第13話  「これってCGだよね?」

 やがて閉ざされたドアの向こうから、ギーギーガシガシ不吉な音が漏れてくるのを、哉親子は不安な思いで聞いていた。

 文は簡単に言っていたが、それでも改良が終わるまでに2時間近くを要した。二人はどうも落ち着けないまま、座っては立ち上がり、新聞を読んでもテレビを見ても頭に入らず、不安な時間を過ごした。そしてやっと哉の部屋のドアが開き、文が出てきた。

 いらいらと膝を揺すっていた尚也は、立ち上がると一瞬にして文の目の前に移動する。

「終わったんですか?」

「うーん?」

 と文。なんだか、はっきりしない答え。

「銀は?どうなんですか!」

 我知らず大声を出してしまう。文はちょっとびっくり目で尚也を見るが、すぐに表情を和らげ笑いを含んだ声で答えた。

「安心しろ。本人、まだ慣れない感覚で動揺しているようだが。おーい銀出てこい。哉と尚也が心配してるぞ」

 すると少しだけ間を置いて、ドアの影から銀の顔が覗いた。頬がほんのりと赤い。

「銀」

 ホッとした尚也がドアを大きく開こうとする。銀はびくっと震えると、ドアのノブをつかんでそのまま部屋に引っ込んでしまった。

「なんで隠れるんだ」

 気分を害した尚也はドアの影にひそんでいる銀の腕をグイと引っ張った。

「やっ!」

 銀はすごい勢いで尚也の手を振り払った。尚也は驚く。なんなのこの反応。

 その様子を見ていた文が苦笑する。

「尚也。今は銀に触らないでやってくれ。こいつ超過敏体質になってるから。もう感度サイコーよ」

 それを聞いた尚也は何を連想したのか、うろたえてうつむいてしまう。スレているようで純情な部分もあるらしい。ようやく部屋から姿を現した銀が尚也の顔を覗き込んだ。

「ごめん。心配してくれてたんだ?」

 銀が手を延ばし、かすめるように尚也の手に触れた。その感触に少し慰められて尚也は尋ねた。

「そんなに今までとは違う?」

「うん。全然違う」

 銀が答える。彼女は戸惑っていた。

 人間はみんな何かに触れるたび、そして触れられるたびに、今の自分と同じような驚きをおぼえていたんだろうか。それともこれも時間がたてば慣れてしまって、今自分が感じてるみたいな新鮮さも畏れも、薄れていってしまうんだろうか。

 バージョンアップ手術が終わった時。

「どうだ?」と、初めて自分に触れてきた文の冷たくて、でも優しい指の感触。そして尚也の強引な腕の感触。引き寄せられた時にないはずの心臓がどきりと跳ねた気がした。銀は顔を上げると突然言った。

「今から散歩に行ってきます」

「ちょっと待て」

「もう少し馴染んでからにすれば?」

 心配する文と尚也に、

「ちゃんと気をつけます」と答える。こうと決めると頑固な銀だった。

「30分だけ。それだったらいいですか?」

「わかった。行ってこい」

 答えたのは哉だった。尚也と文の抗議のまなざしを少し困った顔で受け止めながら、銀に笑いかける。

「チカンに気をつけろよ」

「はい」

 素直にうなずき、弾んだ足どりで銀は出ていった。

 そして数分後。

 文は尚也に告げた。

「尾行するぞ」

「はい」

 あらかじめ打ち合わせしていたように頷きあい、二人は連れ立って家を出ていこうとする。

「放っといてやれよ」と哉は声をかけた。万が一痴漢に狙われたとしても、銀に危害を加えることは難しいだろう。だが二人はそれには耳を貸さず銀の後を追うのだった。


 ルンルン気分とは今みたいな気持ちの事なんだろうか、と銀は思った。頬に風が当たるのを感じる。ひんやりと肌に銀地よい秋の空気。踏みしめる雨上がりの地面の感触。いつもの軽い足どりで銀は歩き続けた。

 すると学生服の女の子たちが数人、歩道で足を止め道路を指さしている姿が銀の視界に入る。

 まだ距離がかなりあったが、地獄耳の銀には彼女たちの言葉がしっかり聞き取れた。

「ねえ。あれ何?」

「なんかいるね」

「車止まってくれないかな」

 車通りの激しい道路の中央分離帯、手前の白線のあたりに一匹の生き物が。

 視力も良い銀はすぐに気付いた。

(あれはタヌキ)

 車の流れは途切れる気配もない。今にも狸が車の波の中に突っ込んでいきそうでハラハラする。少女たちは警察に頼む事にしたらしくスマホをのぞき込んでいる。

 だがその時だった。少女達の方に向かって走り出した銀は、なんの迷いも前触れもなく、いきなり狸を目がけて歩道から車の波に飛び込んだ。

「ええ!?」

「うそっ!?」

 少女たちが悲鳴のような声をあげる。

 あまりにもあまりな光景だった。おそろく幅7メートルはあるはずの道路を、銀は軽々と飛び越えた。それも行き過ぎていくトラックの屋根にもかからない高さを。目にした者は目を疑ったはず。それはジャンプというよりは飛行だ。

「あーあ」

 文が溜息まじりに笑う。

「なにやってんだよ!」

 尚也は内心頭を抱えてしまう。

 そして銀は狸を素早く抱え上げると、中央分離帯のフェンスをふわりと乗り越え、対向車線もたったの一歩で渡り終えると、そのまま道路わきに植えられた木々の合間へと消え去っていった。

 学生たちは何が起こったのか把握できない様子で顔を見合わせている。

「今のなに?」

「女の子がコッチから走ってきて、アッチ側へ飛んで行ったような」

「狸いなくなったね」

「……あ、ほんとだ」

 そして彼女たちは首を傾げながら、再び帰路へと戻っていった。何が起こったにせよ、一匹の動物の命が救われたみたいでよかった。


 だが尚也は気になった。

「今の、監視カメラに記録されてますよね」

「別に事故ったわけでもないし、誰も確認しないだろ。そのうち消えるさ」

 だが後日、たまたまその様子を目撃したらしい誰かが、ドライブレコーダーの映像を動画サイトに上げた。

 そこには狸を救出する銀の姿がしっかり映っていた。が、その顔までは判別できず、人間にしてはあり得なさ過ぎる動きだった為「これってCGだよね?」で片付けられた模様だ。

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