歌垣
春が深くなると、アマ草はひいて、カシモ草が生えてくる。そうすると、鹿は山に帰っていく。イタカの野に鹿がいなくなり、鹿狩りの季節が終わると、村は急にそわそわしだす。春の祭りが来るのだ。
歌垣だ。一年に一度の、恋の祭りが来るのである。
鹿の群れが去った後の、イタカの野に夢の櫓を立て、その周りで男と女が踊り、歌を歌いあって、呼びあうのだ。
男と女がいる限りは、恋は限りなく成立する。互いを恋する思いを歌にこめ、この日ばかりはどうどうと胸の内をうちあけあうのである。
肩の怪我もなおり、すっかり調子を取り戻したアシメックは、イタカの野に櫓を建てるのを手伝った。木を組み、鹿皮をかぶせて、美しい櫓を建てる。本番にはこれに花も飾って、たいそう立派な建物になる。カシワナカの印も彫りこんだ板も飾った。神の許しの元、人間はこの日ばかりはと、恋をしあうのだ。
アシメックはもうだいぶ前から参加していないが、その日が近づくたびに、いろいろといいことをしてやった。若いやつらが好きな男や女を見る時の目が、かわいくてならなかったからだ。
エルヅに言って、宝蔵の村の共有財産から、魚骨ビーズの首飾りや鹿の歯の腕輪を貸し出させた。きれいな鹿皮の帯も出した。普段は村でいいことをした男や女でしかつけられない魚骨ビーズの首飾りも、歌垣の日だけは、若いものもつけていいことになっていた。化粧用の赤土も、たくさんとりにいかせた。男も女も、それはきれいに装いたいのだ。
女たちはよりあい、髪を飾る花のことや、帯の結び方などを話し合った。男の品定めなどしながら、互いにどの男に目をつけているのかも、探りあった。いい男には人気があったので、本番にぶつからないよう、いろいろと調整もしているようだ。
アシメックを好きな女は多かったが、族長はずっと歌垣には出てくれないので、少し残念だという女もいた。
男たちもよりあい、いろいろと話し合った。族長が参加しないことは、彼らには朗報となっていた。人気のある男が出ると、女たちはみんなそっちのほうにいくからだ。男たちもまた、化粧の土などいじりながら、女の品定めをした。
「キリナは今年でないんだとさ。子供が生まれたばかりだからな」
「へえ、そいつはちょっと残念だな。おれはスソリに目をつけているんだ。まだガキっぽいけど、だいぶかわいくなってきたよな」
「馬鹿、あいつはクストが目をつけてるんだぞ。ほかのやつにしろ」
彼らの好みは、まだ経験のない若い女よりも、子供を二、三人産んだことのある、年かさの、きれいな女に集中した。女は三人くらい子供を産んでからのほうが、一段と魅力的に見えるのだ。若い女では何か物足りないらしい。
歌垣では歌を歌いあって、お互いの心を訴える。その歌も練習せねばならなかった。基本の歌がいくつかあり、それを覚える。本番ではそれをいろいろと歌い変えて、互いの心をはかりあった。
泉の水にかえるがすみ
こよとなく
こいやこい
おれとこい
こんなのが基本の歌だ。男がこれを歌い、それを聞いた女が、いいと言いたい場合にはこう歌う。
森のこずえにとりがすみ
いくとなく
いこやいこ
おまえといこ
ほかにもいくつか歌があり、男も女もみな歌垣の前にそれを練習して覚え込んだ。うまく歌えないやつは相手にされないのだ。いい声を出して、それはつやっぽい目をしながら、相手に訴えねばならない。
恋の儀式というのにも手練れがいる。年かさの男が、若いものに微妙な技を教える。
「いい女はすぐに答えないんだ。じらすんじゃないんだがね、迷うのさ。すぐに乗って来ないんだ。そういう女が欲しいときは、歌を三度歌え。こっちが強くいかなきゃ、あっちからは来ないぞ」
「イディヤがそうだ。去年はあれで三人くらい断ったよな。結局だれとも寝なかった」
「下手だからそうなるんだ。イディヤみたいないい女だったら、三度鳴け、それくらい押すんだよ」
歌垣は神の下に行われる恋だ。だからみな堂々としていた。いい女と寝るために、男はいろいろなことを考えた。目論見が飛び交った。若いやつらは自分の目的の女を得るために、いろいろと探り会った。年かさで経験の濃いやつは、互いにバランスをとりつつ、自分の女を決めた。
歌垣には、女は10歳、男は11歳から参加していいことになっていた。この時代は、みなそれくらいで十分に成熟したのだ。
11歳のネオは、今年が初めての歌垣だった。大人の男に紛れて、一生懸命に歌を練習していた。まだ子供だが、もう意中の女はいた。恋をしているんじゃない。ただ、女がいいという感じなのだ。もちろん女との交渉などしたことはない。
「女って、どんな感じなの?」
ネオはある日、サリクに尋ねた。あの山での一件以来、ネオはサリクの家に入り浸っていたのだ。サリクはちょっと困った顔をしながら、答えた。
「そりゃあおまえ、いいもんさ」
「どうやってやるの?」
「そりゃな……」
一応、基本的なことは教えてやる。そうするとネオは、目を真ん丸にして、しばらくだまる。女とそんなことをするなんて、信じられなかったからだ。
「心配するな。最初のうちはそんなにがんばらなくてもいいんだ。キトナとかアナエとかにしろ。やつらは小さいやつにやさしいんだ。なんでもおしえてくれる」
「ええ? おれはイディヤがいい」
それを聞いてサリクは困ったように笑った。イディヤは一番人気のある女だからだ。
「気持ちはわかるがな、イディヤはやめろ。いつも男が四人くらい集まって争うんだよ。イディヤは困って、なかなかいい男といいことになれないんだ」
「へえ、そうなの?」
「もてるのも困りものなんだ。イディヤはかわいいしおとなしいから、かなりの男が狙ってるんだよ。寸前まで調整して、誰が呼び掛けていいか、決めてるんだぞ。小さい奴は遠慮しろ。ほかの男に弾き飛ばされる」
サリクはネオに、歌垣での作法を細かく教えてやった。絶対に邪魔してはならない男のことも教えた。
「ウソルの邪魔だけはするなよ。やつは女には執念深いんだ。邪魔すると恨んで復讐するんだよ。聞いた話だけど、今年はコダエを狙うんだとさ。だからコダエにはいくな」
「ふうん」
「女にもな、きついやつがいるから気をつけろよ。ドルナとその妹のところには、おまえはいかないほうがいい。馬鹿にして、痛いことをやられるかもしれない」
「痛いことって?」
「男が馬鹿だと見たら、後でいろんなものを要求するんだよ」
歌垣では様々な情報が飛び交う。本番を前に、十分に調整しておく必要があった。だれがだれに歌いかけるかは、存分に話し合って決めねばならなかった。
アシメックは歌垣には参加せず、楽師の代わりに丸太をたたくことにしていた。楽師も歌垣には参加したいからだ。歌垣には音楽は欠かせないものだが、楽師だからと言って、裏方にしばりつけておくわけにもいかない。だからアシメックは家で、丸太をたたく練習をしていた。ソミナはそのそばで、少しおかし気に笑いながら、茅を織っていた。
「あにやが楽師をするなんて、少しおかしい」
ソミナは言った。
「いつものことじゃないか」
「どうしてあにやは歌垣に出ないの?」
「うん? もう年だからな」
「そんなことない。あにやは若いよ。女にも人気があるのに」
「もういいんだよ、おれは。若いやつらに花をもたせてやらんとな」
アシメックは笑いながら言った。ソミナが歌垣に出ないことには触れなかった。ソミナは醜女であることを気にしているのだ。だから歌垣に出たことはない。歌垣の日は、いつも家に閉じこもって、何かをしていた。
アシメックは考えた。妹は今年でいくつになるだろう。確か母がソミナを産んだとき、アシメックはもう十分に大人になっていた。最後に生まれたソミナは、赤ん坊の時、とても黒くて小さい子供だった。産声も弱く、すぐ病気にかかり、これはもうだめだろうと、みなが思っていた。
だがアシメックはあきらめなかった。せっかく生まれた妹なんだ。大事にしてやりたいと言って、母よりもしげく抱き上げ、あやしてやった。母の乳の出もよかったこともあり、ほどなくソミナは回復し、順調に育っていった。
あのとき何とか生き抜いてくれた赤ん坊が、今こうして、自分の世話をしてくれている。自分のために米をついてくれたり、家の手入れをしてくれたり、こまごまと働いてくれるのだ。いい妹だ。これからも、何かと気をかけてやらねばならない。
男が寄って来なければ、子供は生めないが、一度は子供を育てさせてやりたいと、アシメックはソミナを見ながら考えた。子だくさんの女から、子供をもらえないだろうか。そうすれば、ソミナにも生き甲斐ができるだろう。いつまでも、おれが生きているわけではない。
アシメックはいろいろと子だくさんの女を思い浮かべてみた。そしてそのことを、本気で考えてみようと思った。
そうこうしているうちに、歌垣の日はやってきた。
その日は朝早くから、アシメックはイタカの野に出て、櫓に花を飾るのを手伝った。楽師の道具である丸太も運び込んだ。村の方ではみな、自分の装いに余念がなかった。
日が高くなると、セムドやダヴィルに導かれて、男と女がイタカの野に出てきた。みなきれいに着飾っている。女は花を髪に飾り、一連のビーズの首飾りをしていた。化粧は額に赤い印がついているだけだが、みなあでやかに美しく見えた。男は頬に赤く大きなしるしを描き、髪にフウロ鳥の羽を差していた。胸には二連の首飾りをつけている。中にはどうどうとした鹿皮の肩掛けをつけているものもいた。自分でとった鹿の皮はつけてもいいのだ。
みなそわそわしながら、互いを見つめあっていた。過ぎる時間が遅すぎるというように、足踏みする男もいた。女たちは首飾りをいじりながら、恥ずかしそうにしていた。
セムドが男たちを東側に集め、ダヴィルが女たちを西側に集めた。そしてみなの気持ちが高ぶってきたころ、セムドがアシメックに合図をした。するとアシメックは勢いよく丸太をたたき、リズムを打ち始めた。
うぉ、という男の声があがった。
あとは自然に任せればいい。みな意中の相手をまっしぐらに目指し、歌を歌いかけていた。
山の雪よりもきれいな女
おれの白い衣になってくれ
と誰かが歌っている。するとそれにこたえて、しばらく経ってから女が歌った。
山の雪が解ける前に
わたしをつれていっておくれ
OKだという意味だ。そうするともう、ほかの人間は何も邪魔しない。ふたりは手をつないでイタカを出ていき、どこへともなく去っていく。
アシメックは丸太をたたきながら、みなの様子を楽し気に見ていた。恋が次々に成立していった。イディヤをめぐって、二人の男が争っていたが、それもなんとかできそうだ。ケンカには発展しないように、セムドやダヴィルが目を光らせていた。
隅の方では、ネオがぼんやりと突っ立っていた。信じられないというような顔で、みんなの様子を見ている。サリクは、ケルマという女にしきりに歌を歌いかけていた。ケルマは気のりがしなさそうなのだ。他に気になる男がいるらしいが、そっちは来てくれないのだ。だから迷っている。サリクはその気持ちを、何とか自分の方に向けようとしているらしい。
子供でも歌垣では一人前の男なのだ。立派に自分の方から女に歌を歌いかけねばならない。そうサリクに教えられていたが、ネオはどうしていいかわからなかった。女とどんなことをすればいいのかも、はっきり言ってわからなかったのだ。
どうしよう、と思って皆を見回しているうちに、ネオはある女と目があった。小さい女だ。名前はとっさに思い浮かばなかったが、顔には見覚えがある。目があった女に、歌を歌ってみろ、とサリクが言っていたのをネオは思い出した。そうすると、何だか体の奥から熱いものがこみ上げてくるような気がして、ネオは思わず歌っていた。
おれは蛙だ
水に飛び込みたい
すると女はびっくりしたような目をした。小さいやつに歌いかけられたからだろう。そしてしばらく迷うように目を揺らしたあと、ネオを見て歌った。
わたしは水でも
小さな井戸よ
OKだという意味だ、とネオは思った。そして思わず女に近寄った。近寄って見ると、女は自分より少し背が大きかった。どんぐりのような丸い目が、ちょっとかわいい。
「おれ、ネオっていう」
「ああ、あ、あたしはモラっていうのよ」
それから、ネオは自分がよくわからなくなった。何かが自分を動かしているような気がした。いつの間にかネオは、モラと手をつないで、イタカの野を出ていた。
恋というのは難しいようで、びっくりするくらい簡単に成立してしまうこともあるのだ。サリクがようやくケルマを口説き落としたころ、ネオはモラの家で初めての恋をしていた。
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