廻る命

@yama3ki

廻る命

雨の日のことだった。まだ幼かった私は、汚なくて悪臭の立ち込めるゴミ捨て場に捨てられた。


私は奴隷だった。獣人だった私はどこかの金持ちに買われて、そこで「道具」になった。彼らを満足させるためだけの道具。


私はいらなくなった。新しくて綺麗な子が来たから。茶色い染みがたくさんついた肌触りの悪い、粗悪な布製の袋に入れられて気付いたらここに捨てられてた。


もう生きるつもりはなかった。生きるための力も残って無かったから。袋から抜け出すので精一杯だった。



「"大丈夫かい?"」



一人の女性が私に声をかけた。その言葉は私には新鮮だった。今まで言われたことなかったから。


雨音が強くなる中、彼女は黒色のローブを羽織って私の目の前に立っていた。フードを被っていたせいで、顔はよく見えなかった。


面倒だったから、返事はしなかった。死体を演じるように、うっすらと目をあけながら深い呼吸で横になっていた。


しばらくすると、彼女はどこかへ行って、そしてまた戻ってきた。手には二つの小さなパンがあった。私は彼女にパンといっしょに抱き抱えられて、どこかのベンチに座らされた。


「ほら、食べなよ。お腹減ってるでしょ?」


私の気持ちを見透かすように彼女は言った。正直、確かにお腹は減っていた。でも、食べる気力は無かったから、目の前に差し出されたパンを私はただ見つめるばかりだった。


腹の虫が鳴いた。少し恥ずかしかったけれど、やっぱり食べる気にはなれなかった。


「…これくらいならどう?」


彼女はパンの端をほんの少しだけちぎり、私にそれを渡した。さっきの、パンを丸ごと渡されるよりは食べれそうだと思った。


私はちぎられたパンの端を、さらに小さくちぎって食べた。ほんの少しだったけれど、パンは温かくて、甘くて、優しい味だった。また一口食べた。お日様の、ぽかぽかするような香りをほのかに感じた。


私は、気付いたら泣いていた。大粒の涙が頬を何度も這った。


「美味しいって、思ったでしょ?それ、私の店のパンなんだ」


彼女は笑顔で私にそういった。彼女の存在は、私には眩しすぎるものだった。その時、見上げた拍子に気付いた。


猫のような耳が生えていた。彼女も私と同じ獣人だった。とてもなめらかで、美しい赤髪だった。同じ獣人なのに、彼女は幸せそうに生きていることが羨ましかった。






私はそれから、彼女と暮らしていた。何故かは分からないけれど、あの日の後成り行きでいつのまにか彼女の家に連れてこられていた。


初めてする生活、初めて見るもの、初めて着るような服。


ここに来てから新しいことばかりで少し怖かったけれど、彼女と過ごす時間はとても暖くて心地よいものだった。


彼女は『E.C.』という店名のパン屋を営んでいた。毎日たくさんのお客さんが訪ねてきて、彼女のパンを買っていくのを私は裏から見ていた。


たまに手伝いもした。彼女の助けになれるのがとても嬉しかった。些細なことでも、彼女は感謝を忘れることはなかった。その素敵な人柄が、私は大好きだった。


日が沈むと、彼女と私だけの時間が来る。私はこの時が一番好きだった。二人だけとは言っても、喋るのは彼女だけだった。私は、まだ何かを彼女に喋ったことはなかった。


返事こそできなかったけれど、彼女の話はなんでも真剣に聞いた。今日のお客さんのことだとか、最近の流行りとか、悩み事とか。一番印象に残っているのは、一度だけ言ってくれたこの話だった。


「…生き物の一生とか、いわゆる運命ってやつは、生まれた時に既に決まってると思うんだ」


「人のためにしたことは巡り廻って自分のためになる。他人の命は巡り廻って自分の命になる」


「急にこんなことを話して、意味が分からないとか、荒唐無稽だと思うかもしれない。でも、もしもこれが本当だったら…素敵じゃないかい?」


「いつか、君も理解することを願っているよ」


彼女の言っていることはよく分からなかった。それでも、この話をとても素敵だと思った。理由はよく覚えていない。






穏やかな日常を、数年間ただのんびりと過ごしていた。とても幸せだった。


ある年、疫病が街を襲った。次々と街の住人が倒れた。私と彼女は仕方なく、家に籠ることにした。当たり前だがパン屋も仕方なくしばらく間、休業することになった。


とても虚しかったのを覚えている。あれだけ活気に溢れていた店前が、その時はただ風が吹き枯れ葉が舞っているのが窓から見えた。


大雨の日のことだった。彼女の体調がおかしくなっていった。みるみるうちに体調は悪くなり、仕舞いには彼女はベッドから起き上がることすら難しくなった。彼女が疫病にかかったんだと、理解するのにそう時間はかからなかった。


体調を崩しても、彼女は彼女のままだった。喋る内容はいつも通りで、誰が聞いても元気だなぁと思うような声だった。私はその彼女の姿に耐えられなかった。毎日こっそり泣いていた。


しばらくして別の街から来た医者達によって、街は何とか復興を遂げた。けど、彼女のことは治してくれなかった。街の人たちとは違って、彼らをは獣人差別の激しい人たちだった。


街の住人も彼らに治して貰った手前、何も言えなかった。私は彼らに抗議したが、獣人嫌いが獣人を治せと獣人に言われても、ただ怒りを露にするだけだった。誰かに喋ったのは、この日が生まれて初めてのことだった。


ずっと彼女の世話をした。何故か私は感染しなかった。彼女が動けなくなったから、代わりに私がパン屋の経営を続けた。彼女の意志を継ぎたかったから。


次第に、疫病は治った。パン屋も元の姿を取り戻した。それでも彼女がベッドから動くことはできなかった。彼女は余生をベッドの上で過ごすことになった。


私は何年も彼女の世話を続けた。彼女はどうやら、寿命の短い種族だったらしい。日に日に彼女が老いていくのが手に取るように分かって、とても辛かった。この時も、私はまだ彼女とは話したことがなかった。


窓から日の光が差し込む。鳥のさえずりが聞こえていた。窓辺の花瓶に指していたネリネの花からは、珍しく香りがした。とても甘くて、切なくて、儚い香りだったのを鮮明に覚えている。


とても穏やかで、平和な日だった。彼女は私に尋ねた。


「…私と離れたくないかい?」


「私が消えたら、悲しいか?」


「私が死んで生まれ変われたら、会いたい?」


私は全て首を縦に振った。彼女は窓をぼんやりと眺めながら話を続けた。


「最後に頼み事があるんだ」


「君は私になれ」


「そうすれば、会えるはずさ」




何を言っているのか、よく分からなかった。


わかったけど意味が理解できなかった。私になれとは、一体どういうことなのか、私は分からなかった。


私は彼女に一つ聞くことにした。


"なぜ、あの日私のことを拾ったの?"


彼女はとても驚いていたけれど、同時に嬉しそうだった。


「…私と同じだったから、かな」


"…それってどういうこと?"


「なんでもいいんだよ。きっとこれからもこうなるんだから」






翌日の朝、彼女は穏やかな表情で死んでいた。その時のことは、とにかく泣きじゃくったことしか覚えていない。


私は彼女を、近くの丘に埋めた。その日は星がよく見えていた。


私は彼女のことを理解することはできなかった。


最後の言葉も、結局よく分かっていない。


だけど、彼女の頼みを諦めるわけではない。


私の、最愛の人だから。






私は、素直に言葉を受けとることにした。私は『彼女』になろうと思った。生前の彼女をイメージして、口調を思いだして、仕草を馴染ませた。


気付いたころには、『私』は消えていた。もう私の中には、『彼女』しかいなかった。


これで会えただろうと、再会できただろうと、これで私が満足するだろうと彼女は思ったのだろうか?


考えても考えてもより分からなくなっていく。私は、終着点のない旅をしているような気分だった。気が狂いそうだった。


でも、まだ彼女のことは信じていた。






雨の日のことだった。私はその日、用事があって汚くて悪臭の立ち込めるゴミ捨て場の横を通った。ふと、視線をそちらへ向けた。


そこにはいた。彼女が、いた。


いや、違った。いたのは彼女じゃなかった。


私だった。幼くて小さい私が、そこにうずくまっていた。


意味が分からなくなった。唐突に訪れる出来事に、頭痛がした。視界が狭窄してなにも見えなくなっていく。


真っ暗になって、最後に見えたのは彼女のだった。彼女は私にこう声をかけた。



「"大丈夫かい?"」



今は、一体 "どっち" なんだろうか?

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店名『E.C.』の由来

E…Eternal

C…Cycle

Eternal Cycle (永劫の輪廻)


この物語は、永遠に続く。


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