戦争と平和
紙の妖精さん
War and Peace
小学校の卒業式の準備が進んでいた。まだ春の陽射しが感じられる季節、校舎はどこか明るく、賑やかだった。教室では、卒業生の名前が掲示され、色とりどりの飾り付けが施されていく。みんなの顔には、期待とわずかな寂しさが混じっていた。それも当然のことだろう。6年間を過ごしたこの場所から、誰もがそれぞれ新しい道へと進んでいく。
寿福は黒板の隅に貼られた飾りをじっと見つめていた。
黄円は机に向かって何かを書いていたが、ちらりと寿福の様子を見て、軽く首をかしげた。「ねえ、寿福。あれ、見て。あの飾り、すごく可愛いね。」
寿福は無意識に指を指した。「うん、もっと素敵に飾りたいなって思ってるんだよね。」彼女は笑みをこぼしながら言った。
その日の放課後、突然流れ始めた緊急放送。耳をつんざくような音とともに、静かな空気を一変させる言葉が飛び込んできた。
「緊急事態。地球を含む複数の惑星で、宇宙戦争が勃発しました。」
寿福はその瞬間、目の前が暗くなるのを感じた。黄円も固まったまま、放送を耳にしていた。
「宇宙戦争?」黄円が震える声でつぶやく。
寿福は答えられなかった。ただ、目を閉じて、しばらくその言葉が耳に残っていた。
数日後、都市は急速に疎開準備を進めていた。住民たちは次々と都市を離れ、避難所へと向かう。学校も閉鎖され、無人の街が広がっていく。だが、寿福と黄円はその決定に反発していた。
「みんな疎開するなんて、どうして?私たち、何も変わらないよ。」寿福は必死に思いを訴えた。黄円もその言葉に同意し、目を見開いたまま答える。「私たちだけでも、卒業式をやる。それが普通の日常でしょ?」
だが、周囲はその意志に同調しなかった。街はみるみるうちに静まりかえり、誰もが未来の不安に向き合っていた。とりあえず、避難所が安全だと信じて、家族や友人たちが都市を離れていった。
二人はその流れに従うことなく、都市に残ることを決めた。どこかで無理をしていると自覚しながらも、卒業式を迎えることだけは譲れなかった。
「きっと何とかなるよね。」黄円が小さな声で言った。彼女は、まだその日が来ることを信じて疑わなかった。
寿福は、その言葉に答えずただうなずいた。二人の心は、今や一つの願いに集約されていた。普通の日常を守ること。それだけが、今の世界で唯一の希望の光だった。
都市は静まり返り、かつての賑わいを感じさせるものはどこにもなかった。すべての建物は、まるで亡霊のように立ち尽くしている。人々の足音が消え、車の音も、風の音も、何もかもが遠く感じられる。空気にはわずかな埃が舞い、時間だけが無情に流れていく。
寿福と黄円はその街の中を歩きながら、必要なものを集めていた。缶詰や飲み物、保存のきく食材がいくつかの商店や食料庫に残されていたが、それも限られていた。家電製品が無造作に置かれたままで、機械はすでに動かなくなり、光のない街は沈黙に包まれていた。
「缶詰はまだいくつか残ってるね。」黄円が棚から取り出した缶を手にしながら言った。彼女はまだ冷静で、どこか落ち着いていた。
寿福はその缶を見つめながら、少しの間黙っていた。缶詰一つひとつが、どれほど貴重なものなのかを考え、ゆっくりと頷いた。「あと、パンやお米も見つけたけど、食料の消費は気をつけないとね。」
二人は必要最低限の食料を確保し隠れ家へと戻った。もはやその場所が、唯一の「家」だと感じていた。屋上に上がり、二人は一緒に広がる空を見上げる。静かな夜空には、まったく星が見えなかった。普段なら見られるはずの光が、戦争によってすべての方向を遮られてしまったのだろうか。
「卒業式、やらなくちゃね。」黄円が、ふと呟いた。
寿福はその言葉を聞いて、少しだけ微笑んだ。「うん、絶対にやる。」
彼女たちは廃墟の中から、卒業式に必要なものを集め始めた。都市が無人になり、誰もいなくなっても………。
「手作りでもいいよね。」黄円が言った。彼女の手は、鉛筆で紙に何かを書き始めた。「私たちだけの、特別な卒業式を。」
「そうだね。」寿福は、その言葉に力強く頷きながら、床に座り込んで缶詰を開けた。
卒業式の準備は、簡素であっても、確かなものだった。黄円が手作りで作った飾りは、どこか荒削りであったが、そのどれもが心を込めて作られていることが伝わってきた。二人だけのための学校、二人だけの卒業式。それが彼女たちの今の現実だった。
「来年も、再来年もきっと、私たちはこの卒業式を覚えているんだろうね。」黄円が静かに言った。
寿福はその言葉にうなずき、肩をすくめた。「それが、私たちの“普通”ってことだよね。どんなに世界が変わっても………」
無人の都市で、二人はひと時の平和を感じていた。食料が乏しく、死を避けられない現実が押し寄せてきたとしても………。
暗闇の中、静かにただ、無事に卒業式を迎える日を待っていた。
無人の学校は、まるで時間が止まったかのようだった。教室の窓から差し込む薄明かりが、ほこりをかぶった机や椅子に柔らかな光を投げかける。その静けさの中で、寿福と黄円は並んで座っていた。
「準備、できたよ。」黄円が、小さな声で言った。
寿福は頷き、黒板を見上げた。そこには、手書きの文字で「卒業式」とだけ書かれている。それだけで、二人にとっての卒業式がどれほど特別であるかが伝わってきた。普段ならば、たくさんの友達と一緒に盛大に祝われるべき瞬間。しかし、今日は違う。ここには、二人しかいない。
「これが最後だね。」寿福が静かに言った。視線は教室の隅にある、いつも使っていた机と椅子に向けられた。
黄円はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと立ち上がり、机の上に置かれた卒業証書を手に取った。その手は少し震えていたが、それでもしっかりと証書を持ち、寿福に向けて差し出した。
「卒業おめでとう。」黄円の声は、いつもよりも少しだけ震えていた。
寿福はその言葉に驚くことなく、ただゆっくりと立ち上がり、証書を受け取った。目の前の黄円の顔を見つめ、ほんの少しだけ笑った。「おめでとう。私たち、最後まで頑張ったね。」
二人はお互いを見つめ合い、しばらく言葉がなくても、何もかもが伝わるような感覚に包まれていた。言葉にすることができない感情が、ただ二人の心の中で静かに響きあっていた。
その時、寿福が小さな声で言った。「私たち、卒業式をやるって決めたけど…これで終わりじゃないよね?」
黄円は一瞬戸惑ったように見えたが、すぐにゆっくりと頷いた。
教室の扉は開かれたまま、何も変わらず静かに外の風が流れ込む。二人の卒業式は、ただの儀式ではない。それは、二人が共に過ごした日々と、これからも続けていく決意を象徴するものだった。
「これからどうする?」寿福がふと尋ねた。
黄円は少しの間、教室を見渡してから、静かに答えた。「わからない。」
寿福は黄円の言葉を聞きながら、ゆっくりと頷いた。二人だけの卒業式は、ただの儀式に過ぎない。
無人の教室で、二人だけの卒業式は静かに進行していく。言葉にできない感情と共に、二人の心には新たな未来が広がっていった。たとえどんな困難が待ち受けていても、二人の間には決して消えることのない絆が存在しているのだ。
「卒業おめでとう、寿福。」黄円がもう一度言った。
「おめでとう、黄円。」寿福は微笑んで答えた。
無人の教室で、二人だけの卒業式は、ひとまず幕を閉じた。
卒業式が終わった後、寿福と黄円は静かに教室を後にした。無人の街は、依然として廃墟のように静まり返っていた。二人は、自分たちだけの卒業式を終えたことに、静かな満足感を感じていた。
二人は隠れ家に戻った。食料や水は残っていたが、何よりも心の中でしばらく何も考えずに過ごしたかった。ただ、二人だけで静かに日々を送っていた。
戦争は終わりを迎え、都市は再び開放された。疎開していた住民たちが戻ってくる日が近づいていた。
その日、数年ぶりに都市に人々が戻ってきた。顔馴染みの住民たち、そして同級生たちが再び集まり、小学校の前に集まっていた。彼らは、何年も疎開生活を送っていたが、戦争が終わり、ようやく家に帰ることができたのだ。
その中で、寿福と黄円も顔を見知った友達の中にいた。しかし、戻ってきた彼らは、再び卒業式を開こうと言い出した。
「私たち、もう一度卒業式をしようよ。」友達の一人が言った。その声には、戦争を経てようやく平和を取り戻した喜びが込められていた。
黄円はその提案を聞いて、少し考え込んだ。隣に座る寿福は、無言で彼女の顔を見つめた。既に彼女たちは、あの日の卒業式を自分たちだけで果たした。その意味は他の誰にも、そして何よりも自分たちにとって、唯一無二のものであった。
「私たちは、もう卒業式したから。」寿福が、静かに口を開いた。
黄円も頷いた。「あの卒業式が私たちにとっては全てだよ。」
他の住民たちは驚いたように二人を見つめた。しかし、二人の言葉には、迷いがなかった。もう一度卒業式を開くということは、過去を振り返ることでもあった。しかし、二人にとっては、あの時の卒業式こそが本物だったのだ。
「私たちは、この都市を去るよ。」黄円がつぶやいた。
寿福は黄円に微笑んだ。「どこに行くかはわからないけど。」
二人は静かに都市を去った。背後から、友達たちの声が響いていたが、二人の足取りは決して止まることなかった。
戦争と平和 紙の妖精さん @paperfairy
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