私の星

瀬川香夜子

第1話



 その日、広大な夜空を一筋の光が流れた。

 その光の筋を、大陸の人間の多くが目にしていた。

 空を見上げ、瞬く間に頭上を過ぎる光明の筋を指さしながら誰もが興奮したように口にした。

 ――が降ってきた! と。

 星は光の尾を引きながら地上へと近づいていく。

 彼らの期待を一心に受けたその光は、真っ直ぐにセンフィール王国へと降り注いだ。




 そのセンフィール王国の王城の一角。多くの使用人たちですら眠りにつくような夜更けのことだ。

 王女リリシア・ヴィ・センフィールは、部屋の明かりを消してベッドに向かおうとしたところでふと足を止めた。

 なにかに意識を惹きつけられているような不思議な感覚だ。

 判然としない感覚に身を任せてそっと窓辺に寄る。カーテンを持ち上げて外を覗けば、まるでリリシアが顔を出すのを待っていたかのようなタイミングで急に真っ白な輝きが広がった。


 星だ。星が降ってきている。


 あまりの輝かしさに咄嗟に目を瞑ってしまう。すぐに輝きは落ち着き、リリシアは思わず窓を開けて裸足のままバルコニーに飛び出た。

 身を乗り出すように光の名残を探す。やはり、星は王城にある「星降りの間」に落ちたようだ。

 世界を照らすような輝きが夢だったような、そんな余韻の残るなか夜の冷えた風が吹き抜けていく。薄いネグリジェだけでは肌が冷えるが、一方で伝説を目の当たりにした興奮で心臓はドキドキしていた。


(本当に星が降ってくるのね……)


 まさかこうして降臨の瞬間を目の当たりに出来るとは思ってもいなかった。

 あれだけの輝きだったのだ。ほかにも気づいた者がいたのだろう。

 城の中が瞬く間に騒がしくなる。明かりがぽつぽつと灯っていき、城内を駆ける使用人や騎士の足音が増えていく。

 彼らの慌ただしさに釣られるように、リリシアは部屋に戻って服を着替えた。さすがに王女がネグリジェのままというわけにはいくまい。

 比較的簡易なワンピースドレスを纏い、そのまま扉を開け放って外に出ようというところで、ハッとリリシアは我に返った。

 伝説の元へ向かうはずだった勇み足が弱まり、ゆるゆるとドアノブから手を離す。


(わたくしが行って、どうするというの)


 行ったところで、自分は見ていることしかできない。国王や王妃、そして王太子である兄へは報告がいっているだろう。

 彼らはこの国を担う者だ。国を、いや世界を救う「星降人ステラナ」を兄たちはこの国を代表して歓迎を表しなければならない。

 だが、リリシアは? なんの力もなく、ただただ王女としているだけのお飾りな自分は、そんな大事な場へ赴いてなんになるというのだ。

 ゆっくりと後退し、そうして力が抜けたようにリリシアはベッドに座り込んだ。

 必要であれば誰かが呼びに来るはずだ。ならば、ここで待っていればいい。むしろ自分が出向いて高揚と歓喜で満ちているだろう場に水を差してはいけない。

 と、思ったのも束の間だ。


「リリシア様、イリナでございます」


 慌ただしく入室してきた赤毛の女性が、リリシアの元へ駆け寄り膝をついた。


「ステラナが降臨されました。急ぎ星降りの間までお越しください」

「……ええ、分かったわ」


 廊下には他にも騎士や使用人たちが慌ただしくしている。彼らに倣うように、リリシアは足早に星降りの間へと向かった。


「ラスティスお兄様が呼んだの?」


 それとも父であり国王のティグラだろうか。王妃のリリシュテルと言うことは万が一にもないだろう。


「いえ、どなたからもとくにご用命は受けておりません」

「え……」


 思わず足を止めてしまった。同じように立ち止まったイリナは、少し肩で息をしながら不思議そうに見返した。


「ステラナの降臨は王家一同が出迎えて歓迎を示す。これが習わしです」

「でも……」


 わたくしは地位だけの王女なのに。

 そう口に出るよりも早く、曲がり角から現れた白い礼装の華やかな男がリリシアを呼んだ。


「リリシア? なにをしてる。早くおいで」

「お兄様」

「父上や母上ももう来られるよ」


 早く、ともう一度促され、尾を引くような気持ちのまま兄ラスティスとともに星降りの間へ向かう。

 ラスティスにしては珍しく、後頭部のブロンドが軽く跳ねている。常人であればほとんど気にならないが、これが普段完璧な装いをしているラスティスであるからこそ目についてしまう。

 きっとラスティスも休むところだったはず。いや、すでに身体を休めていたところを起こされたのかもしれない。

 それだけの急事なのだと、リリシアは改めて気を引き締めた。

 これから向かう先にいるのは、この国のみならずこの世界の救世主たる人物。

 絶対に粗相をしてはならないのだ。




 星降りのと言いつつも、実態は王宮内の中央にそびえる尖塔のことである。

 国内でも一際色彩が白く鮮やかな一級品の石材のみを使用した白亜の塔は、訪れるかも分からない救世主の降臨のためだけに誂えられていた。

 王宮内でも類を見ないほど高くそびえる尖塔だが、中は吹き抜けになっており真っ直ぐ見上げたところで天井が見えるのは遥か彼方。

 頑丈で、それでいて華美な彫刻をあしらった扉を開けば五角形のフロアが広々とあるだけ。


 知識としては持っていても、実際に入るのは初めてだった。

 ラスティスのあとに続いて入れば、想像していたよりも随分広々とした空間に感嘆の息が漏れた。

 フロアの床には星形の大きな文様が描かれていて、その星形の中央には不思議な光が明滅していた。


「あれが、ステラナ……?」


 人一人分ほどの大きさの光は、よく見ると細かい光の粒の集合体のようだ。

 きらきらと光が弾けていく様子は見とれるほど美しく幻想的だ。

 ラスティスとリリシアが光から距離を持って待機している間に、ティグラとリリシュテルも到着した。

 普段は昏い色を基調としたドレスばかり纏うリリシュテルは、さすがにこの吉兆には明るい色彩のドレスを着てきたようで、普段とは違う雰囲気の美しい様子についまじまじと見ていると不意に彼女と目が合う。


 いけない。わたくしとしたことが、無礼にもほどがある。


 顔を逸らし、バクバクした心臓を必死に静める。

 気づけば壁面にずらりと正装の近衛騎士が並んでいた。ラスティスに倣ってそろそろと王と王妃の後ろに回る。

 部屋の中央に輝く光は、まるでこちらの準備が整うのを待っていたようにゆっくりと光量を落としていった。

 キラキラした粒が溶けるように消えていく。そして、光の後には人影が残された。


「少女か……?」


 隣でラスティスが呟いた。

 そう。少女だ。光が灯っていた場所には、横たわる少女が一人取り残されていた。

 目を閉じた彼女は眠っているのだろうか。丈の短い不思議な衣服を纏っている。


「……この子がステラナ」


 あまりに予想と反した幼い風貌に王も戸惑っているようだ。

 年の頃は十九になったリリシアとそう変わらない……いや、もしかしたらそれより幼いだろう。


(こんなあどけない少女が、世界の救世主?)


 戸惑いのざわめきがフロアに広がる。と、不意に少女が覚醒した。


「……ここは?」


 ゆっくりと瞼が上がる。髪も瞳も黒というのは、センフィール国においては珍しい。

 気だるげに身を起こした少女の様子に、王はどうするべきか迷っているようだ。

 さすがに少女とはいえ女性相手、ましてや救世主たるステラナに不用意に男性が手を差し伸べるの躊躇われるだろう。

 だが、ここで王族でもない使用人たちに頼むことも出来ない。

 ここはリリシュテルかリリシアが行くべきだ。しかし、王妃を差し置いて自分が向かうなど、と躊躇ったのだが――。


「わたくしが介助に向かってもよろしいでしょうか」


 気づけば、リリシアはそう言っていた。兄や王たちは、リリシアの言葉に驚いている。

 それはそうだろう。リリシアはいつだってほかの家族の影に隠れるばかりで、自分から王族として積極的に物事に関わろうとはしてこなかった。

 けれど、どこか青白い顔で起き上がる少女を前に、いてもたってもいられなかったのだ。

 驚きまじりにティグラが頷くのを見るやいなや、リリシアは駆けるようにステラナたる少女の元に向かった。

 少女が片腕で起こしていた上体を支える。ぐったりと項垂れていた彼女は、リリシアの気配に気づいてよろよろと顔を上げた。


(ひどい顔色……)


 降臨したばかりのステラナはこの世界の空気に馴染めず苦しむとも聞くが、ここまでなのか。

 紙のように白い顔だ。生気をなくしたような半ば虚ろな瞳がゆっくりとリリシアを認めて瞬いた。


「……きれい……ほし、みたい」


 なにか呟いた少女は、すぐに糸が切れたようにリリシアの膝に倒れ込んだ。


「ステラナ様? 大丈夫ですか?」


 焦ったリリシアが少女の肩を揺らす。ラスティスたちも駆け寄ろうとした矢先――。


「きもちわるい……」


 うっ、と呻き声のあと、少女は耐えきれないとばかりにそのままリリシアの膝元に嘔吐した。


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