第22話 「どこでこのニオイをつけてきた」
「ケーキ?銀は……あっ、そうか。もう分かるんだ」
少し前まで、銀には味覚がなかった。食べることはできても美味いもマズイも分からない。
当然消化吸収は一切されず、体内の保存用パックに固形化されたものが保存されるだけ。銀は定期的にそのパックをカラのものと交換するのだが、使用済みのパックを捨てずに冷凍しておけば非常食にもなるらしい。(味の保証はない)
だが少し前、文が地球を訪れた際に、技術の使用料が安くなったという事で、銀に色々な新機能をつけてくれた。味覚もその一つだ。でも食べたところでエネルギーに変換されるわけでもないし、ゴミ箱に捨てるのと大差ない。
ケーキのピンクや白のクリームが描くウネウネ模様や、砂糖で作られたかわいらしい飾りに惹かれてつい欲しいと口にしてしまったが……
「やっぱりやめる」
「え?」
尚也が何か言いたげに銀を見た。
「ケーキダメなの~?」
野々村が大げさに嘆く。太い眉が垂れ下がり、細い目は糸のようになって、ますます愛嬌のある顔つきになる。
「ダメじゃないです。けれどうちの家族は生クリームが得意ではなくて、私一人で食べるのは楽しくない」
「だったら家に友達呼んで一緒にお祝いするとかさ」
「友達、いません」
淋しそうに微笑む銀を見て野々村は(人懐こそうなのにな)と意外に思う。
「そっちの君は?銀ちゃんのカレシくん?」
「ちがいます」
「んじゃ兄弟?」
「ちがいます」
(じゃあ何なんだよ!?)
その説明は二人からもらえなかった。
そこで野々村は尚也にケーキをすすめることにした。
「どう?これ。カノジョと一緒に」
「彼女はいません」と尚也。
「ああ、だから最近はお休みの日は家にいる事が多いんだ」
納得した様子で銀が頷く。
「家にいたっていいだろ」
「前もそんな事言ってたけれど、すぐ後で別の子に告白されたって嬉しそうにしてた」
「……」
彼女いない歴もうすぐ4年目の野々村にとってはイマイマしい話だ。だが目の前の少年は、もし自分が女だったら多少チャラついていても許せてしまうんじゃないか、とうっかり思ってしまいそうな美少年だった。
(すっきり涼しげな顔しやがって。いや、こういうツラがモテんのか。まあどっか憎めないけどな)
「きみさあ。あんまり若いうちから男女交際にばっかりかまけてたら立派な大人になれないよ。他にもっとやる事あるでしょ。勉強とかスポーツとか。やってる?こういうの」
野々村は店頭でなぜかジェイソン・ステイサムばりのアクションを一人で演じ始める。思いがけないかっこよさに、つい見とれてしまった銀の袖を尚也が引っ張った。
「もう行こう。だいたいケーキってこのくらいの大きさのが5千円とかするんだろ。全然足りない」
「私持ってる」
「なんでだよ。小遣い同じなのに、なんで銀だけ」
「だって、使わないから」
「危ないから俺が預かっとく」
「尚也に預けたら一日でなくなる」
「なんだと」
ふざけて肩をぶつけあっている二人を、野々村はボケッと眺めていた。
(おーい坂茂知くん。いいのか。この子こんなところで他の男の子といちゃいちゃしてるよ)
だがその時野々村は親子連れの客に声をかけられた。ケーキの代金をうけとって店先に戻ると、二人の姿はもうなかった。
「なんだよ。一言くらい、帰るねバイバイとかあったっていいだろ?」
別に友達でもなんでもない。以前に一度、一瞬顔を合わせただけなのに、寂しがりな野々村だった。
尚也と銀はケーキ屋を後にしてぶらぶら歩いていたが、突然思いついたように尚也が言った。
「やっぱりケーキ買ってくれば」
「誰も食べないのに?」
「俺も味見したい」
「ほんとう?」
大きな目が輝いた。というわけで。
野々村のもとに銀が駆け戻ってきた。
「ひとつください」
「はーい。お買い上げありがとう」
野々村がケーキの箱にドライアイスを入れて渡すと、少女は嬉しそうにそれを両手で抱える。
「つぶさないようにね」
銀は頷くと、今度はゆっくりと歩いて去っていった。
「また来てねー!」
後ろ姿に向かって大声で叫ぶと、銀が振り向いて手をふる。野々村が懸命にそれに手を振り返していると、背後から誰かの声がかかった。
「おい。おまえ」
横柄な口調だったが、声はまだ若い女性のもの。
「はい?」
と野々村が見ると、白ギツネの化身のような女の子が立っていた。
年齢はよくわからないが多分まだ十代。真っ白なマッシュヘア。卵型の顔に少し吊り上がった目尻、瞳の色はトパーズのような金色で、陽にあたった事のないような白い肌をしていた。
浮世離れした姿に、野々村が狐の妖怪を連想してしまったのは無理もない。
少女はオーバーサイズのパーカーに細身のデニムという少年のような服装だったが、服の上からでも分かる胸のボリュームはかなりのものだ。そしてなぜか頭のてっぺんに小さな王冠が乗っかっていた。
(なんだよ。このヘンテコお姫様)
「ケーキですか?」
と尋ねるが相手はそれを無視した。
「匂う」
「はあ?」
「おまえから匂う」
「?」
(俺匂うの?)
そんな事を言われて不安にならない者はいない。
少女はつかつかと野々村に接近すると、いきなりその胸ぐらを掴んでそのまま鼻先を突っ込んだ。クンクンと犬のように匂いを嗅がれて、野々村は焦った。
(な、な、なに?)
「どこでこのニオイをつけてきた」
顔を離した少女が、妙に抑揚のない声で尋ねた。ついでにその顔には表情というものがおよそ欠けていて、野々村は段々薄気味悪くなってきた。
「あの。俺なんの匂いがするんですか?」
「タクの匂い」
「?」
「これ」
少女が手のひらを野々村に向けて差し出す。
写真でも見せられるのかと思ったら、何も持っていない彼女の手から急に音が飛び出したので野々村は驚いた。
男性の歌声だった。なかなかの美声で「こなぁぁぁゆきぃぃぃぃ♪」と歌い上げている。
少女の手のひらの上でアクリルスタンドサイズの坂茂知が、半透明の体を揺らめかせながら歌っていた。
野々村が驚いてその小さな坂茂知を見ていると、ふいに少女がもう片方の手の人指し指を淡い光を放つ三次元像に向け、薙ぐようにサッと横に動かした。
指は坂茂知の首の辺りを断ち、そして像は揺らめきながらかき消えた。
「今の坂茂知くんみたいだけど……このマジックどうやんの?」
「それ、きっとタク。どこにいる」
「いや、その前にきみは誰よ?」
「ユウリ」
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