14話 印の場所

 翌朝、いつものように目を覚ます。


 まだ薄暗い研究室の片隅に設置された簡易的な寝床から身体を起こして部屋を見渡す。


 窓から差し込む光にも、まだ明るさはない。


 服を着替えて洗面所で顔を洗う。


 鏡に映るのは、相変わらず見慣れない自分だ。


 空色の髪と琥珀色の瞳に、整った容姿は当然ながら日本人離れしている。


 ふと、昨日のレオネル先輩の言葉が脳裏によぎった。


 何か、思うところがあったのだろうか……。


「はぁ……」


 息を軽く吐いて思考を断ち切る。


 答えの出ない問いをいくら考えたって時間と脳のリソースが無駄になるだけだ。


◇◆


「ん…ぅん……」


 朝食の準備をしていると、背後からうめき声が聞こえた。


 出来上がったベーコンエッグと焼けたトースターを皿に乗せて、テーブルへと運ぶ。


「そろそろ起きろ」


 そう言って額を人差し指で弾くと「ったぁ!?」と言いながら起き上がる少女。


 鮮やかな赤髪がボサボサとあらぬ方向に向かって跳ねまくっている。


「ねぇ、その起こし方やめない?」


 文句を言いながら立ち上がり、大きくアクビをしながらテーブルにつく。


「こうでもしないと起きないだろ」と反論しながら、テーブルに昨日受け取った地図を広げる。


「これ、昨日貰ったんだけど」


 そう言ってアンの方を見ると、アンはパンを片手に地図を眺めていた。


「これ、会長が?」

「そう。今日からは、その印のとこで訓練らしい」


 ハムエッグを頬張りながら「ほぇー」なんて気の抜けた返事をしているアンは、印の場所を見てニヤリと笑ったように見えた。


……ところでこの卵、いつも食べてるのはいいんだけど何の卵なんだろう。鶏とか居るのかな、この国。


「昨日結構騒ぎになってたもんね。流石は私のレイ」

「騒ぎの主な原因はレオネルさんだと思うけど」


 という名前が出た瞬間にアンの顔が固まり、ギ、ギ、ギ、と軋む音がしそうなくらいぎこちなく僕の方に顔を向ける。


「……レオネルって、まさかとは思うけどレオネル・シュトラウス?」

「ん?そうだけど、な──

「もし、次にレオネルそいつと出会っても、絶対に私の名前を出さないこと。私の存在を匂わせるのも駄目。いい?絶対よ?」 


 アンは異常なくらい焦った様子で残った朝食を口に放り込み、バタバタと身支度を始めた。


「何だってんだよ」


 と呟いて、地図をポケットにしまう。


 反応から推測すると、アンは印の場所を知っていそうだったが、恐らく教えてはくれないだろう。


 あれは面白がってる時の顔だ。


 半ば諦めながら朝食を終えて食器を片付ける。


「いってらっしゃい」

「あ、鍵分かる?」

「大丈夫、分かる」

「よし!いってきます!」


 アンに見えるように手をヒラヒラと振り、肯定の意思を示す。


「僕も行くか」


 洗った食器を乾燥棚に置いて、そう呟いた。


◇◆


 なんとなく、今日はゼオン君の歯切れがずっと悪かった。


 絡んでは来なかったが時折、睨むような目線を向けてくることはあった。


……やっぱりお兄さんが関係してんのかな。


 なんて考えながら、正門から学院を出る。


 ポケットから地図を取り出して、現在地と目的地を確認する。


……えっと?学院を背にしてこう立って?目的地がこっちだから?


 思ったより苦労しそうだ。スマホ世代にアナログ地図は中々厳しい。


 だが、苦ではなかった。


 歩いているだけで心が躍るくらい、街並みが魅力的だった。


 石畳の道には時折馬車が行き交い、道の端の窪みには水が絶え間なく流れている。水道が整備されているのたろうか。


 家々は木を軸に据えた石造りが多く、人々は活気に溢れている。


 歴史のあるヨーロッパの街並みを歩いているみたいだった。


 心なしか空気も美味しい。


 謎の果物を売る店、妙な売り文句での呼び込み、すれ違う人々のカラフルな髪や瞳。


 おおよそ穏やかな日常が、特別に見えた。



 地図に従い歩いていると、そんな賑わいのある街の中心から徐々に離れていく。


 道はいつの間にか土道に変わり、建物もまばらになっていた。


 やがて並木道にさしかかり、目的地が近いことが分かる。


 地図には、この並木道を抜けた先の広い空き地に印が付けられていた。


◇◆


 並木道を抜けた先は小高い丘になっており、一気に視界が開けた。


──突如として目前に広がった光景に、僕は思わず息を呑んだ。


 目の前に現れたのは、堂々たる佇まいの屋敷だった。


 白を基調とした壁は綺麗に磨き上げられ、風格を漂わせる意匠が施されている。


 屋根は青く塗られ、白とのコントラストが美しい。


 更には幾つもの窓が昼下がりの日差しを反射して輝いていた。


 広大な庭園と屋敷を含んだ土地の周囲を、うっすらとドーム状の光が囲んでいる。


 魔法的な結界か何かだろうか。


 僕が門の前で、その美しさに見惚れていると突然その門がギィィと重厚に軋む音を立てて開いた。


「思ったより早かったですね」


 その声に驚いて振り向くと、いつの間にかセシリアさんが立っていた。


……なんか、前にもこんなことあった気がする。


「あの、ここは?」


「グローリア家・別邸。今の私の家です」


 脳内に疑問符が無数に浮かぶ。


 これが、別邸……??


「遠慮せず、お入りください」


 唖然として立ち尽くしていたのを、遠慮と取られたらしい。


 いつもと変わらない涼やかな声に背中を押されて、僕はグローリア邸の門をくぐった。

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