第2話 霊力の覚醒 2

(さっさと帰ろう)


 蓮司は怯えを表情に出して廊下を歩く。幽霊などの姿が見えない今のうちだとできるだけ急いで階段を目指す。

 そのときすうっと風が廊下を吹き抜けた。背後から蓮司の体を風が撫でる。

 教室の窓と同じく廊下の窓も閉められているはずで、風が吹くのはおかしかった。

 そのことに蓮司は気付く。


「ひっ」


 思わず悲鳴をあげかけて、咄嗟に口を閉じる。

 今蓮司は明らかに背後になんらかの圧を感じている。同時に蓮司の中でなにかが抵抗するように動いたが、それを気にする余裕は今の蓮司にはない。

 振り返ろうとする体をなんとか止めて、その場から走り出した。

 

〈けひひひひっ〉


 背後から楽しそうな声が聞こえてくる。

 近づいたり遠のいたりしていて、怖がる自分を煽っているように蓮司は思えた。

 そのなにかに対して怒りは感じているけれども、振り返って怒鳴るよりも少しでも早く逃げたいという思いの方が強い。それになぜだか寒気もするのだ。

 階段を何段も飛ばして降りて下駄箱までくる。

 靴を履き替える余裕はないから、そのまま走り抜けて体当たりする勢いでドアに手をかける。

 いつもは簡単に開くドアは固く閉ざされている。なんでだ開けよとガチャガチャ揺らす。


「鍵か!?」


 鍵を回そうとするが、びくりともしない。

 

〈開かない開かない開かない〉

「うるさいっ」


 耳のそばで聞こえてきた声に、そっちを見て怒鳴り返す。

 そこには人体の骨格標本のような幽霊がいた。

 真っ暗な目が蓮司をじっとねめつける。


〈餌だぁ。お前は餌だ。泣き喚いて霊力に恐怖の味付けを! そしてたらふく食わせろ!〉


 楽しげな幽霊へと誰かが忘れた傘を手に取って振り回す。

 霊能力者ではない蓮司が傘を振り回したところで、すり抜けて少しも衝撃を与えることはできない。


〈無意味無意味ぃっ!〉


 幽霊はそう言いながら蓮司へと手を伸ばし傘を掴んだ。

 幽霊がそのまま傘を振り回したことで、蓮司も振り回されて下駄箱に肩をぶつける。


「がっ」


 傘を振り回したままの幽霊から逃げるように、蓮司はその場から駆けて離れる。

 目的地などない。幽霊から離れるように痛む肩を押さえて足を動かすのだ。

 一階校舎を端から端まで走って、声が聞こえなくなったことに蓮司は気付く。

 振り切ったと淡い期待を持ち、近くにある外へと繋がる扉に手をかける。

 そっとドアノブを回してみたが、開くことはない。


〈ざぁんねぇん〉


 そう言いながら幽霊が扉をすり抜けてくる。

 伸ばされる手を避けてあとずさった蓮司は、鞄を振り回すがすり抜けるだけだ。また走り、目に入ってきた階段を駆け上がる。

 一年生教室の廊下を駆けて、別の棟に繋がる渡り廊下の引き戸に手をかける。こちらの戸は簡単に開いた。

 渡り廊下を通ろうとして、そこから下を見る。普段ならここから飛び降りようとは思わないが、別棟の一階も出られないかもと考え、ここから降りた方がいいと思えた。

 

(意外と大丈夫かもしれない)


 この思考は火事のとき追い詰められた人間がやってしまう行動に近いものがある。

 しかし今の蓮司を止める人はおらず、手すりに足をかけて身を乗り出す。


〈隙だらけええええ〉


 幽霊が体当たりするように横からぶつかってきた。

 渡り廊下へと倒れ込んだ蓮司は背中から落ちる。

 ごほっと息を吐き出した蓮司へと幽霊が掴みかかる。


〈終わりか? だったら餌だなぁ〉

「んなわけあるかっ」


 痛みに顔をしかめながら拘束から逃れようともがく。

 ここで死ねば祖母一人を残すことになる。

 祖父は既に死んでいて、残る家族は自分一人。悲しみにくれる祖母を思うとこんなところで死ぬわけにはいかなかった。

 痛む体を無視して体をめちゃくちゃに動かして立ち上がり、また走る。しかし打撲の痛みで先ほどまでの速度がでない。

 幽霊は嬲るように、蓮司へとぶつかる。


「くるなっくるなよ!」

〈くけけけけけっ〉


 幽霊がぶつかって与えてくる衝撃によろけながらも、蓮司は一階の教員専用下駄箱に向かう。たまに投げられそうものを背後へと投げるが、意味はまったくなかった。

 踊り場から階段に足を動かしたタイミングで、幽霊が蓮司を押す。


「うわっ」


 階段を踏み外し転がり落ちた蓮司はさらなる痛みに意識が朦朧とする。幸いどこか骨折した様子はないが、動くことができない。

 そろそろ食い時かと幽霊は判断し、動けない蓮司の胴体に手を突っ込んだ。


「ああああああああああっ!」


 氷のような冷たい手が体内をかき回す気持ち悪い感触に、蓮司は悲鳴を上げた。

 同時にこの恐怖体験がきっかけとなって幼い頃の記憶が蘇った。

 朱色の風景が脳裏に広がる。


 ☆

 

 蓮司が幽霊に追い回される時間から少し戻る。

 十三時半頃に、最後に校舎を出た教師が正門前に立っていた。

 そこに十五歳くらいのスーツを着た青年が近づく。長めの後ろ髪を白い布でひとつに縛っている。彼はスーツケースも持っている。


「祭丘高校の関係者ですか。俺はこういうものです」


 そう言って青年はポケットから警察手帳のようなものを取り出して、広げて中身を見せる。

 そこには青年の写真と名前と身分が書かれていた。

 名前は日倉宗太。身分を示す部分には「オカルト対策課所属・四級霊能力者」と書かれている。ほかにはオカルト対策課本部から割り振られた識別番号なんかも書かれていた。


「君がオカルト点検をすることになっているのかな」

「はい。この高校を担当させていただきます。すみませんが、こちらの書類に到着を確認したと示すサインをお願いします」


 クリップボードとボールペンを渡された教師は自身の名前を書き込んだ。

 それを返してもらい宗太は今日行うことの説明を始める。


「毎年やっていることですが、学校敷地内の見回りと簡易的なお祓いをします。職員室なども見て回りますのでご了承をお願い致します」


 若い宗太に若干不安を感じていた教師は、しっかりとした宗太の口調に専門家なのだなと思い、不安を撤回する。


「ああ、よろしく頼む。頼まれたとおり職員室や各教室の鍵は開けたままだ。残っている者もいない」

「わかりました。点検は十七時までに終える予定です。終わったらここで待っていますので、合流してください。終了確認のサインを頼むことになります」

「うん、それも聞いている」

「では準備を整えて始めます」


 宗太はそう言うとスーツケースを持って正門を通って、職員用の下駄箱に向かう。

 玄関前でスーツケースを開いて、必要な道具を確認していると、なにかに気付いたように顔を上げる。その表情は真剣なものだ。


「領域化しただと」


 スーツケースからゴーグルを取り出すと、それを身に着けて校舎を見る。

 ゴーグルをつける前はわずかに揺らめいて見えただけの校舎が、黒塗りされたようになっている。

 宗太は玄関を開こうとしたが、ピクリともしない。

 幽霊か妖怪が本格的に動き出したという証拠だった。それらがこんなことをするのは餌を逃がさないときや天敵を迎え撃つときだ。


「俺に気付いた。もしくは人間はいないと言っていたが、見落としたか?」


 宗太はスーツケースから小型リュックを取り出して、いくつかの品を入れた。さらに匕首を取り出し、鞘から抜く。

 匕首の刃でピッと人差し指の先を少しだけ斬って、血をにじませる。

 血のにじむ指先を立てる。

 

「風音(かざね)、契約に従い姿を現せ」

〈風音、ここに〉


 白いイタチが空中に浮かぶ。


「仕事だ。今日も頼む」

〈任された。点検だけだと聞いていたが〉

「俺もそのつもりだったんだけどな。見ての通り領域化しているんだよ」

〈さてなにがでるか〉

「力の強い悪霊ならいいんだけど。怪異は勘弁願いたい。校舎の観察を頼む。俺は学校の妖怪をざっと再確認する。厄介な性質を持っていることがあるからな」

〈わかった〉


 宗太は支給されたiPadを使って、その中に収められている妖怪の情報を急いで確認していく。

 二分ほどで風音が警告を発する。


〈近づいてくるぞ!〉


 風音の呼びかけに少し遅れて、ガラス扉の向こうに転がり落ちた蓮司の姿が見えた。

 蓮司を追ってきた幽霊の姿も確認できた。

 宗太は匕首を振り上げる。


「玄関扉を壊して中に入るっ。風の力を刃に!」

〈おうっ〉


 応えた風音が匕首に吸い込まれるように消えた。

 宗太は匕首を振り下ろす。


「風刃・一文字!」


 霊力を伴った風の刃が玄関扉にぶつかって、大きな音を立ててガラスにヒビを入れた。ゴーグル越しだと黒塗りされていた玄関扉は白く大きなヒビが入っていた。

 そこに蹴りを入れて扉を壊して、校舎に入る。

 地面にちらばるガラスを踏んで再度匕首を振り上げた。

 

「もう一度っ風刃・一文字!」


 蓮司に腕を突っ込んでいる幽霊へと風の刃が飛ぶ。

 幽霊は手を抜いて、自らに迫るものを避けた。風の刃は階段にぶつかって一筋の切れ目を残した。

 幽霊はそのままどこかへと飛ぼうとした幽霊に、宗太は匕首の切っ先を向けた。


「逃がすかっ。風絡み」


 匕首から吹いた風が幽霊にまとわりついて動きを阻害する。

 このままでは逃げられないと考えた幽霊は、宗太へと突進する。

 それに対して風をまとった匕首を構えて宗太は迎え撃つ。

 幽霊の腕が宗太に迫り、宗太の匕首が受け止める。

 その場で連続して幽霊の両腕が振り抜かれ、宗太は匕首で対応していく。

 宗太と幽霊の戦いから少し離れたところで倒れたままの蓮司に変化が生じる。体から一粒の朱色の火が出て消えたかと思うと、次々と同じものが出ては消えていく。


〈宗太、気付いているか〉

「なにをっ」


 幽霊との戦闘を続行しながら風音に聞き返す。


〈あの男から霊力が放たれているぞ〉

「なんだって?」


 ちらりと視線を幽霊から蓮司へとずらす。

 蓮司の体から火の粉が出ているのに宗太も気付く。


「死にかけたか!?」


 霊力の覚醒は死にかけることで起こることがあり、宗太はそう判断し早く治療しなければと焦る。

 焦りから動きが雑になり、その隙をついて幽霊は風の拘束を解こうと力を込める。

 風音に注意を促され、宗太は幽霊に意識を戻し、風の拘束を制御する。

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