第3話 MotoGP 第3戦 アメリカ

 桃佳と澄江はフロリダに来ていた。チームから3日間の休暇をもらったので、一度来てみたかったディズニーワールドに来たのだ。3日間は夢のように過ぎた。ソアリンというアトラクションでは空中遊泳しながら世界中を旅する感覚だった。東京とはちょっと違うということだ。テストトラックは急発進でまるでレースのスタートみたいで澄江さんが悲鳴をあげていた。MotoGP好きなのに、スピードは苦手のようだ。アニマルキングダムのジェットコースターは途中からバックして進むので、桃佳も悲鳴をあげてしまった。終わった後に、澄江さんと泣き笑いをしてしまった。

 最終日、エプコットセンターの日本館で鉄板焼きとうどんを食した。久しぶりのおいしい日本食で、日本語が通じるのはうれしかった。シェフの方がMotoGPファンで桃佳のことを知っており、

「中倉さんはTVによく映るけれど、伊藤さんはたまにしか映りませんね。応援してますからもっと映るようにがんばってください」

 と言われ、照れ笑いを返すしかなかった。


 レース1週間前の土曜日にサーキット入りをした。昨年Moto3で走っているコースなのでレイアウトは分かっているつもりだが、GPマシンでは初めてである。そこで土日に開催されるスポーツ走行で走ることにした。GPマシンで走ることはできないが、市販のリッターバイクで走ることになった。GPマシンより重いので、練習には最適である。


 土曜日の予選Q1。前日は雨模様だったので、いいタイムはだせず、桃佳はQ1からのスタートとなった。スペンサーJr.は走りなれたサーキットなのでQ2へ進んでいる。

 このサーキットは昨年Moto3で走り3位入賞を果たしている。桃佳にとってはゲンのいいサーキットだが、今回のステージはMotoGPだ。そんなに甘くはない。

 走り出して、桃佳は中倉の後に続いて走ることにした。中倉の走りは堅実だが、ブレーキポイントが深い。コーナーで必ず離される。だが、最高速が伸びない。A社のマシンは問題を抱えているのかもしれない。前半の連続S字を中倉が絶妙なラインで抜けていく。中倉のチームメートフェルナンドが10コーナーでコースアウトしてレッドフラッグが振られた。スポンジバリアを壊してしまい、その修理のためらしい。フェルナンドはカメラマンのスクーターに乗ってピットにもどってきた。カメラマンの運転ではなく、自分自身で運転してきた。サービスロードを疾走してきたので、制限速度があれば完全にスピードオーバーである。アタックタイムの1周目だったので、予選タイムをださないと最後尾になってしまう。フェルナンドにとっては、深刻な問題だったが、レッドフラッグだったのでそんなに慌ててもどってくる必要はなかった。それにレッドフラッグの要因を作ったということで、ロングラップペナルティが課せられた。事実上の最後尾である。

 Q1終了。桃佳は2分2秒950で予選19位のポジションについた。18位には中倉がいる。桃佳の後ろはフェルナンドとチャンドロである。ちなみにQ1のトップタイムは2分2秒001。桃佳よりおよそ1秒速い。さほどのタイム差ではないが、20周走れば大きな差となる。予選タイムを上げることが当面の桃佳の課題である。

 Q2ではマルケル兄が2分1秒088をたたきだした。桃佳とは2秒近く離れている。こうなると20周で40秒差。マルケル兄がフィニッシュした時、桃佳は裏ストレートを走っている状況だ。これではレースにならない。周回遅れにならないだけが救いかもしれない。ちなみにスペンサーJr.は2分1秒611で予選6位に入った。KT社ではトップで、今回はH社にも勝つことができた。彼にとっては母国GPなのでみっともない姿は見せられない。

 夕方のスプリントレース。天候は晴れ。雲ひとつないテキサス晴れである。スタートは無難に過ぎた。そこから中倉の快進撃が始まる。1周につき1台ずつ抜いていく。それに桃佳もくいついていく。上位陣の脱落もあり、なんと中倉はポイント獲得の9位にまであがった。桃佳もくいついたが、13位で終わった。スプリントではポイントがつかない。でも、自己最高位である。監督のハインツからは

「 Good job 」(よくやった)

 と、お誉めの言葉をもらった。スペンサーJr.は順位を上げ4位でフィニッシュしていた。あと少しで表彰台にあがれるところまできていたので、悔しがっていた。この負けん気が彼のエネルギーなのかもしれない。


 決勝日。Moto2のレースは雨模様だった。だいぶ荒れたレースになっていた。MotoGPのサイティングラップの際にはウェット宣言がだされている。だが、チーフメカの岡崎は天気予報を見て、雨はやむと見ていた。そこでスペンサーJr.と桃佳と相談した。予選6位のスペンサーJr.は他の上位ライダーと違うタイヤをはくことを嫌った。同じ条件で勝負したいということだ。だが、桃佳は予選19位。同じ条件では上位にあがれない。せめてポイント獲得圏内の15位までにはあがりたい。そこで、岡崎の助言を受けて、スリックタイヤをはくことにした。岡崎からは

「前半は、水たまりもあってハーフドライの状態だと思う。気をつけていけ」

 と言われた。ハーフドライの状況はなかなかない。スリックタイヤでウェットパッチにのったら、即スリップダウンだ。ただ、幸いなことに予選18位の中倉もスリックタイヤをはいている。中倉の後ろを走っていけば、ラインが見えるかもしれないと思っていた。

 グリッドに並んでいるととんでもないことが起きた。ポールポジションのマルケル兄がマシンを降りて、ピットに走りだしたのだ。それを見て、予選4位にいた同じチームのバーニーもピットに駆けだした。2人が駆けだしたのを見て、上位のライダーが一斉にピットに走り出した。スペンサーJr.も同様である。桃佳は何事が起きたのか一瞬分からなかった。桃佳の脇に担当メカの木村がおり、

「木村さん、どういうこと?」

「走り出したライダーは皆、レインタイヤをはいています。おそらくスリックタイヤをはいているスペアマシンに乗り換えるんだと思います」

「でも、それだったらピットスタートでしょ」

「それでもレインタイヤでは勝てないと思ったんでしょうね」

 さすが、世界のトップライダーたちだ。ピットスタートというハンディをしょっても勝てると思ったのだろう。

 トップ集団の8台がいなくなったので、グリッドのトップは予選9位のH社のザルケだ。KT社のヴィニャールもいる。トップ8台がいなくなったので、レインタイヤでも前半リードできるとふんだメンバーだ。中倉と桃佳だけがスリックタイヤをはいている。

 ウォームアップランが始まる。8台がいない光景は異様だ。ウェットパッチがあるところを確認しながら走る。ライン上は乾いている感じだ。ラインを変えて走らなければいけそうだと桃佳は感じていた。

 レーススタート。H社のザルケはホールショットをとった。だが、レインタイヤで乾いた路面を走ることになったので、ペースはあがらない。コーナーごとに中倉が順位をあげていき、1周目を終えた時には中倉がトップにでていた。そしてその後ろには桃佳がいるのである。桃佳は身震いを感じていた。ピットの中は騒然としている。まったく期待していない新人が参戦3回目で2位を走っているのである。皆が驚いている。

 ところが、レースは甘くない。10周目、ピットスタートした予選のトップ集団が中倉と桃佳に追いついてきた。路面は完全に乾いている。ウェットパッチは見当たらなくなった。

 11周目、ピットのサインボードを見ると「93 +2」とでている。2秒後ろにマルケル兄がいるということだ。桃佳は背中に寒気を感じた。まるでヘビににらまれたカエルの心境だ。

 12周目、サインボードには「93 +1」とでている。すぐ後ろにマルケル兄がいる。第1コーナーでは背後にマルケル兄のマシンの音が聞こえる。そこから連続のS字コーナーで奇跡が起きた。マルケル兄が桃佳を抜こうとし、ラインを変えたところでゼブラゾーンに乗り、スリップダウンをしてしまったのだ。すぐに走り出したが、右のステップが破損している。マシンに足を密着させて走っているが、ペースが上がらない。順位をどんどん下げてしまい、とうとうピットインしてリタイアしてしまった。マルケル兄のすごさを見ることにはなったが、さすがのマルケル兄がリタイアするのを桃佳は目の当たりにした。なにせ、今年はスプリントもあわせて5連勝していたからだ。

 16周目、今度はマルケルのチームメートであるバーニーが追いついてきた。

 17周目、裏ストレートでバーニーにあっさり抜かれた。最高速は330kmに達する。そこから1速まで落とし、60kmで左90度コーナーに飛び込む。バーニーとはブレーキングポイントがまるで違う。そこでバーニーについていこうとしたが無駄だった。バーニーはトップの中倉と接戦を演じている。

 19周目、桃佳は単独走をしいられていた。サインボードには「KEEP」とでている。ペースを守って走ることだけを考えた。

 20周目、ファイナルラップ。サインボードが「FINAL GO」と出ている。後ろから数台のマシンの音が聞こえてきている。せっかくの3位だ。初の表彰台が目の前にぶら下がっている。なんか体に震えを感じた。

 そしてフィニッシュ。なんとか3位をキープできた。昨年のMoto3での3位と同じで、桃佳はこのサーキットと相性がいいのかもしれない。ピットレーンにもどってくると優勝したかのような大騒ぎだ。優勝はD社のバーニー。中倉は0.5秒差で2位となっていた。それでも、MotoGPで初の表彰台だ。寡黙な中倉だが、表情はゆるんでいた。桃佳はゆるみっぱなしだ。体重計に乗る時も浮かんでいる感じだった。表彰台を降りて、ピットにもどるとウォーターシャワーの歓迎だった。マネージャーの澄江さんは涙目だ。だが、一人だけ悔しがっているのがいた。スペンサーJr.である。最後の追い上げで4位にはいったもののセカンドライダーの桃佳に負けてしまったのだ。嬉しいわけがない。だが、元々は岡崎のたてたスリックタイヤ作戦を蹴ったのは本人である。負けたのは仕方がないが、得意のアメリカGPで勝てなかったのは悔しさしかないのかもしれない。


 次戦は中東カタール。桃佳にとっては初のナイトレースである。

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