第4話 五年の空白

「電子レンジってのは良い物だよな。冷めた料理を温めるだけじゃなく、色々なモードがあって多種多様に使えるんだからな。まぁ、アタシは温めしか使った事ないけど」




 そう言って時雨ちゃんは缶ビールを三本テーブルに置いた。時雨ちゃんの家にあるテーブルは足が低ければ面も狭く、それを囲んで座るとなると、ほぼ密着状態になってしまう。こうも近いと、気まずい雰囲気が更に悪化するというものだ。




 あの後、私達はとりあえず時雨ちゃんの家に行き、時雨ちゃんがせっかくなので三人で飲もうと提案してきた。多分、時雨ちゃんなりの仲直りの機会を作ったんだと思う。




 しかし、時雨ちゃんは私達を仲直りさせる為のキッカケを与えるでもなく、一人で先にビールを飲み始めた。そんな時雨ちゃんを私と胡桃ちゃんは呆然と見つめ、ふと気になって互いに目が合うと、すぐに時雨ちゃんに視線を戻した。      




「……ふぅ。全然美味くないや。こんな不味いビールは初めてだよ」




「アンタ、何が目的なのさ」




「ん? そりゃ、せっかく霞が戻って来たんだから、祝いに三人で酒でも飲もうと思ってさ。それなのにお前ら、いつまでもジメジメとしてさ。酒も不味くなるわけだよ……ふぅ」




「不味いのに何で飲み続けてるの?」




「酒カスだからだよ」




「誰がカスじゃ! アタシはさ! 毎日毎日汗水たらして仕事してんの! 酒でも飲まなきゃやってられんのよ! あ、無くなった」




「それじゃあ、私のあげる。私お酒飲めないから」




「私もあげるよ。飲む気分じゃない」




 時雨ちゃんにお酒を渡す時、胡桃ちゃんの手が私の指と触れてしまった。本心とは裏腹に手を引っ込んでいく。それを逃がすまいと胡桃ちゃんが私の手首を掴み、ゆっくりと自分の方へと寄せていく。私は抵抗するはずもなく、胡桃ちゃんの方へ行く自分の手を目で追っていくと、やがて待ち構えていた胡桃ちゃんの顔に視点が留まった。




 胡桃ちゃんの表情には僅かに怒りが残っているが、憎悪というよりも呆れからくる怒りのようだ。




「……五年越しよ」




「え?」




「五年前、私が掴もうとしても掴めなかった手を、私は今掴んでる。なのに、全然嬉しくない。むしろ悲しい気分になる。私達は必死だったのに、アンタは何食わぬ顔で私達の前にいる。それが気に食わないの」




「……ごめん」




「別に謝らなくていいよ。謝ったって、気持ちが晴れるわけじゃないから」




「いい加減許してやれよ。過去は水に流すって言葉があんだろ? まぁ、今は酒で流してるんだけどな! アッハッハッハ!」




「時雨ちゃん、酔ってるの?」




「こいつ酒が好きなくせに下戸なのよ。今はうるさいけど、すぐ静かになるわ」




「ばーっか! 今日は静かになりまっせーん……んん……」




 まばたきをしたり、目を擦ったり、眉を吊り上げたりと、見るからに時雨ちゃんは限界寸前だった。飲めない私が言うのもなんだけど、凄く弱い。ビールじゃなく、もっと度数が高いお酒だとどうなるのか少し気になってしまう。




「……ねぇ、霞。アンタは一体今まで何処で何をしてたのさ。どうして誰にも何も言わずに出ていったの?」




「えっと……言うけど、笑ってね?」




「笑わな―――え? 笑ってほしいの?」




「だって怒るかもだし……」




「笑わないし、怒らないよ。この酔っ払いの言葉を借りるなら、理由を聞いてから水に流してあげる。別にアンタの事は今も嫌いじゃないし、私だってアンタと関係を修復したいんだもの」




「そっか……うん、分かった! じゃあ、言うね!」




「はい、どうぞ」




「洋画に出てた女優さんと会う為にアメリカに行った!」     




 私が言い終えた瞬間、テーブルが宙を舞った。視界外で鈍い音と共に時雨ちゃんの情けない声が聞こえてきた。




 時雨ちゃんの容態を確認しようと首を動かそうとした矢先、胡桃ちゃんが私の頬を両手で挟んで自分の方へと引き寄せた。鼻の先がくっつく至近距離まで引き寄せられ、怒りの炎を宿した胡桃ちゃんの瞳だけが視界に映る。




 唇に柔らかい感触を覚えた。多分、胡桃ちゃんにキスをされたんだ。何でキスされたのか、何故キスをしたのか。理由を考える暇も無く、胡桃ちゃんは唇を押し付けてきて、遂には私の口の中に舌を捻じ込んできた。私を押し倒して尚、胡桃ちゃんは私の唇を離そうとしない。




 どれくらい経っただろう。正確な時間は分からないけれど、ようやく離れた胡桃ちゃんは息を荒々しくしていた。その唇からは、私か胡桃ちゃんの涎が一筋垂れていた。




「ハァ、ハァ、ハァ……! どうして、キス、したの……!?」




「あんまりにも、くだらない理由だったから……! イラッときて、つい……!」




「そんな理由で!? 今の、私のファーストキスだったんだよ!?」




「え……そ、そう、だったんだ……へぇ、私が初めてか……フフ」




 中学の頃、何かの本で妖艶という言葉を知った。意味をよく分かっていなかったけど、きっと今の胡桃ちゃんの様子こそが妖艶なのだろう。




「フフフ! アッハハハ! 見てたかしら時雨! 霞の初めてを奪ったのはアンタじゃなく、この私よ!」




「ァァ……」




「……頭から血流してる」




「え!? だ、大丈夫なの!?」




「馬鹿だから大丈夫でしょ。それより、霞。私と友達に戻りたいよね?」




「それは、そうだけど……なんで顔近付けてくるの?」




「五年よ。私の人生には五年の空白がある。アンタの所為なんだから、アンタでその空白を埋めさせて」




 さっきの強引なキスとは違い、今度は優しいキスだった。私の腕を這う胡桃ちゃんの手が手の平にまで来ると、決して離れぬように手を絡ませてきた。私の頭の中はまるでチョコのように甘く蕩け、火が灯るロウソクのように徐々に意識が溶けていった。

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