ちいさな恋の短編集 ep.3「その女優」⑥
首都テレビのBスタに 『ОN AIR』ランプが点灯する。
モニターにVTRが流れ始める。
ナレーションとともに、玲の宣材写真が映された。
―深町玲…本名・山名まちこ。目標とする女優はオードリー・ヘップバーン、と彼女のプロフィールには書いてある。
小さい頃のまちこと母親の写真が映される。。
―1970年、京都の芸妓の娘として生まれた。父親の名は知らない。
舞妓や芸妓の資料映像。
―小さい頃から芸事を習わされたため、学校の友達はあまりいなかった。
京人たちが作った自主映画が流れる。
―高校生の頃、文化祭に出品する8ミリ映画に出演したのが、芸能界入りのきっかけだった。
柴と玲の2ショット写真。
―彼女に女優の素質を見出したのは、当時大手プロダクションから独立したばかりの敏腕マネージャーだった。
和田のインタビュー。
「柴社長は、一から自分の手でスターを育てる覚悟でした。古巣のタレントを引き抜いたりはしなかった、仁義を守った。でもね、この業界…(何か言いたげ)まあ甘くはない、弱肉強食ということ、かな」
柴エンタープライズ第1期メンバーの集合写真が現れる。。
―2年後に事務所に残っていたのは深町玲だけだった。この二年間に、柴エンタープライズと大手芸能事務所との間で何が起きたのだろう?
Bサブでは、ひと悶着が起き始めている。
「誰だ!このナレ原書いたのは?」
驚いた藤原がP席から叫ぶ。
D席で、京人が手を上げる。
「私で~す」
少し考えればわかる。
その大手芸能事務所は、柴エンタープライズを潰しにかかったのだ、と。
「てめえ。J事務所にケンカ売るつもりかよ!」
「大手、と書いただけですよ。具体名は言ってないでしょ?」
VTRでは、玲のデビュー作『はつ恋』の映像が流れる。
―公開オーディションで勝ち取ったデビュー作『はつ恋』では、ヒロインを演じた。高評価だった。ブルーリボン新人賞も獲り、前途洋洋に見えた。だが……。
『深町玲、大物歌手Gと不倫!若手俳優Tとの二股疑惑も…』という女性誌の記事。
―この記事に出てくるGとTもやはり、件の大手芸能事務所から独立した男性アイドルだった。これはただの偶然なのだろうか?
以来彼女は、デビュー作一本だけを残しスクリーンから消えた…。
Bスタジオではコメンテーターたちが、固唾を飲んでそのVTRをモニターしている。
「ええ!こんなこと、放送していいんですかあ?要するに、デマを流して妨害工作を仕掛けた、ってことですよね?大手って濁したって、すぐにJ事務所だってわかっちゃいますよお」
売れないタレントがつぶやく。
キレ芸を売りにしている似非文化人の額に、汗が浮かぶ。
(ここで何か言ったら、俺がJ事務所に睨まれんじゃねえかよ。ち。なんだよ。いつもみてえに、お騒がせ女優を吊るし上げるんじゃなかったのかよ!)
VTRでは、首都テレビでの出演ドラマがダイジェストで流れる。
―活躍の場をテレビに求めた。しばらくは順調だったが…。
玲と母の2ショット写真が破れる。
―1995年、最愛の母親が他界した。この頃から彼女の精神は不安定になっていく。
精神科医のインタビュー。
「ここ五年ほどですかね、ずっと通ってらっしゃいます。病名は…双極性障害です」
字幕「双極性障害(躁鬱病)」
控えロビーでは、和田がオンエアモニターを見ていた。
(理解されにくい病気だ…同情を買うか?一気に引かれるか?)
VTRは、舞台降板の謝罪会見に変わる。
―病が進行して思い通りの演技ができない。まして長丁場の舞台は諦めざるを得なかった。だが我々ワイドショーが報じたインタビューは、編集したものばかりだった。今日はその素材を、ノーカットで放送する。
尋常ではない汗を浮かべた深町玲が、深々とお辞儀をする。
「関係者の方々、本当に申し訳あり…」
「関係者だけなんですか?世間一般にも、ちゃんと謝ってくださいよ」
言い終える前に、芸能レポーターが投げかける。
話を聞く気などないからだろう。
玲が不思議そうな表情を浮かべる。
「なんで世間に謝るの?…でしょうか」
「ファンには、謝るべきでしょう!」
「ええと。まだ公演スケジュールもチケットも出てないはずです。だから、ファンの方のご迷惑になる前に降板を決めたんですが…何を謝るんですか?」
レポーターや記者たちが答えに窮する。
彼らは彼女を叩くためだけに集まっていて、何も調べていないからだ。
誰かが何か言うのを待つ。
そして、唐突に誰かが叫ぶ。
「開き直るな!……みんながやってるように、謝ればいいんだよ!」
編集点を意識したセリフだ。
「開き直るな!」だけを切り取れば、玲がそうしたように見える。
この言葉きっかけで、場内は騒然とした。
理不尽なヒステリー状態だ。
こうやって映像素材を見ていると、この記者会見自体が魔女狩りのための出来レース裁判だということがよくわかる。
「謝ってほしいのはこっちよ。私だって芝居がしたいの…」
玲の体が震え始めるのを見て、柴が慌てる。
双極性障害の発症だ。
「これで…これで会見を終わらせていただきます!」
柴が玲を抱え、退場させようとする。
玲はそれを振り払い、問いかける。
「大の大人がよってたかって、あんたたちは恥ずかしくないの!この中で、単独で取材を申し込んだ人はいる?」
静まる記者席。
誰もいない。
ワイドショーも雑誌記者も、匿名の集団で叩くことは得意だが、サシの取材はしないからだ。
「頭を下げて、涙のひとつも見せれば許してやる?そんなこと、こっちだってわかってるわよ。でもね、私は芝居以外では泣かない。私は、おかあはんにそう誓った…」
玲がよろめいて、柴に支えられながら退場する。
―最後の部分を報道したメディアはどこにもない…。
東京第一病院の病室。
昏睡中の玲の傍らで、柴はこのワイドショーを見ていた。
(ふん。ワイドショーが、懺悔でもしてるつもりかよ)
柴はそう毒づいた。
まだ、松浦京人への不信感は拭えていない。
さらにVTRは続く。
―最後に、去年彼女が久々に出演したドラマのワンシーンを見てみよう。
「信長の野望と絶望」で、深町玲が濃姫を演じるシーンだ。
「殿。戦って討ち死にするのなら、それもさだめと心得ましょう。しかし、戦いもせず生きながらえ天命をまっとうしても、そばにこの濃が従うなどと思い召さるな。そんな人生、濃はまっぴらじゃ」
誰かに訴えかけるような演技。
―まるでこのセリフは女優・深町玲の決意表明のようではないか…父親に認知されない私生児として生まれ、コネも看板もない小さな芸能事務所で育てられ、さらには双極性障害と戦うと誓ったいち女優の…。
VTRは、和田の解説で締めくくられる。
「深町玲は、苦しんで苦しんで役作りをする本物の役者でした。いや、でした、はダメだな。きっと生還して、私たちにこれからもホンモノを見せてくれるはずです!」
つづく
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