第十三話 雨の日の夜。

 3


 佐奈は息をするのも辛いとき、夜空を見上げる。

 アルビノは余命が短いなんて迷信があるけれど、それを信じていないとはいえ時々不安になる。

 そんなときに夜空を見上げてみれば、幾分心も平穏になるのだ。

 今日も佐奈は外に出る。今日は学校に行けなかった時のお弁当があるので、それを辿くんと一緒に食べようと思う。

 マンションの玄関を出て、エレベーターで一階まで降りる。

 外に出ると外気に晒される。夏の風が佐奈の感情を触れてくる。幸福感とか充足感とか、そんなものへ満たされていく、空っぽの心の佐奈。

 すると足取りはいつもの公園へと向かっていた。そこに自分を甘やかしてくれる存在がいるから。自分を無条件で愛してくれる存在がいるから。

 雨が降ってきた。最悪だ。これじゃあもしかしたら彼に出会えないかもしれないじゃないか。

 それでも、その公園で待ってみようと思った。理屈なんかない。しかし卑屈なだけだ。

 雨でぬれたブランコに座る。パーカーのフードを目深に被りブランコを揺らす。

 どんどん体温が雨粒のせいで奪われていく。冷え込んでいく感覚。意識も飛びそうになる。

 ガシャン。佐奈はブランコから落ちた。過呼吸で喘鳴を吐き出してしまう。

 

 やばいかも、これっ。


 すると待ち望んでいた、青い傘が現れた。その傘を射す人はこちらへ歩み寄ってきて、「大丈夫か?」と問いかけてきた。

「私の彼を奪わないで……」

「なにを。くそ、とりあえず僕の部屋に」

 彼が自分を抱きかかえてくれて、全力で走ってくれた。

 ――ごめんね。辿くん……


 目覚めた。辿くんのベッドで眠っていたようだった。

 彼だろうか、部屋をノックされる。

「入るぞ」

 辿が部屋に入ってくる。持っているトレイにはカフェラテが置かれてあった。

 それをテーブルの上に置く。「これ飲んだら体が温かくなるから」そう言ってくれる辿。佐奈がそれを手に取って口に含む。美味しいと呟く。

「どうして、あんな雨の中にいたんだ?」

「……辿くんを待って……いたの。一緒にお弁当を食べたくて……」

「何だよそれ。それで体調を崩したら元の子もないだろ?」

 彼が怒りをにじませながら声を発した。


「分かってる。だけどっ……」

「今日も学校来なかっただろ?」

「そうだけど……」

 そしたら、辿は佐奈の両肩を掴んだ。自然と顔の距離が近くなる。

「いいか、前に約束しただろ。僕は嘘を吐かない。安心して学校に来ればいい。そのために僕は動いたんだ。クラスメイトはまだ何かしら君に対して嫌悪感を持っているとしたって。君自身が一歩を踏み出さない限り何も前進しないだろ?」

 彼は早口にまくしたてた。それに驚きつつも、その言葉の端々に辿の思いが詰まっているから無視できない。

「本当にごめんなさい」


 そしたら、彼は佐奈の頭を撫でた。

「もう二度と、あんな真似しないでほしい。もし僕が雨の日にあの場所に来なかったら、君はもっとしんどい思いをしていただろ。だから頼む。自分の体調を気遣ってくれ」

 彼からの必死の思いは佐奈の心へじんわりと伝わった。

 そして、また睡魔が襲ってきた。佐奈はそれに抗うことが出来ずに眠ってしまう。


 4


 朝、覚醒すると味噌汁の美味しい匂いが部屋にまで漂ってきた。朝独特の空っぽの空気に食卓の空気感が乗っている。

 佐奈は起き上がり、襖を開けると辿がキッチンに立って食事を作っていた。

 辿がこちらを確認すると、笑いかけてきた。

「おはよう。食事なら出来てるよ」

「ありがとう。いただくね」

 佐奈は食卓に着き手を合わせた。白米に納豆をのっけて掻き込む。「美味しい」と思わず漏れた。

 その言葉を聞いた辿が微笑んできた。

「そりゃあ良かったよ。今お弁当を作っているからね」

 学校は不安だ。侮蔑と自分に対しての蔑称が入り混じった高校に、行くことは勇気がいる。


 高校に行くことは自分で選んだことかもしれないけど、それでも不安なのだ。いや、自分で選んだからこそかもしれない。

「あっ、君の家の電話番号を教えてくれないか?」

「え……いいけど」

 以前交換したラインのアドレスに自宅の電話番号を送る。

 したらば、辿がおもむろに電話をかけだした。

「ええ、はい。同じ高校の……その、恋人でして。はい。ははっ。では、家から通ってもらいますので」

 電話を切った辿。息をついて「緊張したよ」と言った。


「ありがとね」

「えっ、なにが?」

「いや、そう言わないといけないかなって」

「……僕が勝手にやっていることだから」

「……そうだよね」

 そうして、辿も一緒に食事を始めた。

 辿は納豆にからしチューブを大量に入れて、かき混ぜた。ツンとするような匂いが部屋の中に充満する。

「ちょっと……匂いがきついよ」

「いいじゃないか。納豆には五十グラムのからしが抜群なんだ」

「……もしかして……だけど辿くんってバカ舌?」


 すると辿が驚愕する。その思わず呆けたような顔の鼻にからしチューブを突っ込んでやりたいとか思ってしまう。それでも彼はからしが好きになれるのだろうか。

 そんな冗談を思っていると彼が納豆を描き込んだ。何喰わぬ顔で、白米も食して、満足そうな笑みを見せている。

「誰かと一緒に食べるご飯は美味しいな」

「えっ、辿くんは親御さんと一緒にご飯を食べないの?」

「うん。うちは片親でさ。その母親も夜職と昼職を同時にやってくれていてさ。僕のために」

「そうなんですね」


 複雑な家庭の事情がありそうだ。

「僕のボカロPのユーチューブ広告費を生活費に使ってもいいと言ったんだけどね。それは僕の今後のための貯金にしておきなさいと言われたんだ」

「出来たお母さんじゃない」

「……僕のために働きすぎじゃないかと不安になることもあるけどね」

 そう言った彼は笑った。その笑顔はまさしく自分の親を愛している者の顔だった。


 食事を終えて一緒に後片付けを行い、(皿洗いなどだよ)通学の準備をする。偶然にも着ていた服が制服だったので、そのまま通学が出来る。

 今日は終業式だ。これから本格的に夏が始まる。

 佐奈は日傘を借りて、一緒に登校し始めた。

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