第十八話 枕営業


 歌い手としての初の仕事が、大和田天木というカリスマプロデューサーが作った曲をライブ会場で唄うというものだった。

 出来れば、初の仕事は彼の――辿のボカロ曲を唄いたかった。

 だがこれは仕事だ。今までのような趣味での歌い手活動ではないのだ。好きな曲が歌えるわけでもないし、表立って活動することで言われもない揶揄が飛び交うことだってあるだろう。芸能活動とはそういうことだ、と佐奈は思う。

 楽屋でお茶を飲んでいる佐奈は、あと五分したら出て行かないとなって思い、お茶のペットボトルのキャップを締めた。


 そして座椅子から立ち上がり楽屋挨拶に行こうとする。

 まず、年長者でありここのライブの主催者である扇真風の許へと向かった。国際基準と聞いたことのあった礼儀作法である三回ノックをし、それから「失礼します」と言って部屋へと入った。

「初めまして。佐奈と申します。今回は――」

「はいはい。分かったから」

 煙草の副流煙がもくもくと煙る中、スマホをいじっていた真風。

 なんだよ、感じ悪いな。そう思った佐奈は踵を返し、部屋を後にした。

 

 そして初ライブ。佐奈は初めてのイヤモニ(イン・イヤ・モニター)を装着し、チェックを行う。

「私、これ付けて歌うの初めてです」

 音響監督とその傍らにいるスタッフと談笑していた。

 すると、青シャツの見た感じ清潔感がある男性が声を掛けてきた。

「やあ。準備はいいかい?」

「はい。元木さん」


 夜神元木やがみもとき――今回のライブのローカルプロモーターである。

 ローカルプロモーターとは、主に地域ライブの裏方で、コンサートのコンセプトづくりだったり、予算管理、スタッフの手配、宣伝プロモーションなどを行ったりするのだ。


「君をこのライブにアテンドしたことは、間違いなかったと思わせてくれよ?」

「はい!」

 佐奈は溌溂に答えた。すると元木は佐奈の髪を触った。「頑張ってくれよ」

「……」

 体に触れられても、このライブに佐奈を斡旋してくれたのは他でもない、元木であるため強めに出られない。彼の手が佐奈の首元に移り、愛撫するように撫でてきたことで体が無条件に反応する。「んっ」

「あれっ、もしかして感じちゃってる?」

「や、やめてくださいよ~」

 決して言葉が重くならないように、軽い冗談を言うように喋った。

 それはこのローカルプロモーターの親が実は、音楽事業者協会の会長兼、音楽事務所の最大手「LAILA」の社長だったする。もし逆らえば芸能界で生きる術がなくなることは事実明白だ。

 ……彼には内緒だけど、そのためだったら枕営業だって辞さない考えだ。

「次、佐奈さんお願いします」

「あっ、はい」

 ステージの幕の裏にいた場所から、舞台へと向かった。そのとき、真っ向から白い光が佐奈に差し込んできた。思わず瞼をつむり、うつむく。


 自分との闘いだ。昼と戦わないといけない。いつまでも自分を甘やかしてくれる夜に依存していては駄目だ。

 瞼を開いて頭を下げる。「初めまして。佐奈と申します。今回は精一杯歌わせていただきますので、よろしくお願いします」

 音楽が流れ始める。

 観客たちがどよめき始める。そして手を振りながら歓声を佐奈に送る。

 佐奈は歌い始めた。厳かに、一音一音丁寧に。

 間奏のところで皆に求めた。「クラップお願いします!」

 手を叩き始めた観客たち。そして曲は走り終わった。

「ありがとうございました。では、皆さん次の曲もエンジョイしちゃってください」

 しばらく歓声が鳴りやまなかった。

「ふう、楽しかった」


 お客さんの前で唄えることが、こんなにも楽しいことなんて思いもしなかった。

 太陽の陽光を浴びて、眼が痛かったし、それ以前に眩しかった。

 でもそれを跳ね返せるほどに歌唱を楽しめた。

「良かったよ~」

 夜神さんがにこやかにそう言ってきた。それから佐奈の頬を触ってくる。

「や、やめてくださいよ~」

 ああ、気持ち悪い。この汚れた手を離したいがそれをやると夜神は心象を悪く感じるだろう。

「ねえ、今夜このライブの近くのホテルに来てよ。良いこと教えてあげる」

「……」


 佐奈は目を伏せた。こぶしをつくり、でも反抗的な態度はとれなかった。 

 辿に悪いと思いながらも、でもこの誘いを断ってしまえば音楽業界で生きてはいけなくなってしまう。それは恐ろしいことだし、自身の夢の玉砕になってしまうし、なにより辿と約束した、一緒に音楽を作って、武道館や東京ドームで公演しようと言った夢が叶わなくなってしまう。


 悔しさを取り繕った表情で、「分かりました」と言った。夜神は満足な笑みを浮かべた。自分の都合で女を得てして悦んでいるのだろう。

 夜神が「愛しているよ」と言い残し去っていく。この場で嘆息をつき、いつの間にか流れていた涙をぬぐった。

 これが本当にやりたかったことなのかな。芸能界では意地悪もされて、気に入られたプロデューサーに体を売って。なんなのよ、本当に。

 佐奈は幕の袖から見える陽光を感じて、容赦が無いなと思っていた。


 夜の八時。佐奈が夜神の部屋に入る前に、辿に電話をかけた。

「あの……辿くん?」

「どうしたの? こんな時間に?」

「……私たち、『ビジネスパートナー』にならない?」

「ん、どういう――」

「もう、別れないっていう意味だよ」

 電話越しからでも彼が動揺していることが分かった。「どうして? 僕が何かしたの?」

「他に好きな人が出来ちゃったの」

 嘘だ。本当は大人に穢された体を彼に触れられたくないだけだ。

 彼の前だけは純真無垢でいたかった。

 自分にとって、彼はまるで完璧少年で、音楽の情熱もあり魅力的だ。

 ――自分なんかより、もっと良い人がいるはずだ。


「ごめんね。嘘つきで」

 自分から“離れないで”なんて約束をしたはずなのにそれを反故にした。

「ああ、君は嘘つきだよ」

 なぜかその言葉が温かく聞こえた。それがどうしてかは分からないが。 

 本当はすべて分かっているのではないか。枕営業のことも。

 だがしかしそうだとしても、自分の選択を後悔はしたくない。枕営業も彼と一緒に東京ドームに立つためなのだから。

 佐奈は夜神の部屋の扉をノックして、部屋に入る。

「失礼します」

「ああ、こっちに来てごらん」

 三人の中年の男性が部屋にいた。

「さあ、脱いで。君の素敵な裸をみせて」

 佐奈は下唇を噛んで、服を脱いでいく。


 そして、佐奈は男性三人によって凌辱されてしまった――

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