変身洗濯機

kou

変身洗濯機

 新しいマンションに引っ越してから、社会人の佐伯なおは最近妙な音に悩まされていた。

 それは、深夜になると、隣室からゴウン、ゴウンと洗濯機が回る音だった。

 隣は空き部屋であるにも関らず、その洗濯機の回る音だけは、いつも聞こえてくる。

 しかも、その音は毎晩のように続いた。

 洗濯機の音に堪りかね、直は管理人を呼び一緒に隣室を確認すると、1台の洗濯機があった。

 丸いアクリル窓のあるドラム式洗濯機だ。

 管理人は、

「……洗濯機のタイマーでも記憶してあったのでしょう」

 と言うと、洗濯機のコンセントを抜くのだった。

 数日後。

 直は、部屋で一人宅飲みをしていた。

 今日は恋人のあかねが泊まりに来る日だ。

 食材も買って来ると聞いていたので直はビールだけ用意し、それ以外は何も用意しなかった。

 直は待ち切れずに、すでに3本も飲み段々酔いが回ってきて、大きな欠伸をする。

 すると、洗濯機の回る音が響いてきた。

 その音は、隣室から聞こえてくるのだ。

「そんなバカな」

 直は耳を疑った。

 耳を澄ます。

 すると、やはり隣の洗濯機の音が聞こえてきた。

 まさかと思い、直は廊下に出ると隣の部屋へと行く。

 そして、迷わずチャイムを押した。

 何度も押すが、チャイム音が響くだけで誰も出てくる様子は無い。

 当然だ。

 直はドアノブに手をかけると、予想に反して鍵が開いていた。少しだけ躊躇したが、意を決しドアを押し開けた。

 室内は静まり返っていた。薄暗い廊下、誰もいない部屋には、家具はあっても生活感のようなものは無かった。

 直は耳にする。

 洗濯機の音。

 確かに聞こえてくる。

 まるで何かが中で蠢いている様な、粘りつくような重い回転音。

 直は、ゆっくりと洗濯機の方へ歩み寄った。

 コンセントは抜かれたままなのに。

 それなのに、確かに動いている。ドラム式の丸いアクリル窓の向こうで、水が渦を巻いているのが見えた。

 おかしい——。

 直は心臓が高鳴るのを感じながら、恐る恐る窓を覗き込んだ。

 そして、その瞬間——

 中から小さな手が、ぺたり、と窓に張り付いた。

「——ッ!」

 直は息を呑み、思わず後ずさった。

 小さな、幼い子供の手。その指が窓をなぞるように動き、まるで直を呼ぶかの様に、ゆっくりと窓を叩く。


 バン、バン


「……助けて」

 かすかな声が、水の中から聞こえた気がした。

 直は恐怖で硬直した。

 喉がひゅうひゅうと音を立て、叫びたくても声が出ない。

 その時——

 背後で、ドアが閉まった。

 そして、

「……次は、お前の番だ」

 耳元で、かすれた声が囁いた。

 直は弾かれたように振り返った。

 だが、そこには誰もいない。

 ただ、洗濯機の音だけが、なおも規則的に響いていた。

 ゴウン、ゴウン、ゴウン——。

 直は、次の瞬間、何かに背中を押された。

「——!!!」

 視界が回転し、彼の体は無理やり洗濯機の中へと引きずり込まれていった。

 冷たい水が、一気に直の口と鼻を塞ぐ。

 洗濯機の中で、直は必死に助けを求め丸い扉を必死に叩く。

 なぜなら、そこに影がうずくまっていたからだ。

 直は洗濯機の中で必死に叫んでいると、影は姿を変える。

 その姿を見た時、直は鏡でも見ている様な気持ちになった。なぜなら、洗濯機の外に居る人物は、直と瓜二つだったからだ。

 《彼》は落ちていたスマホを拾う。

 直のスマホだった。

 《彼》は、スマホを操作すると個人情報を確認する。直に目を向け不気味に微笑んだ。

「今から、俺が佐伯直だ」

 その言葉を最後に、直の意識は絶望に飲み込まれた。


 ◆


 スーパーでの食材と手荷物を持った茜は、部屋から廊下に出てきた直を見つけた。

「もう。どこに行ってたのよ。エントランスの鍵を開けてもらうのにインターホンを押しても出てくれないから、管理人さんに入れてもらったんだから」

 茜は、直に文句を言った。

 しかし、直は返事をしない。

 ぼんやりと茜の方を見ているだけだ。

 茜は首を傾げた。

「あれ。直の部屋、隣だよね。どうして、ここから出て来たの?」

 茜の問に直は、「ちょっとな」と曖昧に答えた。

 直の様子に茜は首を傾げながらも、最近の交友関係での噂話を口にせずにはいられなかった。

「それより直。不動産の友達から聞いたんだけど、このマンション事故物件があるらしいわよ。何でも子供を洗濯機に入れて虐待死させた親がいてね。親も親なら、隣近所も子供の泣き声や叫び声を聞いていたにも関わらず警察に通報もしなかったのよ。本当、可哀想な話よね」

 茜は、遣る瀬無い表情をするが、直は表情を変えなかった。変えずに《彼》は疲れた様に口にする。

「……子供は恨んでいるんだよ。助けてくれなかった大人達を。水に沈み、呼吸ができない恐怖、誰も助けてくれない絶望を……。ひっかえ、とっかえて思い知れって」

 直は茜の言葉に対して、まるで笑う様な震える様に呟いた。

 その様子に茜は違和感を覚えた。

「ねえ。直……だよね?」

 茜は、恋人の横顔を見る。

 しかし、《彼》は何も言わなかった。

 二人の沈黙の間には、


 ゴウン……ゴウン……


 と部屋から響く、洗濯機の回る音が響いていた。

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