第16話 何気ない、彼女の言葉
赤堂さんが、俺の机に頬を貼り付けて項垂れていた。顔は、組まれた二本の腕の間にすっぽりと収まっていて見えない。
昼休み。体育館から戻って来た俺に、赤堂さんがゆっくりと視線を向ける。
汗を掻いた俺は、タオルを首から下げている。真夏の真っ昼間に運動なんかするものじゃないと思う俺ではあるが、運動後に頭から被る冷水はやはり気持ちがよかった。
俺は今、牛乳パックで牛乳を飲みながら教室に戻って来たばかりだ。入り口に立ち、赤堂さんを見ている。ここは俺の教室ではあるのだが、赤堂さんと俺の立ち位置がいつもとは逆だ。構図を考えると、俺が赤堂さんを訪れてやって来たみたいになっている。
「……。」
俺が近くに来るまで、赤堂さんは不機嫌そうな視線を俺に向けて待っている。なに。怖いんだけど。
そんな珍妙な光景を見ながら、牛乳パックのストローを囓った俺は苦笑う。
「どうかしたのか?赤堂さん。なんか、元気がなさそうだけど」
「……。まぁな」
じっと不満げな目で睨まれる。寧ろ、なんでお前はそんなに気楽なんだとでも訴えられているようだ。牛乳をストローから吸い上げながら考えてみる。まあ、今朝のことなんだろうなと思い付くと。
「今日は別のところで食べてくれ」
再び腕の中に顔を埋め直す赤堂さんに、そんなことを言われる。
「別のところでって。そこ、俺の席なんだが」
「……。」
むっすりと頬を膨らませながら俺を睨みつけた後、赤堂さんが嫌だ嫌だと駄々でも捏ねているように、ぐりぐりと頭を彼女自身の腕の中へと埋めた。どれだけ頭を埋めても、もうそれ以上は下に潜れないだろうに。
「おい。聞こえてるか」
声を掛けると、もぞもぞと動いていた赤堂さんの頭がピタリと止まる。
「ちょっと落ち込んでるんだ。1人にさせてくれ」
だったら自分の教室に帰れよと思う。だが、将河辺さんの顔が思い浮かんだことで、教室では安心して悩める環境ではないのかもしれないと心配になった。
困ったものだ。屋上にでも逃げようかと思ったが、あそこも今は灼熱の広場。俺みたいなやつが居られる場所じゃない。
「そうかよ。じゃあ、俺は俺で勝手にここにいるから。何か話たくなったら言ってくれ」
俺は渋々不在になった隣の席の椅子を奪っては自分の席の前に置いてそこに座る。窓の外を見ながら、牛乳パックのストローを噛んだ。今日はもっと忙しくなると思っていたのに。事件は意外とあっさりと終わってしまったな。なんてことを思いながら。
お腹が鳴ったので、自分の鞄から弁当を取り出す。それを机に置こうと思ったが、そこは既に赤堂さんによって占拠されてしまっている。どうしたもんかと困りながらも顔を上げると、赤堂さんは、腕の上から少しだけ目を覗かせて此方を見ていた。
「……。なんだよ」
少し身構えながら聞いて見る。
「尾緒神。ごめんな」
一瞬脳がバグる。ゑ。
「え、何の話だ」
「……。」
赤堂さんは、ムスッとした顔をしたまま何も言わない。それどころか、再び頭を自分の腕の中へと潜らせていく。
「おい。そんなんじゃ分かんないぞ」
掌の側面で軽く頭を小突いてみる。そうすると、赤堂さんは「うっ」と唸り声を上げた。
「尾緒神なら、私の気持ちを推理して察せられるんじゃないのか」
「なんだよ。その無茶振りは」
そんなことが出来るなら、友達に関することで悩みを抱えたりはしない。友達100人も笑い話じゃなくなるんじゃないだろうか。
再び何も言わなくなった赤堂さんを見て、俺は溜息をつく。そしてその頭の両端を軽く持ってみる。俺がそうされたように、俺も赤堂さんの顔を腕の中から引き上げる。上げられた不機嫌な彼女の目と視線が合う。
「ほら、俺は分かんないから。そっちから話してみそ」
赤堂さんの顔が軽く歪む。
「ふ。なんだよ、話してみそって」
「……。場が和むかと思ったんだよ」
赤堂さんの頭から手を離す。恥ずかしくなった俺は、彼女から視線を外して、照れ隠しにストローを齧る。
赤堂さんはそんな俺を見てクスリと笑うと。
「しょーがないなー。話してやるかー」
と、机を手で押しながら椅子の前足を上げるように体重を掛けた。
そしてガタンと、体重移動で元の場所まで椅子が戻って来ると。
「本当にごめん!」
そう言って頭を下げられた。俺は顔をしかめた。
「さっきと内容が変わってないが」
赤堂さんは申し訳なさそうに顔を上げる。気のせいか、その体が少しだけ縮まっているようにも見えた。
「お前を疑い続けたことだよ。尾緒神は、ずっと自分が鍵を持っているわけではないと教えてくれていたのに。私はそれを信じようとしなかった。よく考えてみたら、それって凄く嫌なことだなって。それで」
「悶々としていたと」
赤堂さんは頷いた。
「私が同じことされても嫌だなって思って」
妙にしおらしい赤堂さんをみて、俺は安堵するように肩の荷を下ろした。
「なんだ、そっちか」
「そ、そっちってなんだよ」
指をいじいじし始めていた赤堂さんが、心外そうな顔をする。
「俺はてっきり、今朝の事件のことだと思っていた。結局俺達が解決した訳じゃないからな。消化不足を感じているのかと思った」
赤堂さんは少しムッとした。
「それも、そうだ」
それもそうなのかよ。
「さいでっか。まあ、俺もまだ気になるもんな」
「気になってるって、何がだ」
「副会長の動機」
赤堂さんの目が輝きを灯すのが分かった。
「そうだよ!尾緒神、それがまだ分かってなかったじゃないか!」
ぐっと赤堂さんが顔を近づけてくる。念の為、副会長の動機を自分なりに考えておいてよかった。これはまた、考察の出し合いになりそうだ。考察アニメの感想を語り合う時もそうなのだが、分からないものに対して自分なりの解釈を与えることに、俺は少しだけ感心を持ちつつあるようだ。
あの時、会長から全部を聞き出しておかなくてよかった。
赤堂さんと、いつものくだらない会話でも続けようと思った時、赤堂さんはハッとしたような顔をして手を突き出して来た。
「と、尾緒神!その前に1つ、ちゃんと終わらせないとな」
「まだ何かあったか?」
「尾緒神、私はまだ謝罪の返事を貰ってないぞ」
ぐりぐりと顔を押し付けるように睨み付けられる。その顔に、不満気な様子はもうない。
「そんなことはもう」
「誤魔化すな、尾緒神。こういうのは、ちゃんとしなくちゃ私が私を許せないんだよ」
「でも俺、それに対して不満そうな顔をしてたりしたか?」
顔には出していない自信がある。
「それは、してなかったけど。でもやっぱり、私が嫌だから。モヤモヤするから。お前にちゃんと許して貰いたい」
真剣な眼差しで見られると、弱くなってしまう。
俺は机の上に肘を突きながら、正面からは受け止めきれずに視線を逸らす。
「なんだ、お前も変なことを気にするな。それで、俺が返事をすれ、ば赤堂さんはすっきりするんだな」
「ああ。頼む」
俺は一瞬だけ赤堂さんに視線を戻して。やっぱり溜息を付いた。誰かを許すとか、そういう行為は苦手だ。俺は許しを求める側の人間であって、誰かに許しを与えるような人間じゃない。でも、友達がそれで気持ちが楽になるというのなら。まあ、やってもいいのかもしれない。
「許すよ」
そういうと赤堂さんは笑顔を咲かせた。
「おうよ。ありがとな、尾緒神」
そんな彼女をチラリと見て、俺は一度目を閉じた。そして
「俺も、1つ言わせてくれ」
「ん?なんだ」
「これからは、そういうので悩まなくていい。俺は気にしないし、それでお前を嫌うことはない。だからまあ、なんだ。俺とはあんまり肩肘張らずに、気楽に接してくれ」
頭をガシガシと掻く。昨日と今日を振り返って纏めてしまうと、やっぱりこの言葉に尽きるだろう。俺もまだ、そこまで上手く出来はしないのだが。「まあ、つまりだな」と前置いて、俺は彼女から言われた
「気にすんな。俺とお前との関係で、そういうのは不要だ」
そういうと、赤堂さんの肩が上がっていくのが分かった。また何か、顔を近づけられながら勢いのある何かを言われると思って身構える。しかし、上がった肩はまるで空気でも抜けたかのようにゆっくりと落ちていき、赤堂さんは照れくさそうにえへへと笑った。
「それ、私の言葉」
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