第5話 狼の戦場
クランブルクで行われる闘技会は本物の武器ではなく、木でできた殺傷力の極端に低いものが使われる。闘技会用の武器は出場者が各々選び、それを使用して戦う。普段使い慣れない物を使用することで本当の実力が試されるということと、無益な死亡を減らす為である。
とはいえ、屈強な男達が出場するとなると、例え殺傷能力が劣るとしても、死に至る事はまれではない。建前上、殺さないよう相手を負かすこと、と言われているが、戦場に放たれた者たちがそれを加減できるはずもない。相手が負ける、即ち降参するか、負傷するか、気絶するかだが、そうして試合が終了したケースは珍しかった。
それ故、闘技会に出るものたちは相当の覚悟を背負ってきているし、それだけ会は白熱するものとして毎回大いに盛り上がることとなるのだ。
「ふんっ!」
デンゾルの振り下ろした棍棒が地面に食い込み、砂埃を上げる。カイラスは直前でそれをかわし、また間合いを取る。
「逃げてばかりでは面白くないな!お前の実力を見せろ!」
カイラスは何も言わず様子をうかがいながら、攻めてくる気配を見せない。だが眼は確実にその動きを捉えて分析している。カイラスは数回また攻撃を交わすと、守りから一転、動きを変える。
「!!」
棍棒から懐に逃げ込むようにしたカイラスから、一気に急所めがけての突きが繰り出された。だがそれはデンゾルのつけていた頑丈な胸当てに阻まれ、大きな衝撃を与えるほどではない。とはいえ、相手を驚かせるのには充分だったようである。
デンゾルが一気に攻めの速度を落とす。それを見落とすカイラスではない。再び間合いを取ると、素早く横に回り、防具をつけていない部分を執拗に、かつ正確に狙う。デンゾルはなんとかかわしていたが鋭い突きを一発食らってしまい、ふらっと態勢を崩した。
そこへカイラスが体当たりするかのように飛び上がる。デンゾルの胸の上に蹴るようにして乗ると、地面へと大きな体を打ちつけた。それはまさしく、黒い貪欲な狼が獲物に飛び掛る姿と似ていた。思いっきり地面に打ち付けられたデンゾルが呻き声を上げる。カイラスは何一つ表情を変えず胸の部分に足を置き、木刀を構えた。
その時不意に今まで気にしていなかった観客席の大歓声が耳に入り、一瞬相手から眼をそらして顔を上げる。
「……っ!」
数多くいる観客の中から、席の最上段にいる、この場にそぐわない服装をした人間。それに一気に注意を奪われた。デンゾルの渾身の跳ね上がりがカイラスを襲う。
(しまった……)
バランスを崩し地面に転がるようにして転倒したが、すぐさまその反動で起き上がり剣を構える。
「とどめをさすのをためらうとは、狼らしくない」
デンゾルは苦しそうな表情をしながらも、勝ち誇ったような顔をしていた。
「ああ、油断した」
素直にそう言うと、カイラスは一度剣を下ろすと息を大きくついた。そして再び相手を見据えると、更に殺気が増幅する。
「そうよ、それでこそ『黒狼』の瞳だ」
デンゾルも気を取り直したのか、しっかりと武器を構えている。しばらく睨み合いが続いたが、先に動いたのはカイラスだった。一気に走り出すと棍棒めがけて剣を振り下ろした。
(なっ……この細身の体でこれだけ重たい攻撃を!!)
腕に走る衝撃に驚きながらデンゾルはその攻撃を受ける。だがその驚いている隙に攻撃の第二波が来る。あっという間に懐に飛び込まれ、その重たい衝撃を腕に直接受けてしまった。防具をつけていたとはいえ、さすがの衝撃に持っていた武器を放してしまう。
それを確認したカイラスはすぐに一歩下がり、落ちた武器を足で思い切り蹴飛ばす。棍棒は持ち主のもとから遠く離れてしまった。だがデンゾルもあきらめてはいない。持っていた盾を今度は振り回し始めた。大振りの攻撃にさすがのカイラスも踏み込む隙がなかなか見つけられないかと思いきや、カイラスは棍棒のところまで移動しそれを左手に持つ。
「お前がそれを使うのか!?」
カイラスは無言で棍棒を盾に当ててかわしていく。利き手と遜色ない動きにデンゾルが翻弄されていった。だが威力の点では盾の方が力は強い。徐々にカイラスは闘技場の壁へ追いやられていく。
「使い慣れない武器ではこうなるわけだ」
と、勝利を半ば確信しかけたデンゾルは、突如後へもんどりうって倒れた。
観客もその様子に一瞬静まり返る。動いているのはカイラス一人だ。今度はためらいなく、右手の剣で防具で護られた頭部を思い切り突く。そしてデンゾルはそれ以来動かなくなってしまった。カイラスは持っていた棍棒を防具と防具の隙間を狙って突き刺すように投げつけ、凄まじい衝撃を与えたのだ。
カイラスは何事も無かったかのようにその場から離れると、沸きあがる観客の歓声に耳を貸すこともなく、途中で気になった人間を探すこともなく、静かに闘技場の出口へと歩いていったのだった。
観客が大いに盛り上がる中、レイミアは1人呆然と試合の一部始終を見つめていた。試合が終わった今も動けずにいる。
(なんなの……あっという間に終わってしまったわ。なんて早い動き……あんなに体格の違う人を……)
デンゾルは場内の整理係によって担架で運ばれていった。相当な体重なのか8人もついている。
(……殺したのかしら)
ぎゅっと自分の腕を抱きしめると、その刺激でレイミアは我に返った。観客の歓声が再び耳に入ってくる。
(出よう。確かめたのだし……あとは直接話せたらいいのだけど)
意を決して体を動かすが思うように力は入らない。まだ続く試合の喧騒の中、レイミアはゆっくりと階段を下り、出口へと1人向かっていった。同じように会場を後にする人たちも少なくはなく、試合の感想があちこちから否応無く耳に入ってくる。
「決着はあっという間についたな」
「さすが過去の優勝者だけある!」
「地面に倒れこんだ時はさすがにヒヤリとしたけど」
「しかしあの動きは速かったな」
どれもこれも興奮した口調で語られている。レイミアも同じ感想を持っていたが、とても興奮した気持ちにはなれない。むしろ胸を掴まれたような苦しさである。一刻も早くこのコロセアムから出て、大通りの明るい光を浴びたいとレイミアは思った。後ろから来る人に流されるようにしてようやくコロセアムを出ると、中の喧騒とは違い、幾分静かであることにほっと息をつく。
(教会に帰って休もう……なんだか疲れたわ)
ほんの短い時間ではあったが、まるで一日歩いたかのような疲労感があった。若干のふらつきを覚えながらレイミアはようやく大通りに出る。人々はいつも通りに動き、日常がそこにあった。ようやく安心できる場所まで来たと思い、大きくため息をついた。一気に疲れが体にのしかかる。
そこへ突然、強く手を引っ張られた。レイミアの身体はその力に抗うことなく、引きずられるように狭い路地へと入っていく。
「……っ!」
驚いて顔を上げればシャルヴィムだった。覆面はせず、服装も旅に出るときのような姿ではなく、マントや防具はつけていない。そして黒ではなく深緑色のズボンをはいている。だが武器だけはしっかりと装備されていた。レイミアは驚きのあまり一瞬声を失う。幾分強い語気でシャルヴィムは尋ねた。
「なぜあそこにいた?」
「……やっぱり貴方だったのですか!?」
シャルヴィムはレイミアの手を離すとため息をついた。2人はお互いにしばらく黙る。やがてレイミアが恐る恐る口を開いた。
「どうして試合に?」
「金が必要だったからだ」
「今すぐにですか?」
シャルヴィムは頷いた。
「武器の調整に時間がかかると言っただろ?それにまとまった金が必要だ」
「じゃあどうして教えてくれなかったんです?言っていただければ……」
「『用意したのに』、か?」
レイミアはぐっと言葉を詰まらせるが
「違います。用意は……今の私じゃとても……でも、貴方を怪しんで、詮索して、結果的に邪魔をするようなことはしません」
語気は弱いながらも、しっかりとレイミアはシャルヴィムを見据えた。だがすぐに視線をそらす。
「あの……不安なんです……貴方の事が全然わからなくて、どうしていいかわからなくて」
「知らないほうがいい事もある」
冷たく静かにシャルヴィムは言い放った。
「でもっ……!」
「やめておけ」
レイミアは何かを言いかけて、再び合わせた目を外して口をつぐんだ。シャルヴィムは再びため息をつき、腕を組む。
「悪いようにはしないつもりだ」
「だったら……せめてこの後どうなさるか教えてください」
「明日決勝戦が終わる。だが武器の調整はあと数日はかかる。それが終わればクランブルク教会へ顔を出す」
「わ、わかりました。ではお待ちしています」
「コロセアムには来ない方がいい。今日無事にあの場所を出られたことを幸運に思うんだな」
それだけ言うとシャルヴィムは路地の奥へ消える。レイミアはただ呆然とその背中を見送るしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます