第5話 ヴァストリア連邦ー②

ゼレングラードは、かつてヴェスタリア連邦とエルトリア共和国が一つの国であった時代の旧市街地であり古い街並みが美しい。


その景色を眺めながらもリツは思いつめた表情のままリリスからのメッセージについて考えていた。結局、暗殺任務とリリスからメッセージという矛盾した二つの課題を前にどうすべきかジャックと話し合いを出来ないまま、アルバートからの招待の日を迎えていた。


今回の邸宅への訪問は、あくまで事前調査の一環ということで互いに納得しているが、このままではジャックはまた躊躇なく任務を遂行しようとするだろう。


リツの不安は解消されることのないまま、無情にもゼレングラードの中心地の外れにあるアルバートの屋敷に付く。ゼレングラードの歴史ある貴族たちの屋敷とは打って変わって、武人らしく少々無骨だが装飾の少ない屋敷の外観は好感が持てた。


通された晩餐会の会場では、アルバートとその部下たちが並んでいる。


「今晩は楽しんで行ってくれ。」


手短にアルバートが乾杯の音頭を取る。

部下たちもこのタウンハウスで宿泊しているが、アルバート自らもてなしてくれるようだ。


出てくる料理もまた主人に合わせてか、シンプルな味付けのものが多く、こう言った場に慣れていないリツでも食べやすかった。


「―いやはや、エドワード君は本当に話が上手い。聞き入ってしまうな。」

「いえ。お褒めいただき光栄です。」


エドワードことジャックは、次男坊だが生粋の英国貴族の出身だった。

ランドルフの館に行った時も落ち着き払った様子だったのは、本当に慣れていたからだ。



和やかな雰囲気のまま食事会は終わろうとしていた。

ジャックは本物の医者であり、この世界での医療技術も暗部で学んでいるためか不安なくアルバートとの会話を回している。また、質問されてはかなわないが、あえてアルバートやジャックへの質問は自ら買って出ることで、リツも自然と会話へと参加していた。


メインが終わり、デザートが運ばれて来るまでには少し間がある。


アルバートの部下2名が席を立った。


(お手洗いか…。)


誰も警戒した様子が無いのであまり気にしていなかった。

屋敷の探索のためにも、少しリツも席を立とうかと腰を浮かせる。


しかし、間の悪いことに、見習いのフットマンとも割れる人物がデザートのワゴンを押して部屋に入って来る。先ほどまではちゃんとしたバトラーが対応していたので、見習いが急に任され緊張しているのだろうと適当に当たりをつける。


極度の緊張のためかカタカタとワゴンは無駄に音を立てていた。


フットマンが蓋を開けるのと、武装した男たちが晩餐会の会場に入ってくるのは同時だった。


「なっ!」


銃を向けられ、皆硬直する。デザートのワゴンに乗せられた銃をフットマンだと思っていた男も手に取る。


(完全に制圧された…。)


アルバートを狙う第三の勢力によるものだ。失態だ。

事態を打開し、この勢力についても調査をする方法を考えていると、押し入ってきた者たちの後ろから現れたのは、先ほど出て行ったはずのアルバートの部下だった。


「どういう事だ?」


流石、修羅場しゅらば慣れしているのかアルバートの声は一切震えることはない。


「中将、あなたにはエルトリア共和国の“統合派”と密約を交わしているとの疑惑が上がっています。」

「とんだ濡れ衣だな。」


アルバートは笑い飛ばすが、敵は真剣なようだ。


「あなたが密約を交わしていないのであれば、なぜ、レンツェオではいつも致命的な負傷者が出ない!交戦にならないではないか⁈」


問い詰められているというのに、アルバートは後ろめたい所は無いのか、落ち着いた態度が崩れることはない。


「それは、互いに力が拮抗しているからだ。」

「いいや違う!あなたが中将としてあの地を治めるようになってから、明らかに、こちらだけでなく、敵の死傷者も減少している!あなたの策略だ!」


全てを理解する事はできないが、状況から判断するに、アルバートはエルトリア共和国とヴェストリア連邦の“統合”を目指す派閥に属している可能性がある。


両国は現在では過度な緊張状態にあるが、数十年前までは一つの国だったらしい。

そして、どちらの国でも自国を守るもしくは互いを併合するという強硬派が主流だが、一部統合という和平的な形を目指す人々もいるのだ。


(そうであれば、リリスさんのメッセージは…意味がある!)


思わずジャックの方を見ると、彼もこちらを見ていた。

同じ事を考えているはずだ。


「列車の事故、この襲撃もお前たちだけで考えたのではあるまい。誰の指示だ。」


今銃口を向けているのがどちらか分からなくなるほどの威圧感があった。


「う、上の決定だ。」

「強硬派の奴らか。」


アルバートは、忌々しげな表情で告げた。


「お前たちも先日の爆発では、命を狙われたというのに大層なことだな。」


そのセリフで確信する。

やはりあの暗号解読結果に間違えは無かったのだ。

リリスからの指示は、アルバートを守る事だ。


「あんたは、見知らぬ奴らをここに呼んでくれたからな。そいつらをエルトリアの諜報員に仕立てて、あんたは襲われた事になる予定だ!」


(あながち間違えじゃないんだよな…。)


リツとジャックが暗部の人間である事はバレていないようだが、あまりにも事実と一致するシナリオに背筋に嫌な汗が流れた。


「一般人まで巻き込んでなんとバカな事を。そんなに私が怖いか。」


アルバートの淡々とした様子は、もはや恐怖すら感じさせた。


狼狽うろたえるな!この屋敷を占拠しているのはこちらだ。やれ!!!」


男の号令で銃が放たれる。

アルバートとその腹心たちも携帯していた銃で応戦する。


「隠れなさい。」


アルバートの言葉通り、リツは椅子を盾に机の下に逃げ込む事しかできなかった。


アルバートの的確な指示で応戦しているようだが、銃弾の嵐になす術がない。

このままではアルバートが殺されてしまう。



ジャックが机の下に潜り込んできた。


どこからかメスを取り出すと、机の下から敵の足元を狙って投げる。

想定外の攻撃に敵の陣形が崩れてた。


そこからは一瞬だった。

アルバートと残った部下たちが敵を制圧していく。



―――”ヴァストリアの砦“は伊達ではないのだ。



銃弾が止み、やっとの思いで机から這い出ると、アルバートの部下に囲まれる。


「君たちが何者か聞かせてもらおう。」


ジャックのメスを見逃してはくれないようだ。


皮膚をヒリヒリと遠くから熱で焼かれるような感覚に襲われた。

原因である銃口を下げるつもりはなさそうだ。

ここで初めて、連射した後の銃口は熱を持っていることを知る。


喉がカラカラに乾いているのに、汗が噴き出る。

先ほどまでの食事が食堂から逆流してくる錯覚に襲われた。


「統合派とのやり取りは、捕虜を通じてレンツェオの病院で行われる…違いますか?」

「………この後に及んでも情報を引き出す事に徹するか。」

「レンツェオでは、昔はほとんど無かった捕虜交換の頻度が増えているのは知っています。」


押し入った男たちが死傷が減っていると言った主な原因は、捕虜として生け取りにしている事にある。

念のためレンツェオの前線に関する情報を集めておいた自分を褒める。


「人は裏切ります。ですが、あなたであれば偽の情報を渡すよう、部下たちに事前通達しておいて、その中に情報を紛れ込ませることができる。」

「ふむ。筋は悪く無い。」


そう言うとこちらに近づいてくる。


―――ッガ!


無理やり開かされたリツの口の中にはアルバートの銃口が刺さっていた。

嫌な鉄の匂いが口いっぱいに広がる。


(銃口の味なんて知りたくもなかった。)


「もうお喋りも飽きただろう。お前たちは何者だ。」

「…エルトリア暗部の”イヌ“だ。」


リツに変わって答えたのはジャックだった。


「君たちも私の命を狙うか。殺されるとは思わないのか?」

「どっちにしろ任務が失敗すれば爆発される身だ。」


そう、そもそもアルバートを守る必要があると同時に殺さなければいけないのだ。

絶対に同時には成立し得ないものだった。

その時点で、リツとジャックの命はほぼ尽きたも同然なのだ。


「エルトリア共和国もそう良い国では無さそうだな。」


やっと、無理やり広げられていた口を閉じることが出来た。

口内が少し切れ痛みが走る。


「けど、あなたは統合を目指している。」

「…統合などと仰々しい。元々は同じ国だ。」


やはり、彼は"統合派"なのだ。


「取引しませんか?」


リツの口を吐いて出た。アルバートの思惑は分からない。

ただ、利害が一致する可能性にこの場はかけるしかない。


歴戦の軍人がまとう覇気に圧倒されそうになる自分を心の中で叱咤する。


「あなたは今日部下を殺した。このまま今のポジションにいることは難しいはずです。」

「私が襲われたのは事実だ。彼らも交戦に巻き込まれた事にすればいい。」

「強硬派がそれを鵜呑みにしますか?」


今回部下を敵側に取り込まれていた事実は、アルバートにとっても重いはずだ。

そんな不安定な状況下で、彼は今後も爆弾や屋敷の襲撃を厭わない連中をやり過ごすことが出来るのだろうか。


アルバートは少し間を置いて、手で合図をする。彼の部下たちが銃を下した。


「僕たちの任務は、あなたを殺す事。そして直属のボスからの指示は、あなたを守る事。憶測ですが、こちらとしてもあなたに野垂れ死なれては困ると言う事だと思います。」


緊張で舌が上顎に入り付く。


「………どこまで用意できる?」

「今すぐ渡せるのは、とっておきの身分証だけです。」


取り出したのは、一般人のものとは別の行政の関係者の身分証だ。

いざと言う時、どこにでも入れるお守りと言ってリリスから渡された物だった。


「その程度であれば、こちらも準備済みだ。だが、念のためもらっておこう。」


リツの胸元から身分証が抜き取られる。

若干年齢の設定が高いのは詐称する身分が高いせいかと思っていたが、アルバートであればピッタリだった。


―――どこまでリリスは見越していたのだろうか。


「君たちは私に死んでもらう必要があるんだったな。」

「ええ。」

「では、もうこのタウンハウスも用済みだ。」


そう言うと、部下たちが動き出す。


「好きに散れ。君たちが生きていると分かれば疑われるぞ。」


アルバートの言葉を受け取り、足早に屋敷を後にする。


屋敷の方では爆発が起こり、煌々こうこうと輝く炎が夜の闇を照らしていた。



§



「お守りはちゃんと役に立ってみたいね。」

「あの………。」


アルバートのことを聞きたいが、直接的に尋ねても良いものか戸惑っているとリリスは続ける。


「ん?ああ、最近ヴィクターという人からは連絡があったわ。」


あの日、アルバートに渡した偽名だ。

無事に脱出し、こちらとも連絡が取れているようだ。


「任務も無事完了したみたいだし、良かったわ。まだ、正式には公表していないけれど、あちらは“砦”を無くしててんやわんやみたいよ。」

「………そうですか。」


暗部が掴んだ情報によれば、どうやったのかは不明だが、ヴェストリア連邦内では、アルバートは焼死体として発見されており亡くなった事になっていた。

リツはずっと気になっていたことを尋ねる。


「あの、リリスさんは”統合派”なんですか?」


真っ直ぐに彼女を見つめる。

謎めいた微笑みが深まる。美しい唇に人差し指が当てられた。


「ナイショ。」


そう言うと退出を言い渡された。

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