第3話 鉄を打つ音、揺れる決意
鍛冶場は、ロードリックの工房の奥にあった。
鉄の扉を開くと、もわっとした熱気が肌を撫でる。炉の炎が赤々と燃え、作業台の上には大小さまざまな鉄材や工具が並んでいた。部屋の中央では、ロードリックが巨大なハンマーを振り下ろし、真っ赤に焼けた鉄を打ちつけている。
カン、カン、カン——
乾いた音が一定のリズムで響き、そのたびに火花が散る。力強く、迷いのない動き。ユキは思わず息を呑んだ。
「すごいでしょ?」
横でイーヴァが得意げに笑う。
「うちの親方は、この辺りで一番の鍛冶師なんだから」
ユキは黙ったまま、ロードリックの手元を見つめ続けた。
鉄を打つ動作に、まるで職人のカットワークを見ているような感覚を覚えた。均一な力加減、無駄のない動き、鍛えられた技術。それは、美容師として培った技術とどこか通じるものがあった。
「ほら、そっちで邪魔にならないように見てろ」
ロードリックは作業を止めることなく、ぶっきらぼうに言った。
ユキは静かに頷き、工房の隅に腰を下ろした。
しばらく無言のまま、鉄を打つ音を聞き続けていた。
その音が、妙に心地よかった。
——この場所に来てから、ずっと考えていた。
帰れるのか? どうやったら帰れるのか?
わからない。まるで答えが見つからないまま、時間だけが過ぎていく。
考えれば考えるほど、胸の奥が締めつけられる。
東京で開業したばかりの自分の店。ずっと夢だった美容室。それが、たった一瞬で消えた。もう二度と戻れないかもしれない。
この世界に適応する気なんて、正直なかった。
でも——
ユキは、ロードリックが使っている工具に目を向けた。
そこにあるのは、ナイフ、剣、鍬、鎌……。どれも、刃物。
でも、見たことのないものがひとつあった。
ハサミがない。
ここに来て以来、町で見た理髪店でも、使っていたのは剃刀だった。美容室のようなものはなく、床屋ですらカミソリで髪を削いでいる。
——この世界には、美容師が使うようなハサミが存在しない?
ふと、心がざわついた。
「……ロードリックさん」
無意識に声が出た。
ハンマーを振るっていたロードリックが、ちらりとこちらを見た。
「なんだ」
「この工房では、ハサミは作らないんですか?」
その言葉に、ロードリックは手を止めた。
「ハサミ?」
眉をひそめる彼に、ユキは少し迷いながら説明する。
「刃が二枚重なっていて、ものを挟んで切る道具です。紙や布を切るのに便利なんですが……」
「そんなものは聞いたことがないな」
「……そうですか」
ユキは、ふっと息を吐いた。
この世界では、まだハサミという道具が広く普及していないらしい。少なくとも、庶民が日常的に使うものではないのだろう。
——だったら。
「……もし、それがあれば、髪をもっと綺麗に切ることができるんです」
思わず、そう口にしていた。
イーヴァが興味深そうにユキを見つめる。
「髪を綺麗に切る?」
「ええ……私、美容師なんです。人の髪を整えて、もっと美しく見せる仕事をしていました」
「びようし?」
イーヴァが目を瞬かせ、ロードリックも訝しげに眉を寄せた。
「……そんな仕事があるのか」
「はい」
ユキは、自分のカットワークを思い出す。サスーンカット、レイヤー、グラデーション——。自分が培ってきた技術。それは、この世界にはまだ存在しないものかもしれない。
ロードリックは黙ったまま、顎に手を当てた。そして、しばらく考え込んだ後、低く呟く。
「……お前、本当に変わった奴だな」
「……そうでしょうね」
ユキは、自嘲気味に微笑んだ。
ロードリックは、それ以上何も言わなかった。ただ、再びハンマーを振り下ろし、カン、カンと鉄を打ち始めた。その音を聞きながら、ユキは静かに考えた。
——私は、帰れるかもしれない。でも、それがいつになるかはわからない。
だったら、それまで何もせずにいるのは、あまりにも虚しい。
この世界で、自分にできることは何か。
美容師としての技術を活かす道はないのか。
ふと、イーヴァの髪に目を向けた。
……そうだ。まずは、試してみよう。
(第4話へ続く)
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