誤用改めである!
菟月衒輝
用法1:語用警察(ジャンル:SF)
言語紊乱説というものがある。それは以下のような観念である。
「言葉の濫用は、当該言語そのものを蝕み、頽落させる。頽落した言語を使うことは、その言語で思考する自身の頽落を招く。そして、社会には頽落した人々によって構成されるようになり、社会はやがて崩壊する」
この説は、ある数理言語学の研究から生まれた説であった。
秩序を失した言語社会をコンピュータによってシミュレーションで、言語秩序変数がある閾値を越えると、その社会では情報伝達が不可能となり、社会機能を失ったというものだ。その上、この秩序変数は一度乱れると、まるで孤立系のエントロピーが増大するように、自然に、そして、急速に大きくなり、二度と小さくなることはないことも示唆された。
紊乱説が提唱された当初は人類も、そして、その提唱者すらも危機感を抱かなかったに違いない。あくまで計算上の話であると。
しかし、紊乱説が提唱されて数年も経たずうちに、英語を運用していたひとつの言語社会が滅んだ。この社会では、かのコンピュータシミュレーション通り、秩序変数は急速に増大し、発散し、その社会の人間はおしなべて猿へと退化してしまった。
そして、この社会崩壊は一度起こると堰を切ったように、各地、各言語で起こり、人類は約四分の一までその人口を減らした。
これを恐れた各国政府は、各者各様の対抗策を採った。たとえば、アメリカでは英語の使用を禁止した。代わりに、秩序変数が理論的に増大しない機械言語を公用語とした。
我が国では、あくまで「日本語」は放棄せず、新法律である次の言語紊乱防止法を施行した――。
言語紊乱防止法:
これは言葉の誤用、濫用を取り締まるための新しい法律であり、言葉を誤用、濫用した者は刑罰の対象となり、罰金刑から懲役刑、そして死刑までの厳罰が適用される。
言葉の濫用はいまや最も重い犯罪のひとつとなった。
*
わたしは警視庁刑事部言語運用課に所属している。通称、語用警察と言われる我々は、社会の言語の乱れを取り締まり、社会の風紀を保持に尽力している。
言葉には力がある。言葉で人は鼓舞され、その人のポテンシャルが発揮されることもあれば、言葉で人は破壊され、その人の生命をも終わらせてしまうこともある。言葉はわたしが平生佩びている拳銃よりをも強力だ。
そして、強力な言語は強壮な社会を形成する。なぜなら、言語が強力であれば、意思伝達、情報伝達が強力になるからだ。
逆に、言語が弱体化されれば、社会も脆弱となる。言語の弱体化というのは、すなわち、言語の濫用が氾濫した社会そのものを意味する。
生成文法が立証されたいま、我々は生まれながらにしてこの言語力を具有し、この言語力を正しく使わなければならない。これは人間としての義務だ。
だからこそ、言語の不正利用は厳しく取り締まられるべきであり、我々はそれを許してはならないのだ。
「正義、通報が入った。南区立中央公園で日本語を濫用している男がいる。急行してくれ」
正義というのはわたしの名だ。「正」しい語「義」が由来らしい。
「正義、念の為、MP5を持っていけ」
*
現場に急行すると、それらしき人物を目に認めた。
その男は公園の白いコンクリートでできた屋外ステージの真ん中に立ち、周囲にいる来園者と互いに論駁し合っているようだった。武装しているようには見えない。上司に言われた通りMP5は持ってきていたが、出番はなさそうだ。
わたしは部下に、来園者たちの避難誘導および念の為VKテスト(言語異常度テスト)を行うように指示した。
わたしは野次馬たちの中を分け入って、ステージの前まで来た。
「警察だ!」
「貴様! 誤用警察か!」
男はわたしに向かって大声疾呼した。そして、「語用」ではなく「誤用」と蔑称で呼んだのであろうことも語気からわかっていた。我々を語用警察ではなく、誤用警察と呼ぶのは侮辱罪や公務執行妨害罪に当たるが、しかし、誤用罪および濫用罪の前では小過である。
「おまわりさん。こいつです。公然の場で平気で言葉を濫用して! 咎めても直さない! 故意犯ですよ、これは!」
通報者と思しき人が怒りに駆られたまま、わたしに訴えてきた。
すると、男は声を荒げ、
「貴様! 『故意犯』とはなんだ! 『確信犯』であろうが!」と叫ぶ。
わたしは容疑者を睥睨した。
故意犯とは、それが犯罪だと知りながら罪を犯すことであり、しばしば「確信犯」と誤用される。
いっぽうで、確信犯とは本来、政治や経済、自身の信念、あるいは、宗教信条に従い、それが正しい事だと確信して行う犯罪のことだ。
故意犯の意味で確信犯を用いると、犯罪心理的にまったく逆の意味となってしまう危険な言語運用である。
この時点で、実刑は免れず、情状酌量の余地はない。わたしはすぐに手錠を取り出し、
「15時32分。誤用罪で現行犯逮捕」
男を逮捕した。
「ご通報、ありがとうございます。ここからは我々警察が対応しますので、いますぐここから離れ、向こうにわたしの部下がいますので、VKテストを受けてください」
言語濫用は伝播する。とくに、この人はずっと駁していたようだから、すくなからず「穢れ」が移ってしまっているだろう。
「自発的にVKテストを受けた場合には、たとえ言語に乱れが見られましても、校正プログラムを受ければ犯罪とならないので安心して受けてください。逆に、言語に乱れがあるのに、VKテストを受けず摘発された場合は刑事責任を伴います」
言語紊乱説で唱えられた言語の異常は、自発的に進行する。このため、普通に生きているうえではどうしたって言語の乱れは避けられない。だからこそ、定期的なVKテストを受けなければならず、異常が見られれば校正プログラムを受講しなければならない。
わたしは来園者がみな避難したのを確認してから、再び男と対峙した。
「言語濫用があると通報を受けた。言語の濫用の自覚はあるか」
言語の誤用と濫用は大きな違いがある。言語紊乱防止法施行当時はどちらも直ちに実刑(禁固刑以上)だったが、近年、「誤用」の社会秩序への影響は大きくないと証明され、爾来、誤用罪であれば罰金刑から禁固刑。濫用罪は懲役刑から死刑までが適用されるように変わった。
「おまわりさん。おまわりさんはこれを濫用だと言うが、言語の濫用も言語の範疇に含まれるとは思わないか」
範疇は元は、“category”、“Kategorie”の訳語である。すなわち、「分類」という意味に近く、この男が使うように「範囲」の意味では誤用だ。
「貴様、これ以上罪を重ねる気か。我々には国家紊乱を企図する者をその場で処刑することもできるんだぞ」
わたしはホルスターから拳銃を取り出し、銃口を向けた。
容疑者の言語濫用が甚だしい場合、語用警察は司法を待たず、その場で犯人を処刑することができる。警察官も人間である以上、言語の乱れに完全な耐性があるわけではない。ために、濫用者と長く接触することは警察官でも危険だ。そのため、社会だけでなく警察官の身を守るためにも、射殺の権利が与えられている。
「君に問う。誤用は罪なりや?」
わたしはこれを聞いて、さらにこの男の警戒レベルを引き上げる。
「当然だ。言語の乱れは社会の混乱を招く! 言語は力を持ち、その力は決して失われてはならない。我々は言語を守っていかなければならない。それが社会を守ることなのだから」
「もはや、言語は、完全に、文化で無くなりました」
わたしは湧き上がる怒りを噛み殺しながら、男を睨んだ。この男はやはり濫用者だ。わざと言語を濫用している!
「何が言いたい!」
「誤用、濫用というが、いったい君たちはなにを基に正しさを定めているんだい? 正しさとはなんだ?」
「正しさとは、言語に規定される。正しさとは、それすなわち、言語だ」
「言語が正しさであれば、それに内包される『誤用』も正しいことではないか!」
「誤用は悪用だ! 薬の用量を守らなければ毒となるように、誤用は過ちだ」
「違う。誤用は言語における自然な運用法のひとつだ。自然に従えば言語は誤用される――これは、摂理だ」
「その誤用が伝播すれば、社会はどうなる! 力を失った言葉はがん細胞だ。がんに侵された言語は力を失い、頽落するのだ。自然はもはや人間によって管理されなれければならなくなった」
「違うな。誤用が伝播すれば、それは慣用となる。慣用化されれば、言葉は新たな意味を獲得し、言語の力は保存、あるいは、増強される――、むしろ」
男は一度、言葉を切り、
「むしろ、誤用を取り締まり、言語運用を制限することは、それこそ言語を弱体化させ、社会を脆くしている!」
戯言を。
「言葉の濫用を犯すものは例外なく怠惰な者だ。正しい言葉を使う努力もしないくでに、いざ誤用だと咎められれば、まるで咎めてくる社会が悪いのだと言い張る。言葉を正しく使うことは人間であるための前提条件だ。言葉を濫用するやつは、人間失格だ」
「ならば、無学は罪なりや?」
わたしは思わず顔を顰めた。「無学」なんて言葉を人の口から聞いたのは警察学校の授業以来のことだった。
「無学」とは、もともと仏教用語で、阿羅漢果、つまり、学ぶものが無い境地に達したことを意味し、「無知」の意味で使うことは誤用だ。
が、新法施行当時、「無学」が「阿羅漢果」の意味で使われることはほぼなく、むしろ逆の意味である「無知」の意味として蔓延し、力強く社会に根を張っていた。「無学」という言葉はもはやアポトーシスせず、完全に癌化していたのだ。
そのため、政府は「無学」を『禁忌辞(JIS)』(JIS:Japan Interdiction Standards)に登録し、口に出してはならない言葉であるとした(さらに「無学」はJISの中で最も厳しいJIS第四水準に分類される)
「おまえたちは『無学』という言葉をつまらぬ陋見を以て、JISに葬った。日本語は『無学』という言葉を失い弱体化された。『無学』が『無知』の意味で運用されることのなにが問題だった? おまえたちは紊乱説のさわりだけを見て、理解した気になっただけなのだ」
「さわり」も「無学」同様『禁忌辞』に登録されている言葉である。「無学」ほど厳しくないが、JIS第一水準に分類され、原義は「物事の要点、要訣」であるが、新法施行当時では原義とはほぼ逆の意味になる「物語のはじめ、最初の部分、簡単な部分」として誤用されていた。
「言語の誤用が処断されるようになって、社会は狭くなった。広がりを失った。わたしたちは互いに互いを監視し合い、生まれ備わったはずの素晴らしき言語能力がもはや枷に成り下がってしまっている。天禀は原罪へと堕落した。
間違った世界は人間を人間特有の才能を、罪業に変えた。青い鳥であった言語は翼をへし折られ、厳しく、矮小な、正しさの檻に閉じ込められた――、同時に自分自身をも閉じ込めてしまったことに気付かずに……」
「…………」
「そもそも、言葉というものは元来、意味を帯びては失い、帯びては失いを繰り返して、さまざまな意味をさまざまな時代とともに抱きながら、文化という大道を歩んできたのではないか! 言語が正しいというのなら、正しさはむしろ時代に還元されているではないか! 誤用は時代の産物だ。どうして誤用が罪だと言えようか? 正しさが常に正義たり得るだろうか?」
撃鉄が火薬を啄んだ。社会の危険分子は弾丸ひとつで排せられ、ただちに紅の流液と、外気温を待つ肉塊へと変じた。
*
あの男を射殺し、わたしは取り調べを受けた。その結果、射殺は合理的で、かつ、正当であったとされ、上層部から褒章を賜った。
ただ、事件後のVKテストで、若干の曇りが見られてしまったため、休暇をもらい、校正プログラムを受けている。
校正プログラムは順調なのだが、しかし、わたしの心にはわだかまりが残っている。
あの男の言が、いまだ、わたしには腑に落ちていない。
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