第十二話 大手音楽事務所からスカウトメール。
2
「ナイトプール?」
「そう、私たち夏らしいことあまりできないじゃない」
「たっ、確かに……」
ここはいつもの公園。ブランコを悠々と漕ぎながら辿たちは喋っていた。
「僕も……家では楽曲制作ばかりやっているからなあ」
「そうでしょ。実はね……」
そう言って佐奈はシャツの胸元をはだけさせた。中から覗くのは淡い水色の水着。
「えっ、ああ……もう早速行く気なんだ」
「そうだよ。男子はレンタルの水着があるだろうし。ということで、早く行こうよ」
言われるがまま、彼女と一緒に月光が照らす道を歩いた。紫色の空に、夏の大三角は輝いていた。アレガ、デネブ、アルタイル、ベガ。
電車に乗り、しばらくすると肩に誰かの頭が乗った。横を見ると辿の肩で佐奈が眠っていた。どうしよう、すごいドキドキする。
こういうシチュエーションは、男子なら誰もが羨むものではないだろうか。
目的の駅に着いたら、辿は佐奈を起こす。そしたら彼女は自身の髪を梳きながら「寝ちゃってた?」と尋ねてくる。
「あっ、うん」
ともに電車から降りて改札を通りナイトプールへと目指す。
なかなか青にならない信号で焦れたり。横断歩道を渡っているときに三毛猫が通りすがったり。そんなことをしているといつの間にかプールに着いた。
彼女とは更衣室の前で別れる。辿はレンタル店で水着を借りて、更衣室で着替える。
そして、そこから出ると彼女が立っていた。豊満な胸に締まったウエスト。どれもが当然のことだが女性らしいと言えたし、眼福だとも思った。
彼女は笑みを零し、幸せそうな表情を浮かべた。なぜ、そんな顔をするんだろうか、と思っていると手を引っ張ってきた。
プールの縁から水に入った辿たちは、とても気持ちのいい思いをした。彼女が無邪気に水を引っかけてくる。「おい、何するんだよ」
「ふふっ、楽しいね」
「確かに」
「恋人とこうしてプールに来れるなんて、楽しすぎるよ」
そんなにも楽し気な顔を見せてくれると、辿自身も嬉しくなった。
「ちょっと……トイレ行ってくる」
「はいはい。お花摘みに行っておいで」
「わざわざ丁寧な言い方に直さなくても……まあいいけどさ」
そうして、水から上がりペタペタと音を鳴らしながらトイレへと向かう。
トイレで用を足し、もう一度プールへと戻ると、男性三人組がいた。ナンパ師だろうか。ヘラヘラとした態度で佐奈を挑発していて、それに憤った辿は男の腕をつかみ消えろと言った。
舌打ちをした男性は去っていった。
ため息をついた辿は横目で佐奈の様子を窺い、大丈夫かと問いかける。平気だよと佐奈は笑う。「格好いいね」なんて冗談を言ってくる佐奈に苦笑しやりながら「本気で心配したんだぞ」と言う。それにハッとした佐奈がまた笑う。「もう一度プールに入ろうよ」佐奈はそう言って辿と一緒にプールに潜った。
愉快な一日だった。
帰りに二十四時間営業のファミレスに寄った。
佐奈はビーフハンバーグステーキを注文し、腹が減っていない辿はコーヒーだけを注文した。ものの数十分で商品が届き、早速佐奈は食事を始めた。口いっぱいに放り込みながら笑みを零す様にどこか辿は幸福感を感じていた。自分の恋人が食事を食べているところというのはなんとも言い難いフェチズムを刺激してくるものだからだ。
まあそれはともかく辿もコーヒーを口に含み「君はこれからどうしたい」と言った。「君にお願いした歌手になって欲しいという願い。それを叶えてくれるなら僕としては嬉しいんだけどさ」
そういうと佐奈は目を丸くし、「確かにね。私にはアルビノという病気を世間に広めるという目標があるから。そういう大義のもと私は歌い手として活動しているし、人気も出始めている。私の目標もあなたと同じ。武道館や東京ドームでの公演だし、それを目指したいという希望もある。けれども、私には障害がある。緑内障というものでいつかは失明する。そんななか、果たして自分は運命に戦えるのかどうかわからないのよ」
そうなのかと言った辿はまたコーヒーを口に含む。そして顎元に手をやり「なら尚更僕も頑張らないとね」それについて佐奈は「どういう意味?」と聞き返してきた。
「僕は大手音楽事務所にスカウトされているんだ」
「ええっ。そうなの」佐奈は驚き、
「それってボカロPとしての実力を買われてるってことじゃない。すごいじゃん」
佐奈は素直にそう言ってくれる。それに感極まった辿はただ一言「ありがとう」と伝えた。
翌日。高校に登校すると真っ先に鳥居の元へ向かった。鳥居は明日から始まる夏休みのことについて喋る。
「明日から夏休みだけどさなんか予定あるの?」
「実はさ、大手音楽事務所からスカウトメールが来ててさ。その面接が来週あんのよ」
辿の肩を揺らす鳥居。「そりゃあよかったじゃないか。ほんと、ようやく努力が報われたな」
そんな言葉が嬉しくて辿は微笑む。そして礼を言った。「ありがとうな。今まで応援してくれて」
「何言ってるんだよ。これからも応援するぜ」
そう言ってグーサインを向けてくる鳥居。
「おーいみんな、席に着け」
こうして順当に努力が実り始めた。
だがしかし、学校の席には佐奈の姿はなかった。辿はそれを見遣って彼女は何を求めているのだろうか、と甚だ疑問であった。
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