第8話 超高級ブランドの意味深指輪を飲み込む
「つまり……、大叔母様ということですね?」
水野の確認に、メイド服姿のオバサン、もといハルさんは、小首を傾げながら
「そ。叔母さん」
と頷く。
「……知らなかったのか?」
「……初めて会いました」
水野にこそっと囁かれて頷いた。
アカリの母親は、それはまあ自由な人で、親戚関係はおろか実家も、父親が誰なのかさえ教えてくれない。今もふらりと出かけたきり帰ってこないのだが、よくあることなのでもう慣れた。
アカリが生活に困窮していても誰も何も言ってこないところを見ると、母は天涯孤独か絶縁されたかのどちらかじゃないかと踏んでいた、のだが。
「アタシ長いこと外国にいて、久しぶりに日本に帰ってきたら、この辺に可愛い姪っ子がいるって言うじゃない? もう、取るものも取り敢えず飛んできちゃったリン」
この妙な陽気さと話し方も、長い海外生活で培われたのだろうか。
「……
水野が細かい修正を試みている。多分誰も聞いてないけど。
三畳一間の狭いアパートの居室で、膝を付き合わせて座る、担任の水野、同級生の真田、ヤマト、タケル、そしてド派手ピンクな大叔母のハルさんと、アカリ。
なんだ、この妙な集まりは。と思うものの、ハルさんはまるで頓着せず、終始ご機嫌でお茶まで淹れてくれた。
段ボールを食卓テーブル代わりにして。
お茶の葉をはじめ、気が付けば、今朝までこの家になかったものが微妙に増えている。
食器とか食材とかリネン類とか。
アカリが学校に行っている間にハルさんが用意してくれたらしい。
一体どうやって部屋に入ったのだろうと思うが、「叔母さん、偉大リンリン」とよく分からない説明をされた。どうやら遠くから来た親戚と知って大家さんが開けてくれたらしい。不用心この上ない。
「アタシ、これでもそこそこ貯蓄あるから、あーちゃんの保護者として頑張るリン! 水野先生、よろしくリン!」
ハルさんが水野ににじり寄ると、水野の腰が引ける。
「あ、……はい。安心しました」
「こんな可愛い小豚ちゃんも飼えて嬉しいリン」
モモはハルさんが用意してくれたミルクをミルク風呂にして遊んでいる。
節約生活が長いアカリには想像もつかないけれど、モモは意外と贅沢な育ちをしてきたのかもしれない。
迷子ペットなのかなぁ……
一応届け出はしておいた方がいいかな、と思っているのはアカリだけで、誰もモモには注目していない。
「ボーイズたち、あーちゃんをよろしくリン! アタシも仲良くしてあげるリンっ」
「あ、……はあ」
というか、ハルさんが強烈過ぎて、真田とヤマタケは、借りてきた猫のように大人しくなっている。
なんか。
にわかには信じがたい気もするけれど、この陽気な人が本当にアカリの親戚で、後ろ盾になってくれるのなら、どんなに嬉しいことだろう、と思う。
この部屋にこんなにも多くの人が集まったことがあっただろうか。
こんなにも多くの声で溢れたことがあっただろうか。
もしも。
この派手で陽気なオバサンに何か思惑があったとしても、
はっきり言ってしまえば騙されているのだとしても、それでもいいんじゃないか、とアカリは思った。
盗られるようなものはないし、もはや、自分には失うものも何もない。
ずっと張りつめていた神経がほぐれて、初めて自分が気を張っていたことに気づいた。
「ハルさん。あの、……よろしくお願いします」
頭を下げたアカリに、ハルさんは女性にしてはえらく大きな手をのせると、
「あーちゃんは、自分の魂を磨くことだけ考えていればいいリン」
頭を優しく撫でてくれた。
……魂?? 成長しろってことか??
アカリの顔に浮かんだ疑問符を読み取ったのだろう。
「あっ、……ええっと、一人前の人間として、磨きをかけて欲しいってことだリン‼」
慌てたようにハルさんが付け加えて、
「痛いデス―――っ‼」
なぜかモモに臀部あたりを噛みつかれていた。
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「アカリっ‼ ちょっとっ、……待て」
担任教諭の水野がハルさんの勢いに気おされてそろそろ帰ると席を立ち、アカリもバイトの時間になったので家を出て、真田とヤマタケも一緒にアパート前で別れたところ、真田がアカリの後を追いかけてきた。
「これっ‼」
何だろうと立ち止まって振り返ると、何やら手のひらサイズの箱を投げてきた。
生卵の次は箱かーい、と、やっぱり両手で受け止めると、アカリでも知っている某有名ジュエリーショップのロゴが見えた。
こ、これは……
生卵をぶつけられるより、靴を舐めるより、一層恐怖が募る。
こんなものを受け取った日には、どんな言いがかりをつけられるかわかったもんじゃない。
「い、……要らない」
慌てて真田に投げ返すと、
「お前。早速浮気するつもりか? 左手出せ、こら」
よく分からない因縁を付けられ、腕を掴まれる。
真田が箱から取り出したのは、やっぱりジュエリー、しかも指輪。
デザイン性に富んでいて、重厚感があって、煌びやかなダイアモンドが付いている。
女性に生まれたからには、一度は手にしてみたいと思ってしまう超高級ブランドのハイセンスな指輪。
それを真田がアカリの左手薬指にはめようとするから、
「ぎゃあああ――――っ」
思わず大声を出して手を振り払ってしまった。
「ぎゃあ、って何だ。お前……」
さすがに真田も唖然としてアカリに伸ばしていた手を止めた。
ポケットに入って当然のようについてきたモモが、何事かというように顔を覗かせる。
「な、なに⁉ どういうつもり⁉」
真田の真意が計り知れなくて空恐ろしい。
またお金系の因縁を付けられたらかわし切れない。
「どう、って……」
恐怖におののいて真田を見つめると、真田は少し顔を赤くして言葉に詰まった。
「……なんつーか、ほら。だから、……予約?」
予約⁇ って何?
お前は永遠に俺の奴隷、みたいな⁇
金持ちの思考は訳が分からない。
「……つーか、付き合ってんなら普通だろ?」
言葉が出ないアカリを見て、真田が焦れたように言い切るも、
普通⁇ 普通って何?
金持ちの普通なんてわかるはずがない‼
アカリにはまるで理解できない。
無理やり指にはめようとする真田と何が何でも拒否しようとするアカリの攻防戦が繰り広げられ、それを眠そうな顔で見ていたモモが欠伸をした瞬間、
「「ああっ」」
アカリと真田が見守る中、弾かれて空に飛んだ超高級ブランドの意味深な指輪が、広がったモモの喉奥に吸い込まれた。
ごっくん。
「モモっ‼」
「マジか⁉」
そのとたん。
指輪を飲み込んでしまったミニブタのモモから強大な光が溢れ出し、薄暗くなり始めた通りが一瞬目も開けられないほどのまばゆい光に包まれた。
かと思うと、
「……あ」
元に戻った。
何、今の。目の錯覚?
瞬きを繰り返して目の前の光景を凝視するアカリの前で、真田とモモがお互いを見つめ合い、驚愕に満ちた表情で固まっていた。
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