焦がれるほど、痛い恋

苗木

第一章

第1話 保健室にて

昼下がりの教室


窓の外では陽射しがまばらに差し込み、机の上のノートに淡い影を落としていた。微かに揺れるカーテンが、教室に漂う静けさを際立たせる。


拓磨はふと、指先の感覚が鈍くなっていることに気がついた。ペンを握る手がいつもより重い。朝から続く微熱のせいだろうか。黒板の文字を追うのも億劫で、視界の端がじわじわと滲んでいく。


「……?」


瞬きをしてみるが、霞んだ視界は戻らない。むしろ、耳鳴りがじわりと広がり、世界が遠くなっていく感覚すらある。ペンを握っていた指から、力がふっと抜けた。



それはほんの一瞬のことだった。



気づけば、視界が急にぐらりと揺れ、目の前が真っ白になった。


遠くで誰かが自分を呼んでいる気がする。焦った声。何かを揺さぶるような感触。意識を手放しそうになる中で、頬にひんやりとした感触が触れる。


「おい、拓磨!大丈夫か⁈」


誰かが自分の名を呼んだ。


掠れた声で「平気だ」と言おうとしたが、喉がひどく乾いていて言葉にならない。


ふわりと、身体が宙に浮いた感覚があった。いや、実際には誰かの腕に抱え上げられているのだと、遅れて理解する。肩越しに感じる体温。逞しい腕の感触。


「軽すぎる…ちゃんと飯食ってんのかよ…」


揺れる視界の中で、そいつの顔がすぐ近くにあった。優しく、しかし確実に抱え上げられている。ぼんやりとした意識の中でその言葉だけがはっきりと耳に届いた。声は低く、少しだけ苛立ちを含んでいるように感じた。だが、同時に妙な優しさも滲んでいた。


「は、離せ……自分で歩ける……っ」


声を絞り出すが、力が入らず、相手の腕の中でもがくことすら出来ない。

抱え上げる腕は微動だにしない。それどころか、余計に拓磨の体をしっかり支えるように力がこもる。


意識が遠のく。瞼が重い。


気がつけば、もう何もわからなくなっていた。


______________________


保健室の白い天井


誰かが自分を呼んでいる気がする。ぼんやりとした意識の奥、誰かが自分の名前を呼ぶ声がした。優しく、けれど心配そうな響きを含んだ声。


拓磨はゆっくりと瞼を開けた。眩しい光に目を細める。白い天井、消毒液の匂い。保健室だ、とすぐに気づいた。


視界を横に移すと、ベッドのそばに座る誰かの姿が見えた。


「気がついた?」


その声に聞き覚えがあった。けれど、誰だったか思い出せない。


「…お前…だれだ?」


「ええ、お前、俺のことわからないの⁉隣の席の白井春だよ。」


隣の席……?


熱を帯びたぼーっとした頭で必死に思い出す。そういえば、そんなやつもいたような…。いや、確かに隣の席だったかもしれない。


ただ、拓磨の記憶の中では、そいつはいつもクラスメイトに囲まれていて、正直なところ顔をちゃんと認識したことがなかった。


「本当にびっくりしたんだからな。急に倒れるから心臓止まるかと思った…。」


「は?そんな大袈裟な……別にそんなことねぇし。」


拓磨は反射的に強がるが、喉がひどく乾いているせいで、声に力が入らない。

ばっと起きあがろうとした瞬間、目眩が襲い、身体がぐらりと揺れる。


「……っ」


視界が一瞬暗くなり、再びベッドに倒れ込む拓磨を、春は呆れたように見つめていた。


「お前なあ……」


小さくため息をつく。その顔には、呆れと、それ以上の優しさが滲んでいる。

春の視線を感じながら、拓磨はそっと目を閉じた。


体がだるい。思考がうまくまとまらない。けれど、こうして誰かがそばにいてくれるのは、悪くない。


なぜか、そんなことを思った。





_______________






昼休みの教室


そこには、どこか緩んだ空気が流れていた。弁当を広げるグループ、スマホをいじる生徒、机にふせて昼寝をする者___それぞれが思い思いに過ごしている。


あの保健室の出来事があってから、春は拓磨のことを気にするようになっていた。今まで気にしたことは無かったけれど……


春は、自分の席に座りながら、ふと隣の席へ視線を向けた。


拓磨は________今日も相変わらず昼飯を食べていなかった。


机に肘をつき、ペンを持ったままノートを開いているが、勉強しているわけでもなさそうで、そのページはほとんどめくられていない。ただ、ぼんやりと紙の上を見つめているだけだった。


最近、よくこんな光景を見る。


拓磨が昼飯を食わないのは、もう何度目だろう。食が細いとか、そういう問題じゃない。むしろ、本人の中で「食う」という選択肢自体が消えてるんじゃないかと思うくらいだ。



授業中も拓磨に目をやると、どこかぼーっとしていて、うわの空であることが多い。体育の時間なんかは、走っている最中にふらついていたし、教科書を開いても集中できていないのが見てわかる。


………なんで、こんなに気になるんだろうな。


別に、俺が世話焼きってわけじゃないはずなんだけど。そう思いつつも、気づけば春の口は勝手に開いていた。


「お前さ、また飯食ってないだろ」


拓磨がゆっくりと顔を春の方に向ける。


「………うるせぇな。」


「うるせぇじゃない。また倒れるぞ。」


「別に平気だし。」


「昨日もそれ言ってたよな?」


じっと睨むと、拓磨は舌打ちするように小さく息を吐いた。


「……食うよ、後で。」


「…後でっていつ?夜?」


「かもな。」


春は無意識のうちに奥歯を噛み締めた。イラッとした。いや、別にわざわざ俺が怒る必要無いのかもしれない。でも、なんか、ムカついた。


「お前、まじで体調管理どうなってんの。」


つい、ちょっと強めの口調で言ってしまった。


「体育のときもお前、フラついてたの気づいてるか?」


「………。」


拓磨は、目を伏せる。やっぱり気づいていたか、って顔をしていた。


春は思わずため息をつく。


「なぁ、せめてパンくらい食えよ。」


そう言って春はカバンの中をあさり、昨日コンビニで買った袋入りの菓子パンを取り出した。


「なんだよこれ。」


「いいから食え。」


拓磨はしばらくじっと菓子パンを見つめた。ちょっと迷っているみたいだった。


________いらないって言われたらどうしようかな。


そんなことを考えながら拓磨の反応を待っていると、意外にも「しゃーねぇな」と小さく呟き、袋を開けた。


……あれ、食うんだ。


拍子抜けしたような気持ちになりながら、それでも少し嬉しかった。


「素直じゃねぇな。」


「うるせぇ。」


春が口の端を少し上げて笑うと、拓磨は顔を背けてパンをもぐもぐ食べている。まるでリスみたいに小さい口で一生懸命たべているものだから、なんか餌付けした気分にもなった。拓磨の横顔を見て、春は安心したように微笑んだ。


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