第十六話 「あなたを産んでよかった」

 8


 夏休み中、担任の義信よしのぶから呼び出されて叱咤を受けていた。

「お前はこの学校がアルバイト禁止なのは知っているよな」

「はい……」

「それなのになんなの? 音楽事務所に内定をもらった? いいか、後で断るんだ。いいな」

「分かりました……」

 辿は俯きながら職員室を出た。溜息を吐いて、天井を見上げた。

「どうしろっていうんだよ」

 

 音楽事務所の内定を取り消すか、はたまた学校に通うことを選択するか。

 辿は霞に連絡を取った。

「どうかしたんですか?」

「僕、学校を辞めないといけないかもしれない」

「えっ、そうなんですか……」

「なあどうしたらいいと思う?」

「これは一つの案ですが……」


 霞に言われたことに少々の驚愕を覚えつつも、それでもいい案だと思った。

 でも、そのことを佐奈が納得してくれるか。それが疑問だった。

 なぜなら、一生守ると誓い合ったから。


 佐奈に話があると言うと、「あっ、私も。だからさ、ある場所に行かない?」とまるで誘惑をするように語りかけてきた。

 そこはなんと――

「おかえりなさいませ、ご主人様。お姉さま」

 メイド喫茶だった。

「どうして僕はメイド喫茶にいて、『ラブラブ注入』とか言われながらケチャップで書かれたオムライスを食べなくちゃいけないんだ?」

「いいじゃん。面白いからさ」

 そんなことを言う佐奈。作ってもらったオムライスを写真に撮っている。

「あのーすいません。タバスコないですか?」

「すいません。メイドが作った食事には、基本的に調味料をさらにかけることは禁止なんですよ」

 年増のメイドの言葉に辿は舌打ちをした。

 だが、息をついて話題を変えて、辿は言った。

「僕、学校を辞めようと思う」

「えっ、じゃあどうするの?」

「芸能学校に通おうと思っている。調べたら、音楽プロデューサーなども入れるらしい」

「じゃあ私も転入する」

「おいおい、君も同じ行動をするんじゃあ」

 すると佐奈は頬を膨らませた。

「いいもん。私はあなたと一緒に歌い手として、高校に通う。だって約束してくれたじゃん。『僕が君を守ってやる』って」

「そうだな」

 辿は笑った。


 そしてこのあと、自前のデスソースをオムライスにかけるところを見られて、メイドに怒られたのは、笑える話だった。


 夕方。自宅に着替えに帰ってきた母親を止めた。「母さん、話があるんだ」

 普段親子同士の会話があまりないのに、唐突に話があるだなんて、母は驚いているようだった。

「なんなの?」

「芸能学校に編入したい」

 お願いします、と辿は頭を下げた。そんな辿の様子を見て、眼を丸くさせた母は、

「いいと思うわよ。あなたの好きなようにしなさい」

「えっ、いいの?」

 にんまりと笑い、一生の選択に緊張している息子の背中を押すようにして言った。

「もちろんよ。あなたの将来ですもの。自分で決めなさい。いい、もう十六歳は十分大人みたいなもの。あと二歳もしたら成人じゃない。だからね、頑張りなさい。ただね、その選択を後々後悔したら駄目よ。後悔するぐらいなら初めからしなければいい。酒の肴にしながら『あのとき母親が止めてくれなかったから』なんて言うんじゃ、何のために応援しているか分からないからね」

 多分、母親の店にそういう大人がたくさんいるのだろう。自分の学生時代の失敗をあてに酒を飲む。それはどれぐらい気持ちがいいのかは分からないけれども、そんな形で過去を振り返ってほしくはないという親心なのだろう。

 辿は頷いた。

「学費などは任せない」

「いや、そこまで迷惑をかけるわけには」

「お金のことは親に任せておけばいいのよ。それが親の責任なんだから」

「……ほんとごめん」

「いいのよ。あなたの晴れ姿で親孝行をしてちょうだい」

 辿はもはや泣きそうだった。親の寛大な気配りに甘えてしまってもいいのだろうか、と疑問も同時に脳裏に宿ったが母の言うとおりにしよう。だが……

「母さん。僕、絶対親孝行するから。でっかい家建てて。もう働かないでいいようにするから。待っていてよ」

 すると母はにこりと笑い、辿の髪をくしゃくしゃとかき乱した。


「あなたを産んでよかった」


 その言葉は子供にとっても、親にとっても宝石のような言葉。

 そんな言葉を、胸にしまい大切にしていこうと思えた。


 

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