冬の子


山行きが終われば、急速に冬がやってくる。


村の広場に積まれた榾の山が、アシメックの家からも見えるようになる頃、風が冷たくなり始めた。アシメックはエルヅに言って、宝蔵の鹿皮の蓄えを出させ、村のみんなに分けた。


共有の財産である鹿皮を、宝蔵の管理人であるエルヅからもらうと、村人はそれを家の外幕にかけたり、屋内の床に敷いたりした。


カシワナの村の冬は、厳しいものだった。雪はそれほど降らないが、水は凍る。母親たちは子供のために肩掛けと足袋を縫ってやった。春や夏の間は裸で育てる子供も、冬は腰布や肩掛けをかけるのを許された。


先祖から伝わる鹿皮は相当にたくさんあった。冬の間、村人みんなを寒さから守ってやれるほどのものはあった。宝というのはすばらしい。大事にしていけば、みんなの役に立つ。エルヅの管理もすばらしいものだった。蓄えておくだけでなく、定期的に日干しにしてくれるので、古いものも傷みが少ない。


栗も充分にとれたし、米もたくさんあるし、鹿の干し肉もたくさんある。今年の冬も無事に超えられそうだと、アシメックは広場で榾の山を見上げながら思った。


アシメックも足袋で足を覆い、肩掛けをかけた。家に戻ると、ソミナが茅布を織っていた。


茅布というのは、ケセン川の川原に生える茅草を干して割き、糸にしたものを織って作る布だ。もちろんこの時代には立派な道具などない。ソミナは床に糸を並べ、それを手で編むようにして織っていくのだ。


ソミナは織るのは上手だった。美しい指先を器用に使い、見る間にきれいに布を織っていく。織り上げた布はしばらく乾かした後、水で洗って干す。そうすると、適度に布が縮んで、しっかりした茅布ができるのだ。


アシメックはそんなソミナの仕事を見ながら、自分も囲炉裏のそばにすわり、茅を使って茣蓙を編み始めた。冬にやる仕事はだいたいそんなものだ。村人は家にこもって、茅で布を織ったり茣蓙を編んだりする。魚骨ビーズで首飾りを作ったり、木を削ってへらやさじを作ったりもする。外で働くのは漁師くらいのものだった。蛙は冬眠するのでとれなくなるが、魚は冬も眠らない。また冬の魚は、身がきれいになってうまかった。漁師は鹿皮の肩掛けをかけながらも、寒さや水の冷たさを我慢して川に舟を出しだ。


そんなある日のことだった。夕方、アシメックが村の見回りから帰って来ると、ソミナがそわそわしながら言った。


「あにや、今日は米を食う日なんだけど、できなくなったの。悪いけど、これを食べてくれる」


言いながら、ソミナは囲炉裏のそばにおいた糠だんごを指さした。


「いいが、どうしたんだ?」


「エマナが産気づいたの。ビーズに色を塗っていたら、急に腹が痛くなったのですって。手伝いにいかなくちゃならないの」


「ほう? 今頃に生まれるのは、歌垣の子じゃないな」


「そんなの珍しくないよ。エマナはお産が重い方だから、今夜は帰れないかもしれない」


「いいよ。大変だな。よくしてやれ」


そういうと、アシメックはソミナを送り出した。


カシワナ族では、死者を扱うのは男の仕事だったが、出産をとりしきるのは女の仕事だった。男はこういうとき、ほとんど何もできない。巫医のミコルだけが、出産に立ち会い、魔が出産の邪魔をしないように、お祈りをするだけだ。


ソミナは家を出ると、まず広場に向かい、そこに積んである村共有の榾を一束とってから、エマナの家に向かった。エマナの家のところまで来ると、ミコルが家の周りに色砂で陣を描いているのが見えた。まじないの陣だ。あの陣を家の周りに描くと、魔が家に入ってこれないという。


ソミナはミコルにあいさつすると、その陣をまたいで、家に入った。すると早速、誰かが声をかけてきた。


「ああ、ソミナ、囲炉裏に榾をくべておくれ。湯がなかなかわかないの」


言ったのは村の産婆役をしている、ソノエという女だった。囲炉裏に水の入った土器の壺を入れ、湯をわかそうとしている。エマナは家の隅の茣蓙の上でうずくまり、しきりにうめいていた。


「木舟をかりてきたよ」

と言いながら、ソミナの後からまた他の女が入ってきた。出産は女の大仕事だから、多くの女が協力し合う。その女は小さな舟のような形をした木の器を持って来た。中には少し水が入っている。


木舟というのは、舟作りの技術を応用して作った器だ。小さな舟の形をしている。それはカシワナ族が出産の折に使う産湯桶だった。女たちは子供が生まれると、この木舟にぬるま湯を張り、生まれたばかりの赤子を洗うのだ。


木舟を囲炉裏のそばにおくと、その女は茣蓙の上でうめいているエマナのところに行った。そしてエマナの腰をなでてやりながら、励ました。


「がんばろうねえ。今日が山だよ。痛いかい?」

するとエマナはうめき声の影から、吐くように言った。

「ちきしょう、トレクのやつ!!」


それを聞いたソノエは、どうしようもないというように笑って顔を振った。


トレクというのは、生まれてくる子の父親の名前だった。しかしみなはそれに苦い思いを抱いていた。実は、この子供を授かることになったきっかけというのは、ほぼ強姦に等しいことだったのだ。


ある晩、ビーズ塗りに疲れ果てて横になったエマナの寝入りばなを、忍び込んできたトレクという男が襲い掛かったのだ。


もちろん合意ではなかった。トレクは抵抗するエマナを抑えつけて、強引に思いをとげた。エマナはもう二人の子をもつ大人の女だったが、それでもこれは痛いほどつらいことだったので、翌朝アシメックに訴えた。


この時代、まだ結婚制度というものはなかった。大人になると、男と女はほぼ好きなようにだれとでも異性と交渉していた。こういうトラブルは少なくなかった。


アシメックが調べさせると、襲った男がトレクだということはすぐにわかった。それでアシメックはトレクにこんこんと言い聞かせ、なんとかエマナに謝らせた。そして、子供が生まれたら、トレクがその財産の四分の一をエマナに分けることで、なんとか解決をつけたのだ。


族長というのはこういう仕事もせねばならない。大事な仕事の一つだ。族長はじめ、いい男が目を光らせていない限り、まだ何もわかっていない男が、女に何をするかわからないからだ。女は大事にせねばならない。この世界の人間はみんな女が産むのだから。


エマナの子はなかなか生まれなかった。ソノエはエマナを抱きかかえるようにして、しきりに励ました。ちなみにこのころは、後の世のように女は横になって子を産まない。猿のようにしゃがんで産んでいた。だからソノエはエマナの前に陣取り、エマナの下から子が出てくるのを待っていた。苦しんでいるエマナを少しでも楽にしてやろうと、ソノエは前の方からエマナの腰に手を回し、さすりながら、いいことばかりをささやいてやった。


「きっといい子が産まれるよ。かわいくってたまらないよ。そうだ、男の子だったら、ミンドという名前にしないかい。女だったらミンダだ。あんた、ミンダの花をよく摘むじゃないか」


すると、囲炉裏で湯を見ていたソミナが口を挟んだ。


「いや、アシムがいいよ。アシメックのアシム。あんたこのたび、アシメックには世話になったじゃないか」


「それいいねえ。女だったらアシマにすればいい。かわいい子になるよ」


ほかの女も声をかけた。すると苦しんでいるエマナの目から涙が流れた。エマナはすぐに口はきけなかったが、陣痛がゆるんできたすきに、「アシムがいい」と言った。


出産は女たちの協力のたまものだ。友達のいない意地悪な女でも、このときばかりはみんなが集まって助け合う。エマナはいい女だった。魚骨ビーズに色を塗るのが仕事だった。イタカでミンダの花を摘んで、それからとった色で、ビーズを塗るのだ。色を付けたビーズを茅糸で連ねると、それはきれいな首飾りになった。エマナの仕上げた首飾りは、宝蔵で大切に保管されるのだ。


エマナは一晩中苦しんだ。手伝いの女たちも、ほぼ一睡もせずに助けた。ミコルも家の外でまじないの歌を歌い続けてくれた。家の中から女の叫び声が聞こえるたび、周りに幽霊のような気が走るのを、ミコルは感じた。魔が、邪魔しようとしている。やつらは隙あらば小さい赤子の霊魂を食べようとするのだ。ミコルは必死に神に祈った。それが巫医の仕事だったからだ。


星が巡り、時が過ぎた。一晩はあっという間に過ぎた。


みんなの祈りが通じたのか、夜明けごろに、子供は生まれた。


女が身の割れるような思いをして産んだ子供は、男の子だった。朝日とともに生まれたのだ。


産声が聞こえたとき、女たちの間に歓声が起こった。


「生まれた!!」

「よくがんばったねえ、エマナ! アシムだよ!!」


木舟の中のぬるま湯に赤子をつけて洗いながら、ソノエがぽろぽろ涙を流していた。産婆のソノエはいつも、新しい子供が生まれるたびに泣くのだ。だれの子が産まれても、うれしくてたまらないという。


「こっちにおくれ! あたしの子!!」


陣痛の間は、しきりにトレクへの恨み言を言っていたくせに、生んだとたんにエマナは母の顔になっていた。そしてきれいに洗われた我が子を胸に抱いた時、震えるように喜んだ。


「ああ、なんて立派な子なんだ。おまえはアシムだよ」


エマナは泣きながら言った。そして早速乳をふくませてやった。赤子はすぐに吸い付いた。


その様子を見て、ソミナも泣いていた。出産の手伝いをするのは、いつもこの瞬間が、うるわしいほど幸福だからだ。


ソノエは胎盤を皿にのせ、エマナの方に持って行った。エマナはそれを二口三口ほど食った。うまいものではなかったが、それを食わないと乳が出なくなると言われていたのだ。エマナが胎盤をちぎって少し食べたのを確かめると、ソノエはそれをすぐに下げて、外に出た。あとは、日に干して乾かしたものを砕いて、少しずつ食べればよかった。


エマナが子を産んだことは、その日、風のように村中に伝わった。新しい子供が生まれることは、村中の悦びだったので、みなが祝いの品を持って、エマナのところに来た。産後の肥立ちがよくなるように、みなが栗や鹿の干し肉を持って来てくれた。みな、赤子を見るたびに目を輝かせた。生まれたばかりの小さい赤子を見ることは、この上ない幸せでもあるのだ。


「この子だな、アルカラから来たばかりの子は」

「かわいいねえ。ちょっと抱かせておくれ」

「アシムというんだよ」

「いいねえいいねえ。至聖所にはおれが報告しといてやるよ。立てるようになったらおまいりにいけよ」


男も女もみな見に来た。トレクももちろん見に来た。痛いことにはなったが、男にとっても、自分の子供が生まれることは幸福であったのだ。


エマナももう、特にトレクを責めなかった。今は赤子を抱いているだけで幸せだった。


「かあちゃんの子だ、おまえは、アシム」と言いながら、エマナは子を片時もはなさず、細やかに世話をした。黒い目の大きな、かわいい子だった。やがて大きくなれば、みんなのためにいいことをする、いい男になるだろう。アシメックのように。


外には冬の冷たい風が吹いていた。だが、赤子がいるというだけで、みな春のように暖かい気がした。また、気合を入れて働かねばならない。そう思えるのは、子供というものが実にいいものだからだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る