【短編小説】CROSSING

夜凪 叶

第1話

地平線まで広がる群青色の空の下、高橋孝行は呆然と立ち尽くしていた。灼熱の太陽が辺り一面を照りつける。生物という生物の消失。学校や駅、近所の商店街とありとあらゆる場所から、人が消滅していた。もう夏だというのに、蝉の一つも鳴いていない。

「どうなってんだ、一体」

孝行は過去を回想する。壊れてしまった現実から、逃避するかのように。


あれは昨日の部活帰りのことだった。友達の中谷

健一と、他愛もない会話をしながら帰路を辿っていた。その道程、健一は橋の欄干によりかかってだべり出した。

「なあ、孝行」

「どうかしたか?」

「もし世界から人が全員消えたら、どうするよ」

「全員? そいつは……」

孝行は足を止めて逡巡する。人は無意識のうちに、他人と自己の間に境界線を引いている。自分以外の他人が存在しない世界。それは言い換えると、自己の境界線が無限に拡大された世界のことである。無限に拡大された自己には、他人との境界線などというものは存在しない。すなわち世界そのものと同化する。世界が自己そのものであり、自己が世界そのものとなる。そこまで考えて、孝行は口を開く。

「ずいぶんと、生きやすそうな世界だな」

「へぇ、お前はそう思うのか」

健一は満足げに笑い出した。

「じゃあ、そうなるといいな」

孝行たちは、そう言って別れた。冗談のつもりだった。まさか現実になるなんて、考えてもいなかった。


そうして朝目覚めたら、世界が終わっていた。気づいたのは学校に着いてからだった。道中の異様な人通りの少なさに、何らかの違和感は感じ取っていたが。


学校に着いても誰一人いなかった。先生も生徒も友人の健一も。無人の教室に一人佇むだけだった。最初は悪い夢だと思った。夢なら醒めろと机と椅子を薙ぎ倒し、教室中を暴れ回った。だが、いくら暴れても夢から醒める気配はなく、痛みだけが鮮明に感じられた。


どうやら、夢ではないらしい。なら、どうなっている。孝行はガラケーを取り出して検索する。ふと「パラレルワールド」というワードが目に止まった。SFを好んでいた孝行は、一つの可能性に思い至った。世界線移動。無数に存在する世界線の中から、人類が滅亡した世界線に何らかの理由で転移してしまった。

「そんなこと……あり得るかよ」

思考を放棄する。とにかく本当に人がいなくなったのか、それを検証する必要があるように感じられた。


半日かけて隣町まで辿り着いた。電車は動いていないため、もちろん徒歩で。だが、結果は変わらなかった。当然のごとく、人は誰一人として存在していなかった。世界から消えてしまったのだ。


その日の夜。適当な民家に忍び込んで、食料を漁ると、カップラーメンを発見した。電気が通っていないため、お湯を沸かすのも面倒だ。孝行は勘案した結果、そのまま食べることにした。バリバリと麺を砕くように食す。

「ごちそうさま」

名も知らぬ家主に感謝を。もう消えてしまったが。満腹になると疲労からか、眠気が襲ってきた。孝行は寝床を借りて一夜を過ごすことにした。


それにしても、どうしたものか。人類滅亡という言葉が思考をよぎる。なぜか、俺だけが滅亡から取り残されてしまった。あの日の放課後、俺が俺だけの世界を望んだからなのか。俺がそこまで愚かだったからなのか。だが、今更悔やんでも仕方がない。俺は明日を生き延びるため、眠りについた。


窓から燦々と陽光が降り注ぐ。孝行は重い体を起こし、ベッドから這い出る。リビングの時計を確認すると、時刻は午前七時半。何となくテレビのリモコンを押してみるが、電源は入らない。


ふと思い出す。インターネットは繋がってるのだということを。俺はガラケーを取り出し、日本最大級のネット掲示板、Aちゃんねるにアクセスする。ここが動いていれば、俺はネット上で助けを呼べるかもしれない。しかし、現実は残酷だった。Aちゃんねるの更新は昨日の時点で停止しており、何の成果も得られなかった。

「……やっぱり戻ろう」

孝行は再び、半日かけて学校に戻ることにした。平日の昼間から学校にいないというのは、何となく落ち着かないように感じられたからだ。


日も暮れなずむ頃、無人の教室に戻り、窓際の席から外を眺める。残照が空を茜色に染め上げていた。一方、矩形に切り取られた建物の影は、地表の明度を落としている。ゴーストタウン。終焉を迎えた街並みは、隅々まで寂寥さを滲ませていた。


夜。孤独感に苛まれる。無人の家に戻る気が起こらず、孝行は学校に残っていた。

「なあ、健一。なんか話そうぜ」

返事はない。虚空に向けた呼び声は、誰の耳にも届くことなく雲散した。

「どうして、俺だけ……」

悔しさにも似た無力感に苛まれる。神の悪戯か、世界に取り残された唯一の人類。それが俺。人間は一人では、生きていくことすらままならない。人間の弱さを思い知った。そんな夜だった。


朝。教室の窓から降り注ぐ陽光で目が覚めた。どうやら机に伏して眠っていたらしい。体を起こして、伸びをする。気持ちの良い朝。だが、そろそろ風呂に入りたい。そう感じた孝行は、近くの民家から水の張ってある浴槽を見つけた。水風呂に入って体を清める。民家から服を拝借して、着替えも済ませた。孝行は再び、名も知らぬ家主に感謝をした。


学校に戻り、元の席に座ってみる。人類が滅亡してから、気づいたことがある。人は繋がりを求めているということだ。人は本質的に生まれてから死ぬまで一人である。だから、他人を求める。誰かと話したい。触れ合いたい。理解し合いたい。その感情が、人を人として規定している。人は一人では、人ではなくなる。人とは呼べない何かになる。人は他人がいてようやく、人でいることができる。そのことを理解した。

「俺にできることは……」

孝行は自身の使命を自覚した。


孝行はラジオ局に向けて、旅に出ることにした。ラジオ局には非常電源が用意されており、停電時でも放送が可能である。孝行は人との繋がりを求めた。自分が人であるために。道中、足りないものは民家を漁って手に入れた。おかげで衣食住には困らなかった。


一週間ほどして、ようやくラジオ局に辿り着いた。建物に入り、非常電源をオンにする。放送室を見つけ、マイクを手に持った。旅の途中で書いた原稿を目の前に置く。準備は整った。

「あー、こちら高橋孝行です。第一回の放送を始めます」

孝行は人との繋がりを求めた。自身が人であるために。ただ、ひたすらに。

「記念すべき第一回は、世界から人間が消えた原因について考察します。おそらくですが、俺は別の世界線に何らかの原因で移動してしまったのではないかと考察します」

原稿を読む。誰かにこの放送を届けるため。誰かに聞いてもらいたい。動機はそれだけで十分だった。

「友人の中谷健一へ。俺は元気でやっています。だから、そっちも元気で頑張ってください」

思いのままを伝える。ありのままの感情を。

「それでは、第一回の放送を終わります。では、また来週」

孝行はマイクをオフにして、一息ついた。これで終わりだ。俺の使命を果たした。俺は人と繋がっている。一方的な交わりかもしれない。でも、それだけで十分だった。なぜなら、俺はまだ人でいられるから。また来週も続けよう。俺はそう決心した。


   ○


孝行がいなくなって一ヶ月。俺、中谷健一はとある放送を聞いていた。Aちゃんねるのオカルト板で話題の謎のラジオ放送。それは高橋孝行と名乗る人物が毎週、自身の近況を語るというものだった。放送には必ず、友人の中谷健一という人物の名前も上がっていて、掲示板は考察に沸いていた。実は孝行という人物は幽霊で、霊界から放送しているという説や、孝行は宇宙人に連れ去られた日本人で、バレないようにSOSを出しているという説など、様々な妄想めいた考察が飛び交っていた。

「えー、こちら高橋孝行です。第四回の放送を始めます」

ラジオから孝行の声が聞こえてきた。

「第四回は、最近考えたことを話します。人はどんな時でも一人ではないんです。一人ぼっちの世界で俺一人になって、最初は絶望しました。でも、このラジオを通して人と繋がってるって思えば、これからも頑張っていけそうな気がするんです。もし、どこかで一人寂しい人は俺を思い出してください。決してあなたも俺も一人ではありません。人は繋がって生きているんです」

健一は息をも忘れ、ラジオに耳を傾けていた。

「友人の中谷健一へ。俺はまだまだ元気だから、お前も頑張れよ。人生粘りが大事だからな」

孝行が俺の名前を呼ぶ。

「それでは、第四回の放送を終わります。では、また来週」

その言葉を最後に、放送がぷつりと切れた。健一は思いを馳せる。どこかで生きている友人へ。どこかで必死に頑張っている友人へ。どこかで元気にやっている友人へ。

「最初はお前がいなくなって寂しかったけど、お前が元気そうでよかったよ」

誰もいない部屋で、本心を吐露する。ある日突然いなくなった友人。警察がどれだけ捜査しても見つからない。お前いわく別世界にいるらしいな。そりゃ見つからんわけだ。


健一は孝行のおかげで、気づくことができた。人は繋がって生きている。どんなときも決して一人ではないのだということを。

「孝行が言うなら間違いないんだろうさ」

俺は別世界にいる友人に思いを馳せた。

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