第9話 マーク・フォスター博士ー①

ユージンに呼び出して早々、皮肉っぽく吐き捨てた。


「うちのボスは、なぜかこんな雑務を引き受けるのが好きらしい。」


彼は相変わらずの無表情だが、呼び出しておいて酷い言い草だった。


「対象は経済学者のマーク・フォスター。第三国で行われる経済シンポジウムに参加する。そこでの護衛任務だ。」

「学者をわざわざ暗部が護衛するのか?」


ジャックが淡々と問いかける。

その言葉に、リツも心の中で同じ疑問を抱いていた。


「なぜか、な。」


ユージンは腕を組む。

普段は冷静な印象だったが、その顔には理解しがたいと書いてあった。


「影に徹し、敵を潰すのが俺たちの役割だが、見た目のせいか、うちのボスを舐めている奴らがいる。」


彼が忌々しげに言った。

乱雑な動きで書類を机に投げ、深い溜息を吐く。


ユージンは、暗部にあっては珍しくその経歴を遡れる人物だ。

中等教育から士官学校へ進み、逸脱も挫折もなく、一直線に軍務を歩んで暗部に配属されたらしい。士官学校在籍時の成績も優秀そのもので、強い忠誠心と高い統率力から将来の幹部候補とも目されていた。その経歴もあってか、“裏”を任される立場となった今でも、彼の中には軍組織への誇りと信念が根強く残っている。

少し生きづらそうな人物だった。


「まあ、リツにとってはいい任務だろう。」

「…そうですね。」


気分を切り替えるようにそう言うと、必要な書類の端を揃えて綺麗に置き直してユージンは去って行った。

神経質な行動の端々に彼の人間性が見て取れた。


「なあ、これ”計画”の一部かな?」


リツが資料を読み込んでいると、ジャックは書類を一瞥しただけで「十分だ」と呟いた。

「知ってるのか?」と問いかけても、「さあな」とだけ返ってくる。


ジャックはリツが知る以前からエバーグリーン計画について知っていたはずだ。

何か知っているのかもしれないとの疑念が頭をよぎるが、何も告げられることなく任務へと向かった。



§



エルトリアの首都、ビュニス空港で対象ターゲットと落ち合う。


「フォスター教授でしょうか?」

「ああ、私がマーク・フォスターです。いや、君たちが護衛の方々だろうか?」


フォスター教授は穏やかな人物に見える。


「はい。このシンポジュームの期間中ご一緒させていただきます。」


博士はリツをザッと頭の先から爪の先まで見た。


「あの、何か?」

「いやね、軍警察の方と聞いていたのでもっと高圧的な人たちからと思ったら…君たちは私の学生と変わらなさそうだから驚いてしまった。」


そう言うと軽く笑う。

教授というのでもっと厳めしいひとか変人のようなものを想像していたが、学校の先生のようだった。


「もちろん、悪い意味ではないよ。私も護衛を付けるなんて仰々しいと思っていたから、学生と一緒だと思うぐらいが気が楽だ。短い期間だが、よろしく。」


ジャックも無難な挨拶をすると、三人は早速、席へと着き、飛行機は飛び立った。


この任務では、リツとジャックの身分は軍警察の所属と言うことになっている。

ユージンの言う通り、海外での護衛任務は、軍所属の警察組織が行うのが通例のようだ。


リツとジャックが派遣されたのには、何か理由があるはずだ。

しかし、ユージンやセシリア、リリスからの個別での接触はない。


もし、何か意図があったとしても今回こそは自分たちで何とかする必要があると言うことだ。


リツは気を引き締めた。



無事、第三国への入国した。

かの国は、広大な内陸に君臨する資源大国であり、中央集権的な帝国を築き上げている。


「街並みが豪華ですね。」


ヴェストリアの首都ゼレングラードは、歴史的な文化財が多い印象だったが、こちらはこちらできらびやかな建物が目立つ。


「君たちは初めてかい?私も初めてここに来た時には驚いたよ。」


博士は簡単に街並みを紹介してくれた。

ちょっとした遠足気分だ。


(これから三日間、この街で過ごすんだ。)


今回のシンポジュームでは、エルトリア共和国、ヴェストリア連邦そして第三国の著名な経済学者が集まり、論文発表を行う。三日目には、最も優れた発表を行った者が表彰される予定だ。


フォスター博士は、エルトリア共和国の政策外部委員にも任命されており、国を代表する国際政治経済学の学者として招かれていた。


シンポジュームは、あくまで学術的な集まりであり、招待客なども事前にチェックしたが、政治的、軍事的な要因は無いように見えた。


(ヴェストリア連邦がわざわざ狙う理由は無いように思えるけど…。)


だが、何かの理由で第三国の人間が博士を狙わないとも限らないと緩んだ気持ちを一括する。第三国は、エルトリア共和国とヴェストリア連邦の双方に対して中立的な立場を取ることで影響力を拡大している。表向きは学術・経済交流を推進するが、実際は両国の動向を監視し、争いの均衡を保つことで自国の利益を最大化しようとしているとユージンは言っていた。


今回の護衛任務に関して、敵に関する情報はほとんど皆無と言ってよかった。

というのも、何故博士を護衛するのかについて全く情報が下りてこず、また博士の過去を遡っても人から狙われるような経歴も見当たらない。


可能な限り全て警戒するという緊張感にリツたちはさらされていた。



開会式を迎えると以降はホテル内で様々な登壇者の公演を聞いて回る。


経済学など聞きかじったこともなかったリツにとってはどれも目新しく聞こえた。ジャックは意外にもたまに博士に質問しており、こう言った話にも強いのかもしれない。


シンポジューム初日は、大きな問題も起きず拍子抜けだった。


「もし、何かあるとすれば明日かな?」

「ガラディナーか。」


明日は、参加者が一堂にかえす晩餐会が開かれる。

音楽や演劇などの余興もあり、人の出入りも激しい。

つまり、狩る者にとって有利な状況だ。



§



基調講演が終わるとホテルの別室へと来賓客たちは移動する。


華やかなシャンデリアが燦然と輝き、金銀の装飾が施された大広間は招待客でごった返していた。高級ワインの香りが漂い、クラシカルな音楽が静かに流れる。


博士は、リラックスした様子で中央のテーブルで他の学者たちと談笑中だ。


「派手な場だな。」


ジャックは今日も高貴な雰囲気を漂わせこの場に馴染んでいた。

しかし、宴会場の雰囲気とは対照的にその目の奥は冷淡なものだ。


リツは広間を見回す。

和やかな空間。しかし、それが逆に不穏だった。


「あまりにも何もなくて逆に不安になってきた。」


呟くリツの視線の先で、一人のウェイターが不自然な動きをする。

給仕係の制服を着ているが、歩き方がぎこちない。

テーブルの合間を縫うようにして、博士へと近づいていく。


「ジャック。」


ジャックは何にも言わないが、同じ方向に視線を向けていた。

今回、リツは訓練している最新の獲物を持ってきていた。


―――消音式電磁スタンガン。

ほぼ無音で発射可能な弾丸は、微弱な電磁波を発生し、神経を過剰に刺激する。

暗部の最新技術が使われた非致死性の武器だった。


暗部の技術を、非致死性の武器にわざわざ使うのはお前ぐらいだとユージンには、嫌味を言われた代物だ。


初めての実践にピストルのグリップを握りこむ手に力が入る。


近づくウェイターが手にしているワインボトルのラベルに微妙な違和感があった。

少し剝がれかけているそれは、この会場には不釣り合いなものに見える。


(もしかして、毒⁈)


警戒しながら、博士のテーブルへと静かに近づく。

ウェイターがグラスにワインを注ごうとする――その瞬間。


「ちょっと待ってください!」


リツは咄嗟に声をかける。


「失礼ですが、そのワインはどこのものですか?」


ウェイターの手が一瞬止まる。周囲の視線がリツに集まった。


(やばい、目立ちすぎたか。)


額に冷や汗が流れる。

しかし、その瞬間―――


「おや?」


フォスター博士が笑いながらワインボトルを覗き込む。


「これは帝国王室御用達の特別醸造酒だ。通常は一般には出回らない貴重なものだが……おお、これは素晴らしい!」


博士は嬉々としてグラスを手に取る、ウェイターは少し戸惑いながらもグラスに注いだ。

リツはその様子を見て、全身の力が少し抜けた。


(……なんだ、ただの貴重なワインだったのか。)


「いやー僕も初めてなんだ、君も飲むかい?」


博士に助け船を出してもらう羽目になった。


「いえ…先生お騒がせしました。」


博士の周辺の人々に和やかな雰囲気が戻った。

気配を消すようにしてジャックの元に戻る。壁の花だ。


ジャックがリツの肩を軽く叩く。


「早とちりだったな、駄犬。」

「……うるさい。」


リツが気まずげに視線を床に落とす。

博士はワインを一口飲み、満足げに微笑んでいた。


(まあ、何もなかったなら、それが一番いいんだけどな……。)


ジャックが小さく笑い、ワイングラスを揺らす。

悪くないと呟いてワインを楽しんでいた。


「毒が入っていても知らないぞ。」


リツが毒づく。ジャックは鼻を鳴らす。


「次は、もう少しスマートにやれよ?」


言い切るジャックにリツは内心でため息をついた。

ジャックが妙にここ数日落ち着いているのも腹が立つ。

リツだけが真剣に任務に取り組んでいるようだった。


(今日一日、結局、何もなかった………。)


今回の護衛任務はユージンの言うようにただ押し付けられただけなのだろうか。

平和なことは良い事だが、何かあるのではと勘ぐってしまう。


「明日が最終日だな。」


三日目は、フォスター博士の発表がある。

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