恋する季節

月丘翠

第1話

「綺麗な夕日だよ」 


僕は妻に語りかけた。

妻はベッドに横たわり、呼吸器をつけられている。

呼吸をする音だけが響いている。


「とーたん、かーたんどうしたの?」

あどけない顔で尋ねてきた。

息子は、まだこの状況を理解できる年齢ではない。

先月3歳になったばかりだ。

妻も誕生日を盛大に祝い、息子の成長を一緒に喜んだ。

(それなのにー)

僕はしゃがんで息子と目線を合わせた。

「かあちゃんは、今戦ってるんだよ」

「戦ってる?」

「たーくんとまた会う為に頑張ってるんだ。応援してあげようね」

「うん!」

妻の側まで行くと、息子は手を握って「がんばれぇ」と声をかけた。

妻はぴくりとも動かない。

息子を後ろからそっと抱きしめると、妻が倒れて初めて涙を流した。


■□■


「いってきまーす」

貴史たかしは学校の鞄を背負うと、勢いよく家を飛び出した。

今日から高校生だ。

真新しい制服を着ているだけでテンションが上がる。


「貴史―!」

大きく手を振っているのは、友人の尚人なおとだ。

小学校からの幼馴染で、ずっと同じバスケ部で一緒に汗を流してきた。

絶対同じ高校でバスケしようと約束して、頭のいい尚人に合わせるべく必死に勉強した。

だからこそ、今日は本当に楽しみで仕方なかった。

「絶対バスケ部入ろうな」

「もちろん」

高校へ着くと、それぞれの教室へ向かった。

同じクラスだったら気も楽だったが、残念ながら尚人は2組で貴史は5組だ。

人見知りしやすいので、この初日の一歩はすごく緊張する。


スゥ〜…


息を吸い込むと、扉を開けた。

教室内には多くの学生がすでに来ていて、大なり小なりグループが出来ていた。

着席表を確認して、指定された席に座った。

ラッキーなことに窓際だ。

明るいし開放的でいい。 


「おはよう」

声をかけられて、隣を見ると黒髪のロングヘアーの女の子がこちらをみてニコリと笑っている。

「お、おはよう」

ぎこちなくだが挨拶を返した。

「私、吉村よしむら果歩かほって言います」

そう言ってこちらをみている。

「ん?あ、俺は稲葉いなば貴史たかし…です」

「改めて稲葉くん、よろしくね」

「こちらこそよろしく」

貴史はぺこりと頭を下げた。

すると、チャイムが鳴り、初めての授業が始まった。


「貴史―!部活見学行こうぜ」

尚人に言われて、放課後は早速バスケ部の見学に向かった。

白和西はくわにし高校は、進学校で公立高校ながら運動部の実績はそれなりにある高校だ。

バスケ部も強い。

だからこそ、受験勉強にもかなり気合が入った。

小3から始めたバスケは貴史にとって人生そのものというくらい、いつもそばにあった。

ありがたいことに両親が高身長なので、もうすぐで180センチに届きそうなくらい身体はでかい。

「楽しみだな」

そう言いながら見学へ行き、一緒に練習に混ぜてもらった。

「お前らすごいな」「絶対入部しろよ」と言われ、無事に仮入部となった。

その後尚人とまた明日と別れ、家路に着いた。


小さなアパートの2階奥が貴史の家だ。

幼い頃に母を亡くし、父親と二人暮らしをしている。

父は売れない小説家なので、とにかくお金はない。

早く自立してこのボロアパートから脱したい、帰る度にいつも貴史は思っていた。


「ただいまー」


貴史が家に入ると、父はエプロンをつけて晩御飯を作っていた。


「おかえり。今日はカレーだぞ」

「…具は入ってるんだろうな」

「ちくわが入ってるぞ」

「またかよ」

貴史はため息をつくと、手を洗って準備を手伝う。

小さなダイニングテーブルにちくわカレーを置くと、小さな仏壇にもカレーを置いた。

仏壇には笑顔の母が写っている。

「母さん、今日もちくわカレーだよ。粗末なご飯でごめんね」

「粗末なんかじゃないぞー!新婚の時は母さんに作ったら美味しい美味しいって食べてくれたんだからな」

「15年前から変わってないのかよ」

「変わらないってのもいいもんだぞ。早く冷めないうちに食え」

「あぁ」

手を合わせてカレーを口にかきこむ。

具がないから食べ応えはないが、味は美味い。

「そう言えば、隣の家に引っ越してきたぞ」

「ずっと長らく空き家だったよな」

以前は優しいおばあさんが住んでいた。

たまにおかずを作りすぎたと言っておかずをくれたりして、仲良くしていた。

でもある時、おばあさんが転んで怪我をしてしまって、一人暮らしは厳しいということで息子さんと同居するとに引っ越してしまった。

もうあれからかれこれ1年くらい経つ。

「すごい綺麗で豪快って感じの女の人と大人しそうな女の子だったよ。お前と同じくらいの年齢かな」

「ふーん」

「母親はトラック運転手らしくて、朝まで家を空けることもあるから女の子のことよろしくって言われちゃったよ」

家を空けることを簡単に他人に言うとは、なかなか危機管理できてない人だ、

「お前も歳が近いんだし、仲良くしてやれよ」

「あぁ」

まぁ会うこともないだろうし、と適当に返事をしていると、ピィィンポーとかすれたチャイムの音がした。

チャイムの音すら情けない。


「はーい」


扉を開けると半泣きで筒状にした新聞紙を持って女の子が立っている。


「た、助けてください…」

「…え?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る