子供の領分

冬木洋子

第1話 だあれもしらない

 おばあちゃんちには、うちんちにはないお庭があって、いちじくの木がある。

 あたしは、いちじくの木の下にしゃがんで、ずっと、ありんこの行列を見てる。

 お日さま、一日、かんかん照り。

 黒いありんこ、一日、行ったり来たり。

 あたしは、ずっと、お庭のすみっこ。

 だぁれもいない。あたしだけ。


 ママは病院、パパはお仕事、おばあちゃんはお買い物。

 ママ、赤ちゃんが生まれるの。あたし、お姉ちゃんになるの。

 赤ちゃん、男かな、女かな。


 ママが入院してるから、あたしはずっと、おばあちゃんちに泊まってる。

 ここには幼稚園のお友達も団地のお友達もいないから、あたしは一人で遊んでる。

 お絵かきしたり、絵本を見たり、お庭で遊んだり。


 赤ちゃんが生まれて、ママがおうちに帰れるときになったら、パパがあたしを迎えに来るの。

 それまで、うるさくしておばあちゃんを困らせたりしない。ずっと、いい子にしてる。

 赤ちゃんが生まれたら、あたしはお姉ちゃんだから、うんと可愛がってあげる。

 ママが赤ちゃんをお風呂に入れるの手伝ってあげるし、赤ちゃんといっぱい遊んであげる。子守唄も歌ってあげるし、絵本も読んであげるし、おもちゃも貸してあげる。

 赤ちゃん、妹だといいな。


 庭にしゃがんでいると、生垣の向こうを通る人の足が見える。いろんな靴が通り過ぎる。

 あ、今、通ったの、知ってる人だ。

 見たことある靴と、ズボンの裾の、へんてこな模様。このあいだ会った、おばあちゃんのお友達。

 おばあちゃんのお友達は、あたしがここにいるのを知らないで通り過ぎる。

 他の人も、みんな通り過ぎる。

 誰もあたしに気がつかない。

 あたしがここにいることを、誰も知らない。


 風が吹くと、葉っぱの影が地面を動く。

 頭の上からセミの声。

 ありんこの行列、地面の上を行ったりきたり。

 時々、あたしの靴の上を通るのもいる。

 いちじくの木を、カミキリムシが登ってく。

 セミもありんこもカミキリムシも、あたしのこと、気がついてない。

 じっとしゃがんでいると、あたしは透き通って、トウメイニンゲンになったみたいな気もちがする。

 もしかして、おばあちゃんが帰ってきても、あたしが見えないかも。


 とっても暑い。

 頭の上で、セミがいっぱい鳴いている。

 トウメイニンゲンになったあたしは、あんまり暑いから、氷みたいに溶けて、どこにもいなくなる。

 パパがあたしを迎えに来ても、パパはきっと、あたしを見つけられない。


 黒いありんこ、一日、地面の上を行ったり来たり。

 いちじくの木の下で、あたしはひとり。

 あたし、いない。あたし、消える。

 だぁれも知らない。


 お日さま一日、かんかん照り。

 黒いありんこ、行ったり来たり。

 赤ちゃん、かわいいかな。小さいかな。

 ありんこみたいに小さいのかな。

 赤ちゃんの頭は、ありんこみたいに黒いかな。


 あたしはありんこを一匹つまんで、ぷちっと潰した。

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