第16話 ジャックの過去ー③
ヂャオと岳と共に訪れた医務室では、ジャックが片づけを行っていた。
(来たけど、どう聞けばいいんだ…。)
リツは言うべき言葉を探すように視線を彷徨わせる。
「お主、何故死んでおらん?“イヌ”同士で乱闘など爆破対象になるはずじゃが?」
(ヂャオさん⁉︎)
「…女帝。急にどうされましたか?」
ジャックは、今までに無いほど冷めた口調でヂャオに返答する。
だが、メスを道具箱に入れようとしていた手は動かない。
リツはヂャオを庇うように早口で告げた。
「さっきアリスちゃんとエリック君に会ってきたんだ。それで、あの子達から話を聞いたんだ。」
ジャックがため息を吐いた。
「“イヌ”を攻撃したって聞いたけど、何があったんだ?任務だったのか?」
(なんで、そんなに隠すんだよ?)
ジャックはむっつりとした表情のまま話そうとしない。
「“イヌ”は、爆破が可能な以上わざわざ任務として消す必要はない。つまり、偶発的に相手を攻撃することになった。リツの前のバディが死んだのもその頃じゃ。何があった?」
ヂャオは淡々とジャックに迫る。
「あの孤児院が出来たのも丁度一年ほど前じゃ。そして、あそこは殆どあの小童たちのために作られたのじゃろう。お主、
確信を持って尋ねられた。
「“計画“に乗ったか?」
リツの目が見開く。
「ははは!リツ、お主は本当に素直じゃな!これでは毒針の出番もないわ!」
ヂャオは初めて会った時と同じように、見た目に似合わぬ豪快な笑い方でリツを笑い飛ばした。
毒針と言われ、ヂャオの方をよく見ると袖口に光るものが見える。
初めて見た彼女の獲物にリツは息を呑んだ。
ヂャオからは一切の殺意を感じなかった。
岳も呆れ顔でリツの方を見ている。
先日のピーノの件もそうだが、仲間同士であっても暗部に安息の場は無いのだ。
ジャックは観念したようにため息を吐いた。
「ええ。彼らに教育を与える事、そして私への刑を執行しない事を条件に、エバ―グリ―ン計画に全面的に協力する契約を結びました。もし、逆らった場合、エバ―グリ―ン計画に都合悪いことを実施した場合は即刻刑が執行されます。」
「ふむ。やはりお主はこちら側であったか。」
「え⁈ヂャオさんたちも?」
ジャックは、リツよりも前に計画を知っていた事は想定していたが、まさか契約があったとは想像もしていなかった。
しかも、先ほどの口ぶりから察するにヂャオたちもエバ―グリ―ン計画に加担していたのだ。
「刑部の全面的な権限の委譲は、計画への協力の交換条件ですか?」
ジャックの問いかけにヂャオはしたり顔で答える。
「そうじゃ。わしは”呼ばれた“時点で、
(ずっと準備してきてきたと言っていたけど、本当にそんな前から…。)
「面白そうな話じゃったから乗ってやったのじゃ。戦はその後の治世のためにあるようなものじゃ。男どもはそれを分かっておらぬ奴らが多くて敵わん。」
政治でも剛腕を振るった則天武后らしい物言いだった。
「わしは、武に優れた側近と権限を求めた。つまり、岳と刑部じゃな。お主は何があったのじゃ?
ジャックは紅茶を準備しに席を立つと口を開いた。
§
ジャックがこの世界に来てから困った事の一つが、ティータイムという文化がない事だ。
皆コーヒーを好んで飲んでおり、紅茶を手に入れることは出来るが、ジャックの求める品質に達しているものは未だ無かった。
街での任務帰りに紅茶屋を見つけた時は、感動や喜びよりも、やっとまともな物を飲めるという
「お前の用事に付き合わなくても良いだろう?」
この世界に来て4人目となるバディは、軍部の門が見えなくなるとすぐに、どこかへ消えていった。
これまでのバディは、任務や反逆行為による爆破など理由は様々だったが、多くは長続きしなかった。
今回のバディも血の気が多く、自分とは相容れないタイプだ。
正直、
相手のことはよく知らないが、どうせ碌でもない人間である事は間違えなかった。
街では、俗世を離れ紅茶の時間を楽しんでいた。
ただ、いつの頃からかバディが帰宅の約束時間に遅れることが増えていた。
2人で揃って戻らなければ、爆破対象となりこちらも被害を被るのだ。
面倒だと思いながら、相手に時間通りに動いて欲しい旨を伝える。
「ああ、良いぜ。その代わり、少し手伝えよ。」
そう言われて、指定された時間の10分前に所定の場所に向かった。
すると、バディであるはずの男が少女に襲いかかる場面に遭遇したのだ。
少女はボロボロの服に、青白い顔のまま男にその細腕を締め上げられていた。
「何をしている。」
脅すように低い声が出てしまうのも必然だった。
昔の光景がフラッシュバックする。
「あん?お前も普段やってる事じゃねぇか。締め上げて遊ぶんだよ。」
当然だが、暗部の人間が一般人に手を出した事が分かれば”首輪“が火を吹くことになる。
自分が手を出すまでもない。
だが、目の前の少女の絶望に染まり切った顔に、ジャックは弟の顔を思い出していた。
§
ジャックの母は、モンタギュ―家当主の元には二番目の妻として嫁いだ。
母は、あの男を大層好いていたらしい。
しかし、あの男は元妻への思いを捨てられずにいた。
そこから家族愛でもはぐくむことが出来れば、美談、よくある家庭として自分たちも過ごせていたかもしれない。
だが、その夫婦は始まりから
母は、男の元妻の友人だった。だが、長らく男への片思いを患っていたらしい。
男の元妻は、愛嬌のある人物ではあったが、母ほど美人ではなかった。
それでも男が選んだのは元妻だった。
元妻は当初20を過ぎて生きて行けるか分からないと言われる程の大病を患っていたが、男の愛を受け生きた。必死で生きた。そして、男児を生んだ一年後に彼女は天へと昇っていた。
母の
母は、結婚もせず、子供もおらず、ただ男の傍にいることを選んだ。 それが彼女なりの愛の形だったのかもしれない。
男の元妻が病で世を去った時、母はようやく彼の腕の中に入る。 深く悲しむ男を慰めるという名目で母は彼の人生に入り込んだ。 そして、ほどなくしてジャックが生まれた。
しかし、母が望んでいたような愛はそこにはなかった。
男が心の中では今も亡き元妻を愛していただけならばまだよかった。男は、母の想いをどこからか知り、母を嫌悪するようになった。時には、元妻の死さへ母のせいだと考えているような言葉を向けることさえあった。
それでも母は、自分こそが選ばれるべきだったと信じ、男の心を手に入れようと必死だった。
その結果が、歪みきった家庭だった。
ジャックは、母の愛を知ることができなかった。 母は父の愛を欲してばかりで、息子であるジャックに本当の意味で目を向けることはなかった。 父は父で、ジャックに対して淡白だった。 まるで亡き元妻との間に生まれた長男しか、本当の息子として認識していないかのように。
兄は、父の愛を一身に受ける存在だった。
兄は元妻と同様に、人が力を貸したくなるようなそんな人物だった。
勉強もそこそこ、話がとても面白いわけでもない、運動が出来るというわけでもない。
だが、人を惹きつける何かを持った人だった。
母は、ジャックを通して父の関心を引こうとした。
ジャックが優れた子供なら、父は自分を見てくれるのではないか。 そんな浅ましい願いが母の態度ににじみ出ていた。
美しい顔を引き立てるように、音楽を習わせ、長男に負けないように勉強をさせ、ありとあらゆる者の上に立つものとして恥ずかしくないよう全てで勝利を収めるよう求めた。
ジャックは恵まれた子供だった。神は彼に二物を与えた。
母の期待に応えるように彼は全てを手にしていった。
それでも振り向かない父に母は絶望した。
そんな時だ。ジャックに歳の離れた弟が生まれた。
そこから本当の地獄の始まりだった。
男は、母が他所の男の子を孕んだと騒ぎ立てた。
兄は早々に寄宿学校に入れられており、夫婦に気を使うべき相手はいなかった。
屋敷には怒号が響き渡り、いつしか男は屋敷に寄り付かなくなった。
母のすすり泣く声だけが響くようになり、たまに部屋を覗き見る母には社交界の花と謳われた美貌はもうなかった。
しばらくして、母は領地の別邸に隔離されることになった。
その頃には男は、次の真実の愛を見つけたと社交界で噂になっていた。
もう、ジャックは疲れ切っていた。
やっと寄宿学校に入る年齢になったころには、年の離れた弟を見ないようにして家には寄り付かなかった。
身を立てる方法として医者を選んだのは、母を彷彿とさせるこの外見を少しでも使わずに済む方法を求めていたからだ。
医者は、ジャックが得意な勉強を利用することができ、理不尽なことも軍などに比べればずっと少ない。
商売のように潮流に流されることもない仕事だと思ったからだ。
研修医として完全に家から独立出来る算段を付ける頃、弟が人づてに連絡を取ってきた。
まだお互い同じ苗字を名乗っているのが不思議なほど浅い関係だった。
「兄さん…。」
自分を兄と呼ぶ存在がいることに心がざわついた。
弟が連絡を取った理由は、母と会いたいというものだった。
「別邸なら自分で行けばいいだろう。」
もう数年男と会っていない自分より家にいる弟の方が簡単だろう。
「母さんは、ずっと前に家から追い出されたんだ。だから、母さんを見つけて会いたいんだ。」
「やっぱり。」どこかそう思う自分がいた。
自分の父である男は、本当に母が悪いと思っていたわけではないだろう。だが、誰かを責めずにいられなかった。そして、次の人生を見つけた男にとって母は重荷だったのだ。
だが、弟は鬼気迫る様子だった。
「僕は、本当に父さんの子なのか確認したいんだ!僕はずっとあの家で腫れ物を触るように扱われてきた。けど、母さんから父さんの子だって聞けたら信じられるかもしれない…。」
あの母は、薬をあの男に盛ることはあったとしても、他の男の子など妊娠するはずがない。
異様な屋敷を見ていたからこその確信だった。
「聞くまでもないだろう。お前は、あの人の子だ。」
ジャックもそう告げたが、弟は、聞く耳を持たない。
ジャックは、母を探すことは最初は断った。これ以上あの家に関わりたくはない。
だが、あまりにも必死な弟の様子にしぶしぶ折れた。
調査してみれば、母は直ぐに見つかった。 行くあてもなく、男に見放された母は、貴族の落ちぶれた女が堕ちる先に行き着いていた。娼婦だった。
痩せこけた頬に深く刻まれた皺、煤けた衣服、虚ろな目、彼女はもうかつての社交界の華ではなかった。
母がまず認めたのは、ジャックだった。
「学校は?成績表はちゃんと全部A++だったの?周りの人間に舐められたら終わりなのよ!」
お決まりのセリフだった。
顔を合わせると毎回言われ、母がそれ以外の言葉を話している姿を思い出すことが出来なくなっていた。
弟は、母の姿だけでなくジャックとの会話を見て思う所があったのだろう。
自身のことを覚えているか尋ねようとした。
「母さん、僕だよ!―」
母が弟の方を振り向いたかと思うと何某かを叫び出した。
弟は不運なことに父にも母にもあまり似ていなかった。
そのことが、余計に疑惑に拍車をかけたのだと思う。
母は、―――母だった何かは、突如として狂気じみた笑いを上げ、どこからか鋭利なナイフを取り出した。
「お前のせいだ!お前が私をレイプしたんだ!そうだろう!」
完全に錯乱したセリフ。
絶対的にありえない事にも関わらず、混乱した彼女には何を言っても通じない。
弟は怯え、震えながら後ずさる。だが、母は執拗に迫り、ナイフを振り上げた。
§
青白く恐怖に震えるアリスの表情は、まさに弟と重なった。
気が付いた時にはジャックの体は動いていた。
メスを握り、バディであった男に向かう。
その男は、あちらの世界で子供相手に犯罪を犯したと自慢げに話していたことを思い出す。
なんと下劣な人間だろうと思ったが、犯罪現場を目の前にして憎悪が怒りに変わった。
自分や弟に対する理不尽。
巻き込まれた側にも関わらず、弱者であることを責められる状況。
全ての怒りがない交ぜになって男を攻撃していた。
全てが終わった後、少年たちに放り投げるように少女を渡すと軍部へ戻る。
その日のうちに、ジャックは、リリスと拷問室で向かい合っていた。
両手は縛られており、周辺に他の人間の気配はない。
爆破スイッチを手にリリスは微笑を浮かべ、手足を縛られたジャックを見下ろす。
自身の命の心配をするべき状況にも関わらず、ジャックは頭の中で少女たちがあのままなのだろうかとふと疑問に思った。
兄が頭の出来が自分より秀でていないと知った母に、領地経営を勉強させられた日々を思い出す。疫病対策としても貧困街の対策は重要だ。医者になったジャックにとっても重要なトピックだったので覚えている。
取り留めのない思考とわずかな良心様なものがない交ぜとなっていた。
「彼らは…あのままですか?」
「ん?それがどうしたの?」
「…。」
問答無用で爆発されるものだと思っていたが、話を聞いてくれるのは意外だった。
何故か少女を助けてしまった事、母の事。死ぬことが分かっているからか、これまで誰にも話してこなかった話をした。
「あなた、彼女たちを助けたいの?」
予想だにしていない反応だった。
これまでの話を聞いて、何故そんな結論に至ったのだろうかと困惑気味に彼女を見つめる。
ただ、彼女の中では至極まっとうな質問だったようだ。
「あなたが、バディの元を離れたから犯罪が起こったと思っている?罪悪感?」
尋ねられたが、ピンときたわけではない。けれど、言われてみればそんな気もした。
少し彼女は悩む素振りをする。
「あなた…私の手伝いをしない?」
これから死を迎える人間に何を手伝えと言うのか。
「今、目と耳はあるのよ。けど、手足がないのよね。あなたが手伝ってくれるのなら、あなたの命と子供たちどちらも助けてあげるわ。」
破格の条件だった。
「手伝いとは?」
「………世界を変える手伝いよ。」
そうしてジャックはエバ―グリ―ン計画に携わることになった。
§
出された紅茶も冷え切ったころでようやく話が終わった。
「満足ですか?」
「うむ。」
ヂャオは満足したのか紅茶を飲み干し、岳とともに立ち上がった。
「最近は、暗部内部もきな臭い。手足が折れてはかなわんぞ。」
ヂャオは激励とも警告ともとれる言葉を残し、軽やかに部屋を出て行った。
部屋には、静寂が戻る。
リツは、ジャックをちらりと見る。
彼はいつもと同じ表情のはずなのに、どこか違って見えた。
ジャックになんと声をかけていいか分からない。
そんなことを考えていると、ジャックがいつものように片づけを始めた。
だが―――ふと、彼の指先がほんのわずかに震えた。
リツはそれを見逃さなかったが、あえて見なかったフリをする。
「なんだ、暇なら手伝え。」
いつも通りの、無愛想な声。
だが、どこか硬さがあるように聞こえる。
リツは少し迷ったが、「ああ」と短く返し、手近なカップを片付け初めた。
ジャックは、日常に戻るように医務室の締め作業へと戻っていた。
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