第4話

「今日はなにを読んでいるの?」

「……ノイギーア空想冒険譚。空想としてノイギーアという男が書いていた話が段々現実になっていくって話。作者はジェイク・スピンドルで発行はアトモス歴八八年の柘榴月十四日。最近ではノイギーア空想冒険譚を原作にした舞台が発表されて話題になってるけど俺は実写化というのはあまり好きじゃないんだよねここがあったからこそあのシーンが活きるっていうのに大人の都合で省略されたり演者がキャラクターに愛がなくて解釈違いが起きることもしばしばだしそもそも何でもかんでも舞台にすればいいっていう話じゃないし世に出てる物語は原作者でもない誰かの金儲けの道具じゃな」

「あーごめんそこまで聞いてない」


 注文されたライムミントソーダをテーブルに置きながら尋ねてみると、倍以上の答えが返ってくる。

 普段ぼそぼそと喋るくせにこういうときだけ饒舌だ。

 そのギャップが正直見ていて楽しかったりするのだけど、放っておくと数分は喋り続けるので適度なところで止めることにしている。

 シュティルの話を遮りたいというわけではないが、前髪に隠れた彼の目に入るようにと私はクッキーを乗せた小皿を追加で置いた。


「……なにこのクッキー」

「おととい作ったアールグレイのクッキーよ。まだ余っててもったいないから、おまけ」


 体のいい処分係じゃん、とぼそぼそ呟きながらクッキーを一枚摘まんで、顔を上に向けた口の中に放り込む。顔を上に向けた拍子に彼の目が見えるかと思ったけれど、私が思っているより彼の前髪は厚そうだ。隙間もできなかった。

 シュティルの所作はお世辞にも行儀が良いとは言えない。名家のおぼっちゃまのはずなのに。


「ウィヒッ……美味しい」


 でも、美味しいの一言が聞こえてきたので見なかったことにする。笑い方は変だけど。


「はあ……早く騎士団辞めたい」

「あともう一年の辛抱でしょ? 真面目に頑張りなさい」

「やだ訓練辛い運動音痴には地獄。腕立て伏せ二百回とかまじ頭沸いてるとしか思えないせいぜい十回で充分でしょ。ああやだ向こう宿舎に帰りたくないずっとここにいたい」

「ずっとここにいられても困るし、お父様が聞いたら怒りそうね」

「俺の夢は田舎でのんびりゆったり自給自足で暮らすことだって昔から言ってあるんだから父さんも早く諦めてくれればいいのに。俺に騎士なんて無理無理。無理の無理が過ぎる」


 ぼそぼそぐちぐちと紡いで、ひとつ大きなため息。

 はあ……とネガティブっぷりを発し始めたシュティルにやれやれと苦笑する。


「しょうがないからこれもあげるわ。私、優しいから」


 ワンピースのポケットから小瓶を取り出して、クッキーを乗せた皿の横に置く。

 中には深い海のようなブルーの液体が揺れている。


「なにこれ」

「薬師の魔女イヴェット特製滋養薬。これを飲めばきっと辛い訓練も乗り越えられる力が湧くはずよ」

「……そう言って体のいい新薬の実験台じゃ」

「失礼ね、ちゃんとおばあさま直伝のレシピで作ったものよ。いらないなら返しなさい」


 シュティルの物言いにむっとしながら取り上げようとする。

 ──が、私の手よりも早く彼の手が小瓶を奪っていった。


「やだ。あんたがあげるって言ったから、これはもう俺の」


 うーん、子どもか。

 しかし、胸元で大事そうに持ちながら言う仕草はちょっと可愛いげがある。


 私がシュティルを邪険にしないのは大切なお客様だからだ。一応。

 貴重な常連だし、彼が読む本の感想を聞くのは楽しい。

 私より六歳も年下なせいか、弟がいたらこんな感じなのだろうかと思ったりもする。

 ────店主の不在中に入るのはいただけないけど。

 根はいい子だと、私は思っている。


「……ヴが……めに……くれた」


 私が提供するドリンクも、時々注文してくる料理も、全部美味しいといって平らげてくれる。

 渡した滋養薬を気に入ったのか(まだ飲んでもないのに)、嬉しそうに何やらボソボソと呟いている。

 家族を早くに亡くし、猫一匹と大人一人の生活を続けてきた私にはとても貴重な存在なのだ。


「ウィヒヒ……」


 笑い方はちょっと変だけど。

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