レギュラー
ぽんぽん丸
本当は松本君になりたかった
親愛なる西川君は私のために気絶する。
期末テストの日に私は車に轢かれてしまって遅刻すると、なぜか生活指導の先生は私に激怒した。進級が出来なくなるのだと、テスト中の教室に今から入ってはみんなの迷惑になると、怒鳴った。今でもよくわからないのだけどとにかく先生は怒鳴った。
どうしていいかわからなくなると心の中の西川君がフグゥーと唸って気絶する。
デュデュビデュバデュビ
「はい、はい、はいはいはい」
デュデュビデュバデュビが心に響けば、はい、はい、と返事をするしかない。
いつからだろうか。入試の時も、ディスカッションの時も、就活の時も、告白する時もいつだって西川君は私の代わりに気絶する。そしたらデュデュビデュバデュビで走り出す。ヒーロー・イズ・カミング。
同じリズムの型の決まった対応ですべてうまくいく。全部あるあるだって構わない。この世はあるあるで出来ている。逆だ。あるあるはこの世で出来ている。私は松本君のあるあるを3種類くらいしか知らない。テレビでそれくらいしか見たことないし、テレビ以外では見たことがない。だけど今でも地方営業で良い暮らしをしているらしい。人生はそれでいいんだ。
いつからだろう。西川君に気絶してほしくて、人が嫌がる仕事を率先してやるようになったのは。デュデュビデュバデュビで走り出す。そのために生き始めた。アイ・アム・デュデュビデュバデュビ・ジャンキー。
クレーマーと仲良くなった。気難しい上司と飲みに行くようになった。自ら志願して会社の隠匿を世の中に説明し頭を下げた。私はあるある探検していたら偉くなった。すべて西川君のおかげ。
でも本当はえらい会社員なんかじゃなくて松本君になりたかった。
実は数々販売をしていながら、なぜ自宅にジャグジーが必要なのか今になっても良くわかっていない。お金持ちはゆっくりジャグジーなんか浸からない。そもそも健康な素肌の目に見えない角質が落ちたとしてどうだと言うのだろうか。私はきちんと目に見えないって言っているのにみんな喜んでいる。わざわざ私に写真付きで感謝のメールが届く。だから目に見えないって言っているのに。
異業種かつ他社製品の実際のところはわからないのだけど、肌の角質はきっと石鹸で時間をかけて優しく取り除くのが一番だと思う。なので皮膚に問題を抱えて、薬剤にも過敏な反応を示してしまいお湯で清潔を保たなければいけない人に届けたい。だけどそんな人はお金持ちじゃなくてジャグジーを買ってくれない。
私は取締役会でそんな方に商品への提供を進言する。
フグゥー!!西川君が気絶して
デュデュビデュバデュビ、はい、はい、はいはいはい
「慈善的な側面は理解できるし、君の人柄も知っているから胸は撃たれたのだけど、コストに対して利益が見合ってないから承認はできないよ。すまないね」
ヒーロー・イズ・デッド。
[西川君、ごめん。あるあるでない提案は通らなかった。]
私を大切にしてくれる暖かな否定が頭の中で反響する。役員の皆さまが座っている本革のソファーはコストに見合っているのだろうか。その椅子がいくらするのか私は知っている。我々が囲む一枚板の見事な木目の机は利益を生んでいるのだろうか。珍しい木目の一枚板は、役員が最後までゴネた通勤中に轢かれてケガをした新入社員の労災費用より高い。
ふつふつと私は沸き上がるのだけど、震える肩をそっと西川君が抑えてくれる。本当は肩に手を置くのは松本君の役割なのだけど、15年も一緒にいるとこうして西川君が私を止めてくれる。
少し離れて26度の角度に背骨はまっすぐのまま腰を曲げて、西川君は私の肩に両手を添えているのである。なぜだか申し訳なさそうな顔をして。
[西川君、君は悪くないよ。悪いのは僕だ。]
「大丈夫かい?」
取締役の声がすると私の瞳にだけ映る西川君は霧散して、その向こうの窓の外、綺麗な夜景だけが目に映る。ここはオフィスビルの14階。車に轢かれて突っ伏した学校近くの交差点と同じ規格で引かれた縞々がずっと足元で小さく見える。赤信号で人が止まって、青信号で進んでいたから、私は嫌になって空を見ようと目線を上げる。するとこのビルよりもずっと高い建物が立っている。ずいぶん高いところまで来たのに、まだ上がある。私の居場所は一体何階なのだろうか。
「失礼しました。大丈夫です。慈善的な活動は初めてでして、自我に傾き過ぎてしまったようでお恥ずかしいです。役員の皆さまのお時間頂き誠にありがとうございます」
お客様にそうするようにまた嘘を付く。私は、松本君になれなかった。最近は西川くんに申し訳なさそうな顔をさせてばかりだ。
私は疲れていた。そんな時に彼女に出会った。
つづく
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