急襲

 アーヴェントからやや離れた、葦が生い茂る低湿地を歩く。


「ホント、懲りないわね……」


 ティアナは月光に照らされながら、顔に疲労を滲ませていた。


 なぜ、ティアナは悄然としているのか。話は数時間前まで遡る。


 ティアナは仮眠を取っていた。夜──すなわち現在──に、亡魔討伐を控えていたからだ。

 その仮眠中、事件は起きた。例の子どもたちが、ふたたび襲撃を仕掛けてきたのである。


 勝負はいつでも受けて立つつもりだった。奇襲も許している。だが、睡眠の邪魔だけは勘弁してほしかった。十分に休めなかったか、身体がひどく重い。


 今後も同じことが続くなら、こちらも何か対策を講じる必要がある。

 どうしたものか。口から大きな溜息が洩れる。


 その直後だった。ふと抱いた違和感から、ティアナは足を止める。


 低湿地に訪れてから、決して短くない時間が経過している。にもかかわらず、一向に亡魔と遭遇する気配がないのだ。これは不自然だった。


 ティアナは黙考したのち、こう判断する。


「空振りね……」


 人間は亡魔のせいで、死と隣り合わせの生活を強いられている。常に怯え、常に心が張り詰めていたのだ。だから動物を亡魔と見間違い、風音を亡魔の呻き声だと聞き間違うことは少なくない。精神を病んだ者は幻覚を見ることもあるだろう。そのため、空振りは珍しいことでもなかった。


 しかし、にしても最近は空振りが増えている気もする。


 いや、違うか。そもそも、依頼数が減っている。だから、割合的に空振りが増えたように感じられたのだ。そして依頼が減少していたとしたら、それは憂慮すべき事態だった。


 ティアナは、亡魔討伐を生業とする放浪人である。亡魔がいるなら、掃討することで巣に利益を生め、食事や寝床を分け与えてもらえる。だが、亡魔がいなければ単なる役立たずだ。巣に留まることも許されないだろう。


 潮時か。別の巣に移るべきか。


 だが、アーヴェント近隣の巣に移動する意味はない。ほとんどが訪れたあとだったからだ。亡魔が少なくなり、依頼が減って、巣を発つ決断をするという流れを、ティアナは周辺にある巣の大半で経験していた。

 だから今回はもっと遠方へ、巣の捜索もふくめた長旅をする必要があった。


 長旅になるなら、食料や寝具などはしっかり揃えたい。

 だが、そこまで考えた瞬間に不安がよぎった。はたして揃えられるか。


 ティアナは腰に下げた袋を確認する。袋には手持ちの資金すべてが入っていた。金貨二枚に、銀貨五枚に、銅貨三枚──お世辞にも潤沢とは言えない。長旅に臨む資金としては物足りなさすぎた。


 さて、どうする。ティアナが腕を組み、眉間に皺を寄せたときだった。

 ガサリ、と音が聞こえる。ティアナは目を開き、振り返った。


「──っ⁉」


 背後にある、葦の茂みが揺れていた。風は吹いていない。ならば亡魔か。依頼は空振りではなかったのか。

 すでに亡魔から標的として狙われている? 、警戒は怠れない。


 ティアナは剣を鞘から抜き、前方に構えた。


 ふたたび、茂みが揺れる。

 次の瞬間、巨大な影が茂みから飛び出してきた。剣の腹で防御をしながら、ティアナははっとする。


「なっ──」


 筋肉質の体躯、紺青色の毛並み。それは狼だった。

 突進が防がれたことを悟るなり、狼は茂みに戻る。葦が断続的に揺れていた。ティアナを襲うタイミングを窺い直しているようだ。


 ティアナは呼吸を整える。


 人間だけではない。亡魔化は、鳥獣にも起こりうる現象だ。ただ衝突の一瞬を思い出す限り、狼に亡魔化の徴候は見られなかった。

 狼は腹を満たす肉を求め、襲撃してきたということか。


 ティアナは状況を理解しながら、両脚を広げた。

 敵に隙を生み、剣を突き入れる──それは、何が相手でも変わらない。


 神経を研ぎ澄ませる。そして、ザッ、ザッ、ザッと茂みが揺れる音が、ふいに聞こえなくなった一瞬を捉えた。

 直後、狼が脇から飛び出してくる。剥き出しになった牙は、ティアナの喉笛を狙っていた。


 ティアナは身を捩ることで半回転。仰け反るようにして、その突進を躱した。そのまま狼の腹を捉え、剣の柄で狼の下顎を殴打する。

 狼は唾液を吐き、投げ出されるような形で地面に転がった。


 ティアナはすっと息を吸う。


「──霊放ベフライウィング


 刹那、全身から仄白い霊気が滲んだ。


 ツヴァイク大陸には、古来から伝わる思想がある。

 それは、人間がガイスト肉体コロッセリーに分けられるというものだ。


 霊は神と結びつく性質を有している。だが肉体という物質的な牢獄に幽閉され、本来の性質を発揮できずにいた。そんな霊を肉体から解放することで神性を宿し、神との交信で神性を変容させ、人身にはなしえない技を会得する──それを〝魔術〟と呼んだ。


フェオハガルベオークラドオセル


 神との交信を実現する言葉がある。それが、ルーンだ。

 全二十四種あるルーンを特定の順で唱えることで、霊を解放した人間は、灼熱の炎や神速の雷など、あらゆる超自然的力を扱えるようになった。


 ただし、ティアナが使う魔術は一つだけ。


「──〈一断一殺アイン・シュレイク・アイン・トゥーテン〉ッ‼」


 その魔術はシンプルだった。腕や脚、爪や髪でも構わない。身体の一部を切り離すことで、その断面から死の毒を巡らせ、命を絶つ。それがティアナの魔術──〈一断一殺〉だった。


 霊気が揺らぎ、流れ、変容する。それが身に馴染んだことを確認しから、ティアナは地面を勢いよく蹴った。疾駆しながら、うずくまる狼へ容赦なく斬りかかろうとする。


 制止の声が飛んできたのは、そのときだった。


「そこまでだ」

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