第五話 交わす口付け。
5
朝、目が覚めるとまず遮光カーテンをほんの少しだけ開けて、室内を数センチ照らす。
その明かりを頼りに照明をつけて、眩しいと反射的に瞼を閉じる。
目が光に慣れてきたら制服に着替えて、姿鏡で自分の姿を見る。
艶やかな白髪。まるで欧米人のような碧眼。すらりと伸びた足。「まるでモデルみたいだね」かつてのクラスメイトに言われた蔑称。自分とあなたは違う。そう線引きされた言葉だった。
そんな嫌な言葉なんか忘れて前を向かなくては。あの、辿くんのように。彼は自分の特技で世間に評価されている。彼自身はあまり意識していないようだけど、彼のボカロPのハンドルネームである「メル」は、ネット界隈を動かせるほどの影響力を持っている。そんな彼から言われた、一緒に音楽を作ろうという言葉。それを聞いた私は正直、恐れ多かった。彼の今後の人生に関与してしまうことが。自分はいつか癌によって死に至るかもしれないから。
それが分かっていながら、出来もしない約束を私は……いや、本当は実現したかった、夢のようなものなのかも。
それでも彼に極力迷惑を掛けないようにしなくちゃ。
日傘を開いて駅へと向かう。足早に。通りすがる人が私のことを笑っているかもしれないなんて被害妄想を爆発させながら。
ああ、嫌だ。苦しい。苦しい。
息がし辛くなった。生きていることがしんどくなった。それでも、私は生きるしかない。自死という逃げは、私には残されていないから。
親にも言われた。「高校なんて行くのやめたら」と。親が言う台詞なの? と若干呆れたが、それでも親が私のことを思っての言葉だってことは分かっている。
電車から降りて学校へと向かう。その途中、「ねえあいつ」「しぃ、言うのやめときなって」「くすくす」と言った侮蔑が聞こえた。
耐えなくちゃ。耐えなくちゃ。
「ねえ」
振り返るとそこには辿くんが立っていた。
「辿くん……」
「辿くんですよう。あれっ、なんで泣きそうなの?」
ああ、こういうとき恋人同士だったら抱きしめ合っても許されるんだろうけど、私には彼が勿体ない。
彼ははにかんで、私の隣に寄り添ってきた。「早く学校に行こうよ」
「う、うん」
そして歩いていると彼がUSBを渡してきた。
「ん? これはなに?」
「その中に君が唄う楽曲のファイルがインストールされてあるから」
「……分かった。ありがとうね」
どんな曲なのだろう。想像するだけで期待に胸膨らむ。
そうこうしている間に学校に着いた。下駄箱で靴を履き替えて、辿くんと一緒に教室へと目指す。
扉を開けると心地いい桜風が頬を撫でてきた。
「気持ちいい」
カシャ、どこかからシャッター音が聞こえた、誰が鳴らしたのだろう。
その音に気付いたのか辿くんが周囲をさっと見渡した。そしたらクラスの前方に横向けのスマホを見て大笑いしている女子グループがいた。
「おい。何やっているんだよ」
「なに、あんた誰~」
「はははウケるんだけど」
「やめてあげてって。陰キャいじめてもみじめなだけでしょ。まあ、“あいつ”はいじめられたくてあんな髪型にしているみたいだけど」
矢のように飛んでくる攻撃文。それに悲しくなった私は廊下を飛び出していった。
「あっ、ちょっと待って!」
私は懸命に走った。そのとき、誰かに肩をぶつけたが構わず逃げた。
辿は校内中を必死に駆けずり回った。
「あいつ、ったく」
「おい山本。さっき俺の肩にぶつかってきた“プリンセス”はあっちに行ったぞ」
「おう。教えてくれてありがとな」
鳥居の指示した方向に向かって走り出す。
すると、ある女子トイレで泣き声が聞こえてきた。辿は意を決してその中に入る。
彼女がいるのであろうトイレをノックする。
「すまん。開けなくていい。そのままで聞いていてくれ」
「は、はいっ」
辿は扉に背を向けてずるずると屈みこんだ。
「僕は、君がどんな醜態に晒されてきたか、想像するだけで胸が苦しくなるが、所詮、それも同情で、想像の域を出ないものだ。でもな、だからって君に寄り沿わなくていい理由にはならないと思う」
「どうして、私なんかの人間に寄り添うの?」
「どうしてだろうな。……多分僕は君の生き方に賛同している人間だからだろ思う」
「ん? どういう意味?」
「君はアルビノとして苦しめられていながら、その少数のアルビノ患者のために行動している。僕はボカロPをやっているからこそ分かるんだ。行動することの難しさをな」
「初めて……そんなこと言われたの」
「奇遇だな。僕もこんなこと初めて言ったよ」
ギィと突然扉が開かれる。おっと、とバランスを崩れた体勢で立ち上がったせいで真正面に立っていた佐奈を抱き締める形になる。
「ご、ごめん」
だが、佐奈は抱く力を強めるばかりだ。
「私、あなたにどう恩を返せばいいのか分からないよ」
「笑ってくれ。君の泣き顔はもう見たくない」
すると彼女は満面の笑みを見せ、そして――
口付けを交わしてきた。
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