祈哀硝空


「野上……!」


屋上のドアが風に叩かれ、インクが飛び込んできた。

乱れた息のまま、彼は立ち尽くす。野上はフェンスの向こうに座っていた。遠くの空を見て、笑っていた。


「来ないでよ、インク。もう、全部わかったんだ」


「やめろ……! やめてくれよ! お前、こんな場所で終わっていい人間じゃないだろ!」


野上の目がわずかに揺れた。しかし、すぐにそれは押し殺される。


「僕は、誰かを傷つけてきた。何も知らずに、ただ自分が認められたいってだけで。なのに……“更生”って、こんなものなの?」


「違う! 俺は違う! 俺は“お前の味方”でいたいんだよ!」


そこへ、背後から足音が響いた。

クワガタ軍団のクフリンと古谷が無言で立っていた。白いコートに赤いワッペン、“矯正官”の証。


「……まだこいつと話してるのか?」クフリンが言う。目は冷たい。血も涙も感じさせない。


「インク。そいつは“更生対象”だ。感情移入するな」


「お前ら……どこまで狂ってんだよ……!!」


インクが歯を食いしばる。


「こいつは“人間”だぞ! お前らみたいに、数字で裁かれる“対象”なんかじゃねぇ!!」


古谷が吐き捨てる。


「黙れ。あいつは何度もチャンスを捨てた。更生プログラムを拒絶し、自主反省もせず、今さら“感情”とか“許してほしい”なんて虫が良すぎる」


「お前らが……追い詰めたんだろ! お前らが、“救い”のフリして殴り続けたからだろ!!」


野上が小さくつぶやく。「いいんだよ、インク……僕は……もう“僕”じゃないから」


インクが泣きそうな声で叫ぶ。


「やめろ! 野上、お前は俺の中で、ずっと“野上”なんだよ……! なあ、俺たちでまた始めよう。お前の居場所、俺が作るから!」


「優しいね……君は」


野上の体が、光に包まれはじめた。まるで粒子のように、消えていく。


「でも、それだけじゃ……間に合わなかったみたい」


――ドンッ


光が爆ぜ、野上の姿は空に吸い込まれるように“消滅”した。


インクはその場に崩れ落ちる。「……っ、ああああああああ!!!!」


クフリンが言う。「これで一件落着だな。報告には、“プログラム拒否後の精神崩壊による自己喪失”とでも書いておこう」


「おい……ふざけんな……!!」


ライヒが現れた。静かに、だが凄みを帯びた声で言う。


「それを隠蔽って言うんだよ。お前らがやってるのは正義なんかじゃない。“処分”だろ」


古谷が一歩前に出た。「我々はシステムに従ってるだけだ。罪を悔いない者には、相応の結果がある」


「じゃあ訊くが」ライヒが睨みつける。


「野上は本当に、“悔いてなかった”か? 誰の目でそれを決めた? お前らは“神”じゃねぇんだよ」


インクが、涙の中で呟いた。


「俺たちが……もっと早く、ちゃんと守ってれば……」


ライヒはインクの肩に手を置く。


「インク……ガラスってのはな、一度割れたら元に戻らねぇ。でも、光が通るようになる。そう信じて、お前は野上を見てた。それだけで、お前は間違ってねぇよ」


クフリンたちは何も言わず、背を向けた。消えた命。ねじ曲げられた正義。塗り替えられる記録。


だが、インクとライヒの心には、野上の声が残っていた。


『ありがとう。最後まで……僕の“声”を聞いてくれて』


空に、涙のような光が流れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る