kyame

間城信

第1話 金木犀の香

この物語は、僕が出会った探偵…キャナル=ビムジーの話である。

彼女をどう語ればいいか分からないが。

例え生涯を賭けようとも、この探偵の根本的な根を理解するには足りないと自分自身でとっくに理解していた。

だが私が気付いていなかっただけで、とっくにその部分を避け出していたのかもしれない。



   三十年前  日露戦争  

塹壕の中の仲間はどれほど死んだのだろう?

最後に数えたのは10人だったのかもしれない、銃剣の縁には乱雑に10本の傷がつけられ隠す様に返り血が掛かっていた。

何発もの発砲の所為か右耳の鼓膜は破れ、全ての音がくぐもった様にマットレス越しに聞こえた気がする。


『ガルド大尉!大尉!?』


キーンという強い耳鳴りの後に、横から聞き覚えのある顔が現れた。

救護兵であるルイス・マックマン氏が日本軍の塹壕に銃を向けた私の前で、青白い顔でしゃがみ込んでいる。

その直後にターンと音がし、一つの弾丸が遠くで二人の敵兵を貫くのが見えた。


「状況は?」


『殆ど壊滅状態に追い込まれています。もう手の内様が』


「だが希望が潰えた訳じゃない、諦めず策を練り続けよう」


そう返すと、声の主は唇を噛み締めて無言で頷く。


「生き延びて、家に帰るんだろ?」


『ガル』


「伏せろ!!」


そんな会話を交わしていた時に突然怒号が飛んできた、咄嗟に塹壕の影に隠れた直後、背後で弾着した音と衝撃が伝わってくる。

もう少し恐ければどうなっていたかと、ほんの少し身震いをした。

しかしそれに続く様に、次は空から砲弾の雨が降ってくる。


頭上から待ち構える様にに来た砲弾を避けようとしたが、この狭い塹壕の中では逃げ道が無い。

両横には既に息絶えた兵士達が道を塞ぎ逃げ道を塞いでしまっていたので、何処に逃げようとも動けないのは確かだ。


『大尉!』


もう駄目かと思われた時、マックマンの行動により僕は横に押し出された。

此方側に引き摺り込もうとしたが、気付いた時には目の前が真っ白になっていた。


『ホ…キン』


もう充分だ、少しだけでも休ませてくれ。

何度もそう嘆きながら名を呼ぶ声を拒絶しようとする自分に気付く。


「ホスキンスさん、大丈夫?」


その声に顔を上げると、其処には仲間の死体の山は無かった。

其処には診察室の真っ白の壁と、担当医であるジェリー・キャサリンが在った。

もう終わったのかと安堵し、眉根を指で強く摘む。


「その様子だと、あまり良く眠れてないようね」


「寝れてる」


唸りながら不機嫌そうに答えると、キャサリンは顔を顰める。


「もう一度言うわよ。本当に寝れてるのかしら?」


そんな彼女の珍しい瞳、セントラルヘテノクミアの見透かされる様な鋭い目線に、無意識に後退りし苦虫を噛み潰したような顔で重々しく口を開いた。


「実はと言う、あまり寝れてないんだ」


「でしょうね」


その言葉を最後に診察室が沈黙で満たされる。


「誰かと共に棲むという考えはどう?」


それから5分経ってから、彼女はそう口にした。



「一緒に棲むって、つまりルームシェア?」


僕の呆けた声に、キャサリンは大きく頷く。


「実は誰かと生活する事で、精神病が改善された前例があるの。孤独を感じやすい人の生活が一変した事も稀にある」


「人によっては違うじゃないか。悪い意味でも影響を齎す」


「否定はしないわ」


そう溢すキャサリンは一個のメモ用紙を取り出し、素早く何かを書き始めた。


「忙しければ、自分でさが」


「私のオススメよ。此処に行ってみて」


断ろうと思った時、先程書かれたであろうメモ用紙を突き出された。


『コヴェント・ガーデンの241B』


「面白い人がいるの、勿論良い意味で」


「行ってみようかな」


「100%当たりくじだと思うわ、自信を持って」


以上が、僕が今馬車に乗っている理由である。


質の良い生地の椅子は、まるで包み込まれている様な安心感があった。

油断すれば寝てしまいそうなぐらい…


窓越しに外を眺めれば舞台や美術館などが消えていき、住宅街へと入っていっている。


「着いたよ、お客さん」


睡魔と戦っていると、不意に運転手にそう投げ掛けられた。


「お代は3ガロンだ」


「はい」


そう言って手渡すと、小さなコインは大きなふっくらとした手の中に消えていった。


男に会釈をしてからスムーズに車内から出ると、凝った装飾の扉が僕を待っていた。


凝ったと言っても、黒い扉に住所を表す番号に、手摺に大きな鷲の像があった。

住居者の趣味と言った所か…


気迫されながらも、その扉を数回ノックする。


「連絡したホスキンスです。ご在宅でしょうか?」


そう問い掛けるが、返事が返ってくる様子は無い。

不審に思ってノブを回せば、あっさりと家は客を招いた。


「不用心だな…」


少しの不安を持ちながらも、室内から扉を閉める。


そんな気持ちを満たしていた僕の元に、ケーキの甘い匂いが漂ってくる。


それを辿ってみるとキッチンには1人の老婦人の姿があった。

手元にあるのは、リンゴパイだろうか?


「こんにちは」


「あら!ホスキンスさんよね?」


パイを運んでいた婦人は、僕に気付いてからミトンを嵌めたまま机にパイを置き、此方に駆け寄ってきた。


「此方でルームシェアを募集していると聞きまして、担当医から教えてもらった番号でアポを」


事の所載を説明している最中、婦人はニコニコと笑みを浮かべ始めた。


「何か?」


少し小首を傾げると、婦人ははっと息を飲んだ。


「良い人そうで良かったわ。じゃないと彼女とは…」


「女性が相手なのですか!?」


思わず目を見開くと、婦人を目を見開いた。


「あらごめんなさい、もしかして女性が苦手だったりする?」


「いえ、そのような事はないのですが」


そう否定しながら慌てふためく僕に、婦人は小首を傾げている。


「そういうの気にしない人だから大丈夫。危機感が低いのよ」


女性が気遣わしげに上を見ていると、パタパタとスリッパで駆けてくる音が聞こえてきた。


「婦人。おはよう!」


「もうお昼ですよ…噂をすればなんとやらね」


婦人は小さな声でそう付け加えた。


黒髪の七三分けのニュアンスパーマに、鷲の様に尖った鼻と顎から賢さを感じた男は、僕の真横に現れた。


先程まで話の話題であっただろう人物の登場に、初対面で失礼だろうが思わず疑視してしまった。



「タルト・タタンを焼かれた様ですね?甘い物は糖尿病の原因だ」


その鋭い言葉に、婦人はバツが悪そうな顔をする。


「必要なのよ、人生は長いんだから」


婦人の言葉に、男は苦笑した。

低声だが、その声には凛とした部分も感じられる。


その様子を微笑ましく思っていると、射る様な翡翠色の瞳が僕へと移された。


「君は、日露戦争帰りの軍人」


「え」


何故この人物は知っているのだろうか?困惑した声がすり抜けた。


「ビムジーさん。まずご挨拶」


婦人の言葉に僕も我に返り、ビムジーと呼ばれた人物の石化も解ける。


「失敬。私はキャナル=ビムジーだ。好きに呼んでくれ」


「ガルド=ホスキンスと言います。宜しく」


そう言って握手を交わそうとした時、ビムジーの態勢が崩れて僕の方へと倒れてきた。


慌てて、その身体をキャッチする。


よくよく顔を見てみれば、その目元には薄い隈が出来ていた。


「夜まで事件現場に居たからね」


「事件って?」


そう小首を傾げていた時、再び家の扉が開いた。


扉を開けた人物…一人のスーツの男が、駆けながら此方に来た。


「ビムジー!新たな事件だ」


男の言葉に、ビムジーは勢いよく僕から離れた。


「いざ現場へ!」


今にも飛び出しそうなビムジーの首根っこを掴み、僕は後ろへと戻した。


「その前にやる事があるんじゃないか。睡眠とか」


「車内で寝る!準備してくる。待っていてくれ」


まるで遠足に行く子供の様に、ビムジーは上へと戻っていった。


呆れながら男へと目線を移すと、当の本人は此方を舐める様に見ていた。


「あの、何か気になる事でも?」


「どういう関係なんだ?」


「同居人ですよ」


男の質問にそう返し、自分と同居する人物について関心を募らせた。




僕らは数十分後、ビムジーが呼んだ黒塗りのタクシーに乗り込んだ。



タクシーが現場へと向かう為に走り出した時に、先程から思っていた謎の正体を聞く事にした。


「一つ聞きたいんだが、どうして日露戦争帰りだと見抜いたんだい?」


そう問うと、窓を眺めていたビムジーの目線が僕に注がれる。


「先ほど歩く音を聞いた時に、右側に体重が掛かる癖があるのに気付いた。ロシア製の落ちきれない弾薬の匂いがしたので、落ちきれない匂いを残す程の場所に長時間いた筈だ、だから、狙撃兵をしていた日露戦争帰りだと思った」


その言葉に、目を大きく見開いた。


「それだけじゃない、君が銃で右の鼓膜がやられていたのに気付いたのは、ただの狙撃兵であれば、全員耳が使い者にならなくなっていた筈だ、だからきっと予想外の何かが戦場で起きたからだと思った。例えば、被弾しそうになって、仲間に庇われたとか」


その言葉に少し顔を顰めた、自分が丸裸にされた様な気分だ。


「そして、右腕に縫合された後がある。右手に医者独特のコブがあるので、野戦病院に居たんだろう」


「見事な推理だ」


ぶっきらぼうにそう言えば、ビムジーの溜息が聞こえてきた。


「生き残ったのには何かしらの理由があるんだ、君は悪くない」


「そう受け止められる程に、僕は強くないんだ」


そう言うと、ビムジーが鼻歌を歌い始めた。


「何の歌だい?」


「シューベルト 名曲2 交響曲第7番 の【未完成】一番好きな曲だ」



   ベルグレービア通りの一宅  



「参ったもんだな、こんなパーティで死体が出るとは…」


男はそう言って、手前にいる探偵の背を見つめた。


「犯人は楽しでいるに違いない」


「何故、そう言い切れるんだい?」


その声に、男の目線は隣の紳士に向いた。


その言葉に返答する事無く、探偵の注意は目の前の遺体へと向けられる。


「確実に一撃で殺すのならば、頸動脈を切り裂けばいい。私ならそうする


その言葉に、室内の空気が凍り付く。


手前にいる男性三人と、一人の女性の顔は真っ青に染め上げらえていた。


「では、この中に愉快犯が居るという事か」


黒髭を口に生やした紳士…ガルド=ホスキンスは、そう溢して顎に触れた。


「一つ付け加えるとすれば、犯人は周りの反応など期待してはいない。ただ自分が満足すればそれでいい」


「そんな酷い事、此処に居る人達がする訳ありません」


そう言った右端の女性に、探偵はあっという間に距離を詰めた。


「言っておくが、これは突飛な犯行じゃない。確実に計画的なものだ」


「どうしてそう言い切れるの?」


困惑した様にそういう女性から、探偵は、ゆっくりと離れていった。


「アークス警部補。ハンカチをお借りしても?」


「あぁ


そう言って手渡された、美しい刺繍の施されたハンカチを受け取ると、それを遺体の口に躊躇いなく突っ込んだ。


「ちょ」


思わず手を出そうとした紳士を、探偵は無視し、男の顔にハンカチを突き出した。


少し驚きながら、紳士は鼻を近づける。


「この匂い…クロロホルムか」


「犯人が、白ワインに混ぜたものだ」


「こんな目立つ場所で」


「ヒントはある。この空間にある匂いだ?」


その言葉に、部屋に居る人間は周囲を嗅ぎ始めた。


「この匂いは、金木犀かしら?」


先程の女性が、はっとしてそう言った。


「貴方の香水ですか?」


紳士の言葉に、女性は首を振る。


「彼女は除外だ、犯人じゃない」


その探偵の言葉に、俺は一歩踏み出した。


「男が好む匂いじゃないだろう」


「だが、被害者の好きな匂いではある」


俺は少し眉間に皺を寄せてから、少し溜息を吐いた。


「庭に金木犀があったが…」


「それ程好きだったんだ。犯人はその事を知っていて、金木犀の匂いを纏ったという事だ。怪しまれる可能性は考えていなかったんだろう」


「その匂いに夢中になっている時に、酒に毒を入れた」


探偵の言葉を続ける様に、隣の紳士がそう溢す。


「大量の泡を吹いている。余程、周囲の反応を楽しんで」


「違う!!周囲なんて関係ない!」


突然の怒号に顔を上げると、正面にいる男の顔が真っ赤に染め上げられていた。


「なら、貴方の自己満足の為か?」


「そうだ」


今度は落ち着いた声でそう言った男は、目の前の探偵を見つめた。


「捕まる覚悟は出来ていたんだ。此奴が死にさえすれば、結果がどうであれ得もある」


「得とは?」


「お前にはっ、関係ない!!」


そう言った男は、下に落ちている証拠品…ワイン瓶を探偵に向けて投げつけた。


だがそれは、投げつけられそうになったビムジーが軽々とキャッチされる。


その様子を眺めていた俺は、男…パーキスの手首を強く掴み、その手首に手錠を掛けた。


「殺人罪、公務執行妨害で逮捕する。詳しい事は署で」


未だ動揺する男を引き摺りながら、俺は現場を後にした。


 



「何故、彼が犯人だと思ったんだ」


何故だか憤然とした態度の男に首を捻ってから、私は口を開く。


「彼の一人息子は亡くなり、資産が渡るとしたら彼らだからだ。その中で、金木犀を使って惹きつけた彼が一番怪しかった」


「素晴らしい推理だったよ」


その賞賛は、男の顔に似つかないものだった、


「何を怒っているんだ?」


拍子抜けした様子で首を傾げていると、男は素早く私の頬に平手打ちを喰らわせた。


「馬鹿野郎、もっと警戒しないか!ヘタをすれば死んでいたんだぞ」


「事件が解決したんだ。何ら問題はないだろ」


拗ねた様に視線を逸らすと、男が万力な力で抱擁してきた。


「もうしないでくれ」


男が憔悴しながら肩を竦めているのを見ながら、私は少し口角を上げる。


「なら、その生き急ぎ野郎を見張らないといけないよな?」


そう挑戦的に返せば、男は困惑した表情で私の身体から拘束を解く。


「そうなるな」


全く反省の顔色が伺えない様子に諦めた様に、男はがっくりと肩を落とした。


「そういえば、君の仕事はなんだい?私立探偵か何かなのか」


少し疲れた男を前に、私は少し口を開く。


「キャナル=ビムジー。諮問探偵さ」  





帰り際のタクシーの中は、重苦しい空気に満たされていた。


「ビムジー」


そう声を掛けるが、向かい合う様に座る人物は外の景色から目を離さない。


「殴って悪かったよ」


そう謝罪すれば、ビムジーが此方を向いた。


「私もすまなかった。その」


言葉に詰まった様子のビムジーに、思わず苦笑してしまった。


「何が可笑しい?」


「仲直り出来て良かったなと」


そう返せば、ビムジーは拗ねた様に目線を逸らす。


1時間程その様子を見ていると、タクシーがコヴェント・ガーデンの241Bに止まった。


外に出た直後、コートのポケットが激しく振動した。


その様子を伺っていたビムジーは、何も無かった様に家へと入っていった。


「おい、ビム」


追いかけ様と尻を上げた時、再び強いバイブ音が響く。


少し舌打ちをしてから、端末の画面を確認した。


『そのまま馬車に乗れ』


「どういう」


それを理解しようと考え始めた寸前、首の後ろに痛みが走る。

意識を失う前に目前を走ったのは、小さな稲妻の曲線だった。


どうやら、スタンガンでやれたみたいだ。

後ろ隠れていた事に、気付く暇も無かった。


最後に聞こえたのは、馬車の小さな走破音だけだった。





次に意識が覚醒し始めた時には、視界は暗闇に包まれていた。


全身は痺れ切っており、身体の自由が効かない。


暫くそうしていると、目元が布で拘束されているのに気付いた。

とは言え、その状況を打破する方法は未だに無い事も事実。


「外せ」


そのバリトンボイスを合図に、目の前の拘束が解かれた。


しかし、今のしょぼしょぼ目では男の顔もぼやけてしまう。


「誰だ」


「言うなれば、英国政府そのものだ」


視界がクリアになってきた為。男の顔や姿もハッキリしてきた。


男は細身で、恐らくは40代程だろうか?品の良いブラックスーツを見に纏い、本革の黒革靴を履いていた。

そして、左手で傘を立てていた。


「知っているかもしれないが。キャナル=ビムジー」


「諮問探偵だそうだ」


そう変えれば、男は苦笑した。


「多いに貢献してくれている。変わり者だが唯一無二の存在だよ、私にとってもな」


「その探偵の事で話したいと見える。こうやって拘束したのも」


「そうだ」


男は頷く事もせず、淡々とそう返した。


「彼女は善意や悪意なく引き寄せる力がある。だからこそ、付き合うのは止めておいた方が良い。君には荷が重いだろう」


「事件現場では、第三者には変な目で見られていたな。小さな問題ではないけれど」


「変?この世は変人で溢れている。だからこそ成り立つ」


男の言葉に間違いが無い事は、話していて十分理解出来た。


「失敬。君はそういう類ではない様だ」


僕を舐める様に観察した男は、僕の方へと向かって歩いてきた。


「どういう関係なんだ、彼女と?」


「敵意や悪意を向けられた事は無い。それは確かだ」


「成程」


僕は男の言葉に大きく頷いて、首を回して周囲を確認した。


「十分気をつける事だ。周りに」


少し小首を傾げた男は、僕の背後に目線を向けた。


その目を追おうとするが、親指の結束バンドの拘束が効いている様で、背中を見る事が出来ない。


「さぁ、帰る時間だ」


男のその一言により、再び視界が遮られた。




   コヴェント・ガーデン241B 2階 


家に戻ってくると、時計は深夜2時を回っていた。


睡魔で虚ろになりながらキッチンへ向かっていくと、薬の調合の様なゴポゴポという音が聞こえてきた。


キッチン内を見渡すと、同居人と巨大な実験セットがあった。

それこそ、映画に出てくる様な物…


フラスコを掲げた同居人は、私の存在に気付き、此方に顔を向けた。


「あぁおかえり、ホスキンス君」


「ガルドで良いよ」


「そうか」


困った様な笑みでそう言うと、ビムジーの空返事が返ってきた。


僕の帰宅を確認したビムジーは、再び、フラスコへと注意を向けた。


「もしかして、連れ去られでもしたか?」


「知っていたのか」


破顔した僕に対して、ビムジーは冷静に頷く。


「日頃から狙われる事が多いんだよ。こればかりは仕方が無い事だが」


「探偵なら、よくあるような事じゃないか」


ピカピカに磨かれた流しで手を洗い、隣のコーヒーメーカーを片手に、カップを注ぎながらそう返すと、背後で、ビムジーの笑い声が聞こえた。


「昔、警察からインターンが来た事があってね」


「刑事の?」


「新人刑事だ」


「どうして…」


「何か学べる事があると思ったんだろうな。結局、途中で根を上げたが」


くるりと踊る様に振り返り、ビムジーは楽しげにそう言った。


「それより、今作ってるのは…」


「睡眠薬」


あまりの驚きに、一瞬カップを落としそうになった。


「いつから飲んでるんだ」


「毎日だよ。寝付きが悪くてね」


小首を傾げるビムジーの背中を、空いた手で軽く小突く。


「酒で眠るよりは良いが、薬中になるのが心配だよ」


「…善処しよう」


調合は終わった様で、ビムジーは、フラスコをシンクに投げ捨てた。


「後で洗っておくよ」


「ありがとう」


自室へ戻ろうとしたビムジーは、気遣う様な表情で振り向いた。


「暫く眠れそうにないからね」


「睡眠薬を試すといい」


ビムジーの言葉に、軽く首を振った。


「出来るだけ、薬には頼りたくないんだ。嫌いでね」


「『医者ほど厄介な患者はいない』よく言うものだ」


「全くだね」


そうやって会話を終えたビムジーは、再び、部屋への扉を開けようとした時。


何かがふと頭に蘇ったので、慌ててビムジーの右手を掴んだ。


「僕を連れ去った相手だけど」


「顔を確認したか?」


寝ぼけた様な声に、真剣な表情で首を横に振った。


「政府に」


その返しに、ビムジーは両手を擦り合わせた。


「戦地から君は戻って来たばかりだし、確たる証拠や確信もない。…相変わらず、政府の遣り方は要領を得ないな」


ビムジーは鋭く警戒するような光を帯びた目で床を眺めた後に、寝室に静かに消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る