志を立てて
シュッ、シュッ、と空気を裂く音が響いていた。
「四十六、四十七、四十八……」
数字が順番にカウントされる。ヒメナはガルメンディア家の屋敷に帰ってから、中庭で剣の素振りをしていた。
これは、日課の鍛錬だ。騎士を本格的に目指し始めたころから、この鍛錬は一日たりとも怠ったことはない。
ヒメナはこの鍛錬の時間が好きだった。考え事をするのに最適だったからだ。剣を振っていると、頭と心がすっきりしていくような感覚がある。
今日もヒメナは、思考に耽っていった。
いよいよ、ヒメナは明日から騎士になる。ついにこの時が来たかという思いがあった。
学んできたことを生かせる機会がやっと訪れたのだ。だからこそ、昂揚はある。
しかし、不安もあった。それはヒメナが持っている、ガルメンディアの名を背負っているという自覚から来るものだろう。
ガルメンディア家は古くから続く、名門の騎士家系だ。バルレラ王国樹立時は初代王の指揮下で活躍を見せ、最近では魔女戦争において立派な功績を残したらしい。
ゆえに、権威や名声がある。ガルメンディアの名を持つヒメナが下手を打てば、その権威や名声に傷がつくことがあるのだ。
さらに言うと、ヒメナはガルメンディア家の次代当主になることが決定している。そのため、ヒメナ個人の評価はより家の評価に反映されやすい。
だからこそ、なおさら下手は打てなかった。いや、下手を打たないだけでもダメだ。何年後か何十年後か、ヒメナはガルメンディア家の内外どちらからも安心して当主を任せられる人間になっていなければならない。そのためには立派な功績をいくつも立て、みなの模範となれるような騎士となっていなければいけなかった。
はたして、なれるか。正直に言うと、自信はなかった。
だが、その弱気を振り払うようにして、ヒメナは首を大きく振る。
騎士学校時代はすこしずつ、着実に前へ進むことによって、目標に到達することができた。地道に学び、鍛えることで、首席の座を掴むことができたのだ。レルマ支部でも同じようにすれば、きっと大丈夫だ。
──ガルメンディアの名に恥じぬ騎士になる。
イメルダを脳裏に思い浮かべながら、ヒメナは決意を新たにしたのだった。
そこで、カウントしていた数字がちょうど百に達する。
ヒメナは汗を拭ってから、剣を鞘に収めた。そろそろ時刻が日を跨ごうとする頃だろう。明日は着任式で早い。もう床に就いたほうがよさそうだ。
ヒメナは踵を返し、屋敷に戻ろうとした。戸の取っ手に触れる。
夜空に野太い悲鳴が響いたのは、そのときだった。
「これ、は……?」
ヒメナは眉をひそめた。男性の悲鳴だろうか。一体、何が起きた? 追い剥ぎか通り魔にでも襲われたのだろうか。
焦燥と正義感が湧く。襲われた男性を助けなければ。凶漢を捕らえなければ。
ヒメナは、衝動に包まれていった。
しかし、躊躇も覚える。
誰かが襲われているのだとしたら、その者を助けるのは騎士の役目だ。ヒメナが騎士になるのは、厳密には明日から。いまは騎士ではない。ここで何かしようとするのは出過ぎた真似になりかねなかった。
ただ、一方でこうも思う。ここで傍観者に徹して、襲われた男性が命を落としでもしたらどうか。ヒメナが駆けつけていれば、助けることができた命だったとしたらどうか。
確信があった。ヒメナはきっと後悔する。だとすれば、取るべき行動は一つ。
ヒメナは地面を蹴る。そして屋敷を通って外に飛び出し、悲鳴が聞こえてきたほうへと向かっていった。
†
悲鳴は、ガルメンディア家の屋敷から見て、西の方向から聞こえてきた。
そこから大まかに場所の当てをつけ、路地裏を中心に捜索する。路地裏なのは、深夜とは言え、目立つ大通りで凶漢が人を襲ったとは考えにくかったからだ。
視界はすこぶる悪かったため、捜索は難航する。そんななか、ふと錆びた鉄のような臭いを嗅ぎ取った。その臭いが強くなるほうへ進んでいくと、道を塞ぐようにして横たわる何かがあった。
あれは人で間違いない。さらに言うなら、被害者。つまりは遅かったということか。
猫が忍び寄るようにして、ヒメナは近づいていく。何歩か進んだところで、被害者の姿はしっかりと捉えられるようになった。
瞬間、はっとする。剥き出しの瞳は瞳孔が開いていた。胸は上下していない。やはり、被害者はすでに息絶えていたようだ。
しかし、息絶えていたからはっとしたわけではない。
身体には、夥しい数の傷があった。それも、鋭い爪で引っ掻かれたようなものや、尖った牙で噛み千切られたようなものばかり。まさに異様としか言いようがなかった。
ヒメナは吐き気を催し、とっさに口を押さえる。
これはなんだ? どうやったらこんな殺し方になる? 犯人はどんな凶器を持っていた? ヒメナが困惑と混乱に囚われているときだった。
夜空から声が降ってくる。
「あっ、まだいた……」
ヒメナは反射的に天を仰いだ。
三階建ての赤い瓦屋根に、女が一人、月明かりに照らされながら立っている。
腰ほどまで伸びた、稲穂のような金髪を持った女だった。その女は、胸元が肌を見せるためか菱形にくり抜かれていたり、スカート部分が上から別生地を被せてあったり、デザインが特徴的かつ派手なワンピースを着ている。
腰から提げた、二振りの剣も目に入った。バルレラ王国において、帯剣は騎士にしか認められていない。つまり、女は騎士なのか。
女は跳躍した。石壁の出っ張りや窓の窪みなどに手を掛け、落下の勢いを削ぎながら着地。体勢を整えたのち、尖った眼差しを向けてくる。
「こんなに早く犯人見つけられるとは思ってなかったけど……ここで会ったが最後、覚悟してっ!」
「犯、人……?」
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