堵するような笑みを見せた。


「ありがとう。じゃ、レティシアからはもう早い段階で承諾もらってるし、ここからは彼女と連携を取りながら捜査を進めてほしい。ただ、昨夜の一件もある。さすがにちょっとは雪解けも必要でしょ。だから……入ってきていいよ」


 リカルドが倉庫の扉に目を遣る。その扉はややあって、ずずず、とおもむろに開いていった。そして見えたのは、金色の髪、特徴的かつ派手なワンピース──そこには、レティシアが立っていた。


 ヒメナはぽかんとする。リカルドとの話が終わるまで外で待っていたのか。


 レティシアは、ばつが悪そうに佇んでいる。しかし、ふいに意を決するようにして口を引き締めると、こちらにずんずんと進んできた。そして、圧に怯んでいたヒメナの目の前で止まる。


「──その、ごめんっ!」


 レティシアは勢いよく頭を下げた。


「昨日は早まって人狼だと勘違いしちゃった。剣も向けちゃって、怪我でもさせてたら取り返しつかなかった。マジありえない。ホント、ホントごめんね……」


 突然の謝罪に面食らう。ヒメナは思考が止まり、硬直してしまった。

 だが、ほどなく混じりけのない謝意が伝わってきて、その硬直は解ける。思考も正常に戻っていった。


 ヒメナ自身もレティシアとは、雪解けの会話が必要だと思っていた。その際に謝罪をされたら許すと決めていた。さらに、どんな言葉を返すかもなんとなく決めていたのだ。それを伝えられる形にしてから、ヒメナは伝える。


「顔を上げてくれ。もう怒ってない」


「え……」


 レティシアが口を開いたまま、視線を上に向ける。


「確かに早まり、わたしを犯人と決めつけ、剣を向けたことは省みてほしい。だが、間違わない人間などいない。間違いは学びに変えてくれれば、それでいい。そして、犯人を捕まえようとしたこと──それ自体になんら問題はない。だから、許す。昨夜のことは水に流そう」


 ヒメナはふっと笑む。レティシアは徐々に顔を明るくさせていった。


「よかったぁ~! あたし、ヒメナちゃんが許してくれなかったらどうしようって、心配で心配で……」


 レティシアの目尻には、うっすら涙が浮かんでいる。どうやら言葉だけではなく、本当にヒメナと仲直りできるかどうかが心配だったようだ。


「あっ、じゃあさ!」


 レティシアは右手を差し出してきた。握手を求められたのか。


「フクシブチョーから聞いてるとは思うけど、改めて! レティシア・アンヘルだよ。好きな色はピンク! 好きなお菓子はフラン!」


「ヒメナ・ガルメンディアだ。同期として、任務の相棒として、これからよろしく頼む」


 ヒメナは籠手越しで握手に応じる。そのまま、二人は笑い合ったのだった。


 しかし、レティシアはやがて笑みを消し、段々と顔を険しくさせていった。

 まぁ、そうなるのも無理はない。なぜなら、ヒメナがいつまで経っても握る手の力を緩めなかったからだ。


「あ、の……ヒメナ、ちゃん……?」


 口の端をぴくぴくとさせるレティシアに、ヒメナは笑顔を向けたままでいる。


「昨夜の件は許す。許すが、それとは別で……これは一体なんだ?」


 ヒメナはふっと笑みを消し、握手をしたまま、レティシアの腕を軽く上げた。

 すると薄暗い倉庫の中であるにもかかわらず、レティシアの腕当てがキラリと輝く。その輝きは、腕当てそのものというより、腕当てに張り付けられたによるものが大きかっただろう。


 レティシアの腕当ては、縁取るようにしてピンク色の小さな石が並べられていた。さらに、蝶をデザインした薄い真鍮がアクセントとなるようにして肘近くに貼られていたのである。


 これらの存在には覚えがあった。騎士学校時代に、同級生の会話を盗み聞きして知った。

 最近、王都をはじめとした大都市で〝ぎゃる〟という人種が生まれつつあるらしい。これらは、そのぎゃるが好むものだったはずだ。


「あ、これ? 可愛いっしょ! このちょうちょ、最後までハートとどっちにするかで悩んだんだけど、やっぱ験担ぎって大事だよね! ちょうちょみたく羽ばたいていきたい~みたいなさ。腕当てとか膝当てとかも同じモチーフでデコるつもり!」


「おい、ちょっと待て……」


 ヒメナは思わず、戦慄してしまった。なんて恐ろしいことを考えていたのか。


「君が着ている鎧は騎士団からの貸与品だ。君のものではないし、だからこそ、君が勝手に彩っていいものではない」


「え~、返すときには外すって。だったらよくない?」


「よくないし、それ以外にも問題はある。それは歴戦の諸先輩方が身に付けていた鎧だ。尊厳、情熱、正義などが詰まっている。それらを、君が飾るそれは馬鹿にすることになりかねない」


「天国の先輩が怒るってこと? そうなるとは言い切れないじゃん。むしろ、感謝されるかもしれないよ? ぎゃわいい~! ワシが使ってた鎧デコってくれてありがと~! みたいな感じでさ」


「されるか! その発言がすでに諸先輩方を馬鹿にしてるぞ!」


「え~、可愛いのはみんな好きだと思うけどな~」


「それは君の思い込みだし、なんならもっと問題は挙げられるぞ。そんなことをしたらすこぶる目立ってしまう。戦闘になったら集中攻撃されかねない」


「いや、それ囮としてマジ優秀じゃない? 不意打ちとか、やりたい放題っしょ」


「囮に使うとしても、程度というものがある! 目立ちすぎれば、意図を勘繰られることになりかねなくて──」


 武器庫が喧噪に包まれていく。ヒメナとレティシアは、ぎゃんぎゃんと言い争い続けていた。

 そんな二人を、リカルドはひどく心配げに見つめている。


「大丈夫……大丈夫だよ、ね……?」


 リカルドが自問するように溢したその声は、ひどく揺れていた。

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