【番外編】本の虫令嬢は幼馴染に夢中な婚約者に愛想を尽かす

初瀬 叶

第1話 Sideデービス

〈デービス視点〉




「結婚式か……」


僕は知人兼仕事相手からの手紙に目を通しながら呟いた。

僕は同時に大切な友人の顔を思い出していた。


「メグ……」

彼女からの手紙を最後に受け取ったのは二ヶ月程前だ。さて、次の国に旅立つか……そう考えていた時に彼女からの手紙をギリギリのタイミングで受け取る事が出来た。あと一日遅ければ、彼女が教師として活躍していると知らないままだったかもしれない。

夢を叶えた親友に、僕は誇らしい気持ちになった。


一方的にこちらから近況を送るだけ……自分に都合が良いんだ、その方が。

彼女とあいつの幸せの報告は、今の自分には必要ない。


「逃げるなんて卑怯かな」

そう独り言ちて苦笑した。


あの国に戻る。それも近々に。

だけどそれを知っているのは、この手紙の送り主……サーフィス殿だけだ。


彼が出版社に勤めている事を聞いて、僕は一か八かで声を掛けた。彼は朗らかに笑って『こっちも声を掛けようと思っていたんだ』と僕に答えてくれた。


海のものとも山のものとも分からぬ僕に『何か書いたら送ってよ』と彼は気さくに応えてくれた。図書館で顔見知りになっただけの僕に。

人と人との繋がりというのは、本当にありがたい。祖国に別れを告げてあの国で暮らしたからだ。……今の僕があるのは。


幼少期から……本だけが友達だった。積極的に虐められた訳ではない。だが『無視』というのは自分の存在を否定された様で苦しかった。

僕以外で家族団欒が繰り広げられて……まるで透明人間になったかの様な気分で僕はずっと過ごしていた。


ルーベンス子爵が手を差し伸べてくれて……本当に嬉しかった。それを素直に表現出来る様になったのは……彼女に出逢ってからだが。


『本の虫令嬢』

眼鏡を掛けた彼女はいつも俯き加減で……まるで子どもの頃の自分を見ている様だった。最初に気になったのはそれがきっかけだ。


しかし彼女は本の話をする時だけは饒舌になる。伯爵令嬢だというのに、血生臭い戦記物が好きな事が意外だった。

自分で気付いているのか分からないが、彼女は本を一度読むと、内容の殆どを覚えていた。ある意味特殊能力だと思ったが、彼女は『本が好きなだけだ』とはにかんで言っていた。


彼女を思い出すと……胸が少し苦しくなる。あぁ……僕はまだ彼女に未練があるらしい。







「僕はデービスって言うんだ。君は?」


図書館で度々見かける彼女に声を掛けたのは、幼少期の自分の姿に重ねていた事もあるが、もう一つは好奇心からだった。


正直……どうやって人とコミュニケーションを取れば良いのか分からずに育ってきた。

ルーベンス子爵の家族はとても良い人達ばかりで、皆が温かく僕を迎え入れてくれていたが、壁を作っていたのは僕の方だ。そんな僕が何故か眼鏡の彼女から目を離せなくなっていた。それは彼女がとても楽しそうに本を読んでいたからだ。


急に声を掛けられて、彼女は少し目を丸くしていた。その様子が可愛らしかった事を今でも覚えている。



「私はマーガレット・ロビーと申します」

丁寧な自己紹介をして、彼女は頭をペコリと下げた。貴族の令嬢だというのに、彼女は頭を下げる事にあまり抵抗はない様だった。


しかし彼女は直ぐに僕への興味を失ったかの様に、今読んでいた本に視線を戻した。


彼女との最初の会話はこんなものだった。


その内、図書館で目が合えば会釈する間柄になった。

彼女は図書館司書のサーフィス殿とは笑顔で話をする。そんな彼を羨ましく思うようになってしまった僕に、自分自身信じられない想いだった。



自ら誰かと積極的に関わる事など皆無だった僕が勇気を出す。いい歳をして……と笑われるかもしれないが、僕の人生にとって大きな一歩だった。




「彼女のウェディングドレス姿か……きっと綺麗だろうな」


独りで居ると独り言が多くなってしまうのは、何故だろう。僕はあの『夏の夜会』での彼女のドレス姿を思い出していた。僕の瞳と同じ色のドレスを纏った彼女はとても美しかった。


『本の虫令嬢』

彼女がそう呼ばれている事を知ったのは、彼女と言葉を交わすようになった頃だった。彼女の婚約者は彼女を放置して幼馴染に夢中だという。『本の虫令嬢』という通り名が彼女を揶揄している表現である事は間違いなかった。



彼女を婚約者から盗ってやろう……なんて考えはなかったんだ。ただ彼女の笑顔が見たかった。それが僕に向けられるものなら、それは殊更、素晴らしい筈だとそう思うようになっていた。


せめて友人と思ってくれているかな?


何食わぬ顔で夜会に誘った僕が本当は内心ドキドキで心臓が口から飛び出しそうだった事を彼女は知らない。


「ハハハ。あの時の僕は……どうかしてたな」

そんな言葉が大きく開けた窓の風に攫われる。


彼女がたとえ自分を顧みない婚約者に愛想を尽かしていても……僕との未来なんて考えてくれる筈はなかったのにな。

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