第四章 芸能事務所、目指せ武道館。

第二十二話 芸能事務所立ち上げ準備。


 ネットの掲示板で佐奈を殺害するスレッドが立っていた。

 それを問題視した事務所が声明を発表。ひとたびニュースにもなった。

 事の発端は、佐奈のような新人歌手が朝の報道番組を放送事故にさせたこと。その非難が佐奈を攻撃した。

 そして当然の結果のように業界から干された佐奈は、事務所から自宅待機を命じられた。

 なぜなら、事務所に毎日のように佐奈への殺害予告が送られてきたからだ。

 

「契約解除……ですか?」

「そうだ。あいつに責任を取らせないといけない。それだけの話だろう」

 辿は苛立ちを隠しながら、大和田プロデューサーに必死に釈明していた。

「彼女から歌を奪うのだけはやめてあげてください――」

「カラオケで唄えばいいだろ? それに最近はネットでもいくらでも歌える。そうだろ?」

「大和田さん、彼女は枕営業をしていた可能性もあります。もし、そうだとしたら――」

「そんなこと分かっている。彼女がプロデューサーや番組スタッフと体の関係を持ったことぐらい。そんなのは業界にいたら簡単に知れる。だからこそ、だよ。そんな風紀を乱す歌手は、こっちから願い下げだよ」

「大和田!」

 辿はもう我慢の限界になって、大和田の襟をつかんだ。大和田が座っていたパイプ椅子がバンっと大きな音を立てて倒れる。

「君も責任を取るかね?」

「責任、責任ってそればかり」

「いいか、社会と言うのは約束で出来ているんだ。それが守れなかったら責任を取るのは大人として当たり前のことだ」

「まだ彼女は大人じゃ――」

「この世界じゃあ十分大人だよ。大人と一緒に評価されるんだからね。それとも、都合のいいときだけ子ども扱いしてほしいのかい? つくづく責任感のない子たちだね」

「……っ」

「そろそろ離してくれないかな」


 強引に辿が掴んでいた手を外した大和田。

「君も、責任感を持った仕事を頼むよ」

 一瞥し、会議室から出て行った大和田。

「くそったれが」

 辿は怒りに任せて壁を殴った。拳が血でにじむ。

 事務所を後にして、その足で霞の許へと向かった。

 その道中、霞へ連絡をかける。


「もしもし」

「……何ですか?」

「……君にとっては、『メル』って何だ?」

「そりゃあ、命の恩人ですよ」

「……は?」

「え? 聞いておいて何なんですか?」

「いや、驚いただけ。どうして命の恩人なんだ」

「私、前に話した通り家が良家なんですけど、しがらみとか、面倒な許嫁とかそういうものがとても鬱陶しくて遺書を書いたんですよ。で、人生の最後に文筆とは関係ないことをしたいと思いまして……メルの楽曲を聞いたんです。そしたら泣いてしまって。なんて自分は浅はかな行動をしてしまうところだったんだろう、って」

「そうなのか。文壇の家系はそこまで君を追い詰めるものだったんだな」


 佐野一葉。明治の文壇にて影響力を有していた一族。佐野一葉は明治ごろの作家では初のノーベル文学賞を獲得した、と。

「今なら胸を張って誇れます。思いとどまった選択は、間違っていなかったんだって」

「ははっ、そうか」

 元気溌剌に答えた彼女に、辿は吹っ切れた。

 ――何がなんでも佐奈を東京ドームに立たせる、と。

「じゃあ、君の命の恩人としてこれからも頑張らせてもらうわ」

「ええ。頑張って下さい」


 通話が切れた。そして次に掛けたのは「スペス」事務所の社長だった。

「すみません。少しお話が――」


 2


 銀座のお寿司は当然ながら回らない。

「時価」と書かれた寿司は、遠慮して食べられない。なので、社長よりもワンランク下がった寿司の盛り合わせを頼んだ。

「で、話とは何かね」

 社長は、俗に言うイケオジだった、鼠色のハットをかぶり、傍らにはいつも煙草を持ち、紫煙を昇らせている。


「社長、僕、個人事務所を立ち上げようと思っているんです」

「ほう、それが何を意味するのか分かっているから俺を呼び出したわけか」

「その通りでございます」

 眉根を引きつらせた社長に頬をはたかれた。

「なにがその通りでございます、だゴラ。どうせ新しい事務所を作って、俺んとこのアーティストを引き抜いても容赦してください、ってことだろ? お前と言い、佐奈と言い、業界を嘗めすぎだ」

「大変申し訳ありません」

「普通、新たな個人事務所を立ち上げた者は、仕事をもらえないのが現状だ。業界は例えればカーストで出来ている。一番上位の芸能事務所が音楽協会や中には財務省とも通々であったりもする。だからこそ、力を持った芸能事務所が問題を起こしたとき、メディアはあまり触れられないんだ」

 まさか、仕事までそっちと提携しろとか言わないよな? そう言って社長は睨みを利かしてきた。

「いえ、そこまで“お世話に”なるわけにはいかないです」

「そこまで、ってどういうことだ?」

 辿はまた殴られるのを覚悟で言った。

「僕を守ってくれませんか? 僕の夢は佐奈を東京ドームへ連れていくことなんです。それを絶対に叶えたい。だからお願いします」


 頭を下げる。そしたら水をひっかけられた。

「なにをたわけたことをぬかしやがって」

 辿は顔面に滴り落ちる水をぬぐいすらせず、じっと社長の目を見据えた。

「笑わないでください。支援してくださるだけでいいんです。東京ドームの夢を叶えるには、なによりも『スペス』の力が必要なんです。だからどうか、お願いします」

 またさらに頭を下げた。社長は長く息を吐き、煙草を吸った。

「君はうちを買いかぶりすぎだ。うちの事務所でも東京ドーム公演を果たしたのはわずか二組だ。それほど狭き門なのだよ。それを分かっているのか?」

「はい」

 社長はもう一度煙草を吸って、

「確かに、彼女は才能ある歌手だとは思う。武道館までは難なく行けるだろう。だが、ドーム公演となると話は別だ。ミリオンヒットさせた曲をひとつ以上、持っておかないといけない。それは君の手腕だろ?」

 そうだ。その点においては自分の力でどうにかしないといけない。辿は首肯した。

「その……君にその覚悟があるんだったらもちろん邪魔はしない。でもこちらの迷惑となる行為を確認したら君もろとも業界から干すからね」


 一見するとおぞましい言葉だが、業界では当たり前の話だ。

 大手の事務所へ面目丸つぶれのことをしてしまったら、芸能人やプロデューサーは仕事を無くされる。

 だからこそ、辿の行う行為は一見すると危険な綱渡りの行動なのだ。

 それは――

「それで、要点をまとめますと、自分は個人事務所を立ち上げまして、『スペス』から佐奈を引き抜きます。それでスペスの力添えを貰いながら東京ドーム公演へと目指します」

「だからっ、俺がお前に協力してなんの得があるんだ?」

「東京ドーム公演の収入の三分の一を、企業献金させてもらいます」


 社長が息を飲んだのが分かった。

 これは、辿の賭けでもあった。社長が精いっぱい協力しない可能性もあったので、ドームを満席にすれば、あなたに、その収益の取り分を増やすことが出来ますよと語って見せたのだ。

 この判断がへびと出るか、じゃが出るか……

「いいだろう。あとで事務所に来い。一筆書いてもらうぞ」

「かしこまりました」


 綱渡りの交渉が幕を閉じた。


 3


 事務所で契約書へ一筆書き、それから帰宅するため駅へと向かった。

 新宿駅から山手線に乗り、池袋駅へと向かう。

 肩を落とし座席の背もたれに大きく体を預けた。流れるようにポケットからスマホを取り出す。着信が来てないかのチェックだ。だがどうやら来てはいないみたいだ。

 するとこんな会話が聞こえた。

 女子高生たちが口々に佐奈について言っているのだ。

「ねえ、あの放送事故の一件、まじで変だよね」

「あの暴露系ユーチューバーが言っていたよ。佐奈は援助交際していたんじゃないかって」


 そんなうわさ話が一般人にまで横行している。新たに彼女にマネジメントをする辿にとっては大きな痛手だ。溜息をついて今回の事務所設立にあたって重要なキーパーソンを担ってくれそうな人物にラインを送った。すると数分でメッセージが返ってきた。

≪その話、本当か?≫

≪ああ、自分は芸能事務所を創設しようと思っている。力になってくれるか?≫

 ここだけの話、鳥居の親は株式トレーダーの会社の社長だ。様々な財閥にも影響力を持っていて、芸能界の世界でも親が重鎮であったりもする。まったく、羨ましいものだ。

≪芸能事務所を作るのは難しいぞ。各重鎮や派閥の長に気に入られないと仕事を貰えないからな≫

≪そうだよな。難しいよな……≫

≪でも、手伝ってやれることはあるかもしれない。少し待ってろ≫

≪ああ、楽しみに待たせてもらう≫

 なぜかかき氷のラインスタンプが送られてきた。任せろってことなのか? そのスタンプの意図は分からないが、あいつに任せておけば大丈夫だ。

 

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