第三節『始業』

「おはようございます、先生」


 力なく挨拶をする。アンセントワート先生が怖いというのもあるがこう見えてコミュニケーションが苦手だったりもするのだ。ちなみに普段会話が得意なはずの白亜は僕の後ろに縮こまっている。


「おはよう二年生諸君。して、これはどういうことなのかね。説明したまえ」


「えーと、それは…最近三年生の間では流行っている遊びです」


 全く頭が回らなかった。これでは信じてもらえるはずもなく――


「ほう、実に珍妙な」


 ええー。いけるんだ。


「時に二年生諸君よ。今日の授業までの課題は終わっているのだろうね?」


 まずい。緊急事態だ。いやさっきから緊急事態だが、これはさらにまずい。何せ自分の授業にかかわることだ。この先生なら問題行動一つに難癖付けて停学にされかねない。しかしここはどうしようもできない。一かばちか正直に言ってみるしかない。


「先生、本当に申し訳—」


 その時、それまで黙っていた白亜が口を開いた。


「申し訳ありません。アンセントワート先生。俺がこいつに課題の手伝いを頼んでいたのですが、そのせいでこいつ自身の課題が進まなかったみたいで。俺の責任です。」


「それは、この課題が進級にも関わり、一切他者の手を借りずに単独を貫けという私の指示を理解したうえでのことか?」


「はい。その通りです。」


 驚きだった。白亜がまさかここまで紳士的な言葉遣いで大嫌いな先生に向かって謝るとは思えなかったからだ。確かに友達思いのいい奴だが自分のしたことには絶対的な自信を持ち、絶対に意見を曲げようとしない白亜が自分のためにここまでしてくれるとは。こうなってくるとこっちも黙ってはいられない。


「はい。確かに先生の指示を無視し課題を手伝ってくれと頼んできたことは事実です。しかし、それは僕も同じこと。しかも現に課題が終わっていないのは僕のほうです。僕たち二人の責任です」


 白亜はぽかんとしている。僕がこんなにも流ちょうに話せていることがそんなに珍しいのだろうか。


「まあいい、後程詳細を伝える。今は教室へ向かいたまえ」


 そう言ってマントを翻しどこかへ行ってしまった。


「「後で飯おごらせろ」」


 奇遇にも同じことを考えていたようだ。ありがたい。ここは白亜に譲っていいものを食いに行こう。


「というかお前、アンセントワート先生の弱みでも握ってんのかよ。あんなにもあっさりと引き下がるわけがない。なんか裏がありそうで怖くねえか?」


ふむ、確かに少し違和感を覚えるが、今考えても仕方ない。とりあえず今は一時間目の教室へ急ぐとしよう。





一戦の教室につくとそこには大多数の生徒が揃っていた。しかしアンセントワート先生の姿はない。他人の視線にさらされると気持ちが悪くなるのでさっさと席に着こう。


「おっ、やっと来たねお二人さん。」


 そう言って僕たちの分の席を取っておいてくれたのは、同級生のララだった。


「おっ。ありがとなララ」


「どーいたしまして。ところでさ、アンセントワート先生知らない? 黒板にもなんも書いてなくてさ」


「え、あ、ああ、うーん。まあ、き、気にしなくてもそのうち来るんじゃないかな?」


「へぇ~、なんかあったんだ?」


 なぜだ。なぜばれたのかわからない。モネ先生でもないのになぜ心が読まれた。そんな気持ちで焦っているとそれをも見透かしたようにララは問いかけを続ける。


「そんなに大変なことだったの?」


 平常心、平常心だ。別に何も悪いことはしていない。

こういう時に自分が口下手なことを恨む。だって仕方ないじゃないか。ララは白亜の幼馴染で僕とは二年生になるまで関わりがなかった。まだ交友関係も浅いのにここまでぐいぐい来られたら、何というかその、ただでさえ他人との関わりを持つことが嫌いなのにもうわけがわからなくなる…―と、いやなことを思い出してしまった。


ので、今回は白亜に助けを求めることにした。早速、白亜にも話をふる。


「なあ白亜特に何もなかったよな。」


「え、ああ、うん」


 こいつ嘘が下手だったことを忘れていた。明らかに挙動不審だ。引き出しの中を執拗に何か探している風のそぶりをしてごまかしている。そしてちらちらこっちを見てきては、「頼む。話しかけないでくれ」と目で訴えかける。だがそんなことをしても無駄だ。今回ばかりは完全にあいつが悪いのだから。


「嘘言っても仕方ないから言うけど、こいつのせいでアンセントワート先生に絡まれちゃったんだよね」


「はわ?!」


 いきなりのこと過ぎて変な声が出てしまっている。


 そうだ。何を隠そうララは白亜のことが好きなのである。ありがちの展開だが一つ特異点があるとするのならば、ララは普段は強気だが、意外にも心配性であることだ。しかも超のつく。しかもアンセントワート先生だ。学校中で諸悪の根源のように思われているあの先生に目をつけられたのならば、心配するのもわかる。


 今だって白亜と僕がアンセントワ―ト先生に絡まれたと知って、涙目になって、首がもげんとするように思い切り白亜の肩を振り回している。


 この前なんかは白亜が拳銃科の実技訓練の途中に、反動で腕が痛いといっただけで白亜を包帯でぐるぐる巻きにして保険館に飛んで行ったこともある。比喩ではなくほんとに宙をかけたのだ。いや宙をかけたというよりは強力な人けりでジャンプしたといったほうが良いかもしれない。本人は覚えていないようだったが、そこに居合わせた者たちは(僕もそのうちの一人だが)皆、確かに見たのだ。


 そんなこんなで、白亜はララにあまり自分のことを言いたがらない。しかしそれがララをさらに心配にさせるのだ。なんだかそんな二人を見ているとこっちはもどかしい気持ちになってくる。あれ、なぜだろう。心の中で涙が頬を伝っている。


「ねえ! 無視してないでちゃんと答えて! 何があったの??」


「別になんでもねえよ。てかそんなこと聞いてララの何になるんだよ。いっつもいつもそうやってうるさいんだよ!」


一瞬だけ教室がしんとなった。白亜の声はやはりよく響く。

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