伝説の魔法使いの技術を再現したら王国を揺るがす百合の花が開いた
代官坂のぞむ
第1章 異端の魔法使い
第1話 初めての講義
王宮の裏側にある中庭は、春らしい陽気でポカポカと暖かかった。きれいに整備されている厩舎にそっと近づき、昔からよく知る厩役に声をかける。
「ベン、鞍を付けてある子いる? ちょっと借りるわよ」
「えっ! ヒラリス王女殿下! お待ち下さい! 王妃殿下から、従者もなしに馬を出すのは禁じられております」
「気にしない、気にしない。知らない間に盗まれたってことにしといて」
「姫様!」
ベンの抗議は聞き流しながら、鞍を乗せた白馬のスタークを見つけ、手綱を柵から外す。この子は、素直で乗りやすい子だからちようどいい。
鎧に足を乗せ、ひらりと上にまたがると、スタークはぶるるっと顔を震わせた。
「久しぶりね、スターク。行くわよ」
持って来た乗馬用のムチを軽く当てると、白馬は勢いよく厩舎を飛び出した。
「姫様ー! 誰か、誰か、姫様をお止めください!」
ベンの叫び声を後ろに残し、宮殿の裏門に向かって、森の横の石畳の道を軽快に駆け抜け降りて行く。
国王陛下が政治を行う宮廷や、私たち王族が住む王宮の建物が、広大な森の中に立ち並ぶ宮殿は、ここカラレヌム王国の王都の小高い丘の上にある。城壁で囲まれた宮殿の裏門にはいつも、近衛兵の見張りと、いざという時に出撃する騎兵隊が駐屯していた。王宮の建物を出るのは何でもないけれど、裏門を出るには門を開けてもらわないといけない。
「衛兵さーん! おつかれさまです! ちょっと散歩に出るので、門を開けてもらえますかー?」
馬を止めて声をかけると、門の上から近衛隊長が顔を出した。
「姫様……従者はいずこに?」
「おりませんよ」
「王妃殿下から、姫君が宮殿から外に出る際は、最低一個小隊の騎兵を連れて行くことと厳命されています」
ちぇっ。前はそんなこと言われなかったのに。先週、同じように脱走したのが母上に知られて、ひどく怒られたから、きっとその時に命令が出されたに違いない。
「でも、ちょっと散歩してくるだけだから大丈夫」
「ご命令を守らなければ、私が罰せられます」
まったく母上は、私に干渉しすぎる。ちょっと宮殿の周りで馬を走らせるくらい、別に大したことないのに。でも、私のせいで近衛隊長が罰せられてしまうのは困る。
「それなら、ここに駐屯している騎兵の……」
そう言いかけたところで、後ろから大声が近づいて来た。
「ヒラリス様! どこへ行かれるのですか!?」
「あ、フィデリス」
フィデリスは、私専属の王宮メイドで、お目付け係でもある。私より少し年上なだけなのに、すごく厳しいところもある。はあ、はあと息を切らせながら走り寄ると、スタークの口輪をグッとつかんだ。
「ヒラリス様! 勉学室で講義の時間ですよ! また勝手に外出するなんて、何を考えておられるんですか?」
「じっと座ったまま、聞いてるだけの講義なんてつまんないし。特に、今日のカバニア先生の魔法学史講義なんて、ほんと眠くなるんだよ?」
王族の私は、一般の庶民や貴族の子と違って、学校には行かないことになっている。せめて貴族の子弟が通う学院に入れれば、同じくらいの年の子と一緒に勉強できるのに、小さい時からずっと教授が王宮にやって来て、個人授業ばかり受けて来た。それは兄のトリスティも同じだった。
「カラレヌム王国の王女として、どこに出ても恥ずかしくない教養を身に付けていただくのは、王族としての務めです。さあ、戻りましょう」
フィデリスはスタークの口輪をつかんだまま、ぐいぐいと王宮に向かって歩き始めた。スタークも従順なので、引っ張られるままにぽくぽくとついていく。
あーあ。講義をサボって脱出する計画は失敗か。
厩舎に馬を返し、王宮の自分の部屋から魔法学史の教科書とノートを持って勉学室に移動する間も、フィデリスはずっと横に付いていた。もう二度と逃さない、という決意を全身から感じる。にこっと微笑みかけてあげても、ムッとした表情で目をそらされてしまった。
フィデリスは、口うるさいけれど決して厳し過ぎる人じゃないし、むしろ、母上の目を盗んで甘いお菓子をくれたり、小さな失敗を庇ってくれたりする、お姉さんのような所もあるから大好きだ。けれど、さすがに先週の私の脱走で母上に怒られて、庇い切れなくなってしまったのかも知れない。悪いことをしたな。
「フィデリス。今日は、ちゃんと講義を聞いてることにしたから安心して。あのおじいちゃん先生だと、ずっと寝てるかも知れないけど」
「カバニア教授は体調を崩されたそうで、今日の講義は、同じ王立大学の方が代理で来られるそうです」
「え、そうなの? 魔法使いなのに病気?」
カバニア先生は、古代魔法学教授で魔法も使える。それなのに、体調不良で休みを取るなんて。自分の病気は魔法で治せないのかな?
「魔法使いでも病気にはなります。熱を下げたり、体力は回復されているとは思いますが、ヒラリス様に病原菌を伝染させては大変ですから」
「ふうん。お気遣いしていただけるのはありがたいけど」
代理って、どんな人だろう。魔法史なんか研究しているんだから、同じようなおじいちゃん先生に決まってるけど。
勉学室に入ると、黒いローブを着てフードをかぶった人物が教壇に座り、うつむいて本を読んでいた。王立大学の教授の正装だから、公の式典に出るならこの格好をしててもおかしくないけれど、カバニア教授は、私の個人講義の時はもう少し楽そうな格好をしている。この先生は、初めて代講するので緊張して正装で来たのかもしれない。
「遅くなりました。どうも済みません」
顔を上げたのは若い女性だった。大きな銀縁眼鏡を掛けていて、学者らしく見るからに地味だけど、こんなに若い女性なのは意外。
「あの、お待ちして……」
ボソボソと小さな声でつぶやいているけど、よく聞こえない。
「はい?」
「あ、あ、あ……」
私の声が大きくてびっくりしたのか、代理の女性はあわあわと手を振りながら、目を泳がせている。これ以上あわてさせないように、ゆったりと席に座り、教科書とノートを開いた。
「あの、先生。お名前は?」
「あ、あの、自己紹介が遅くなったご無礼をお許し下さい、王女殿下。アペルタ、アペルタ・テネブラエと申します。お、王立大学でカバニア教授の助手をしています」
「アペルタ先生ね。よろしくお願いします」
「は、はい。それでは、ま、魔法史学の講義を、は、始めさせていただきます」
アペルタ先生は銀縁眼鏡をすっと直し、魔法史学の教科書を教壇の上で開くと、大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「今日は、古典時代最大の魔法使いで、近代魔法学の基礎を確立したヴィラベーネについてお話しします。私が大学でずっと研究しているテーマでもあります」
それまでの自信なさそうな雰囲気が一変し、凛とした張りのある声で、滔々と語り始めた。
これが、伝説の大魔法使いヴィラベーネの秘密をめぐる、私とアペルタの冒険の始まりだった。
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