交渉


村の役男は五人ほどいる。みな体格の大きな男で、村のために重要な仕事をしてくれる男だ。その中に、ダヴィルという男がいた。三十六になる。役男をはじめてもう五年ほどになる。若い時から人と交渉するのに才があった。人の気持ちを読むのがうまいのだ。人の言葉を聞く前に、その人の言うことがわかるとさえ言う。


稲の収穫の祭りが終わって二日ほど経った朝のことだ。そのダヴィルが早朝からアシメックを訪ねてきた。アシメックは頬の化粧を塗りなおしながら、ダヴィルと会った。


「アシメック、ヤルスベが向こう岸で丸太をたたいてる」

ダヴィルは少し焦った様子で言った。

「何、こんなに早くからか」

アシメックは驚いて言った。そして化粧を手早く終えると、アシメックはダヴィルについてケセン川の方に走っていった。


ケセン川の水の香りが漂ってくる頃、不思議な歌が聞こえて来た。丸太をたたくリズムに合わせて、向こう岸でヤルスベ族が歌っているのだ。


今やそのとき

今やそのとき

川をわたるぞ

舟はゆくぞ

テヅルカの使いはゆくぞ


ヤルスベ族の言葉は聞きづらいが、だいたいこういうことを言っているのがわかる。ヤルスベ族とカシワナ族は、肌の色は似ていたが、顔の特徴が違っていた。文化もかなり違っていたし、言葉は似ていたが違うところも多かった。とにかく、わかりにくい相手だ。


ケセン川の岸辺につくと、向こう岸にヤルスベ族の人間が十人ほども並び、丸太をたたくリズムに合わせて、声を張り上げて歌っていた。アシメックは苦い顔をした。


「今年も米が欲しいんだな」とアシメックは言った。

「米はうまいからな。ヤルスベも目がないのだ」とダヴィルは言った。

「楽師を呼んでくれ。無視するわけにはいかない。争いなんかしたくないからな。それに鉄のナイフもだいぶ傷んでいるのがある」

「セオルに言って来る。なんて歌わせようか」

「今日はまずい、明日来いと歌うんだ。明日までに準備をしよう」


アシメックが言うと、ダヴィルはさっそく楽師を呼びに行った。セオルが率いる楽師たちは楽器の丸太と弓をかかえ、ケセン川の岸辺に、ヤルスベと向き合うような形で並んだ。そして歌った。


今はまだはやい

今はまだはやい

あしたこい

あしたこい

カシワナカの使いは待っている


楽師たちの声は向こう岸のヤルスベ族に届いたようだ。わかったという意味の声が聞こえると、すぐに川岸から去っていった。その様子を見て、アシメックはほっとした。


「明日はヤルスベとの交渉だな。何を持ってくるだろう」

アシメックとダヴィルは、アシメックの家でしばらく相談をした。

「去年はナイフと木の皿だった。首飾りもあった」

「それで俺たちはどれだけ米を出した」

「エルヅによると、十八壺だ」

「かなりの量だな」

「ヤルスベも米は好きなんだ。米は一度食うと、もうあの味が忘れられないからな」


アシメックはソミナと何人かの女たちに、交渉場に使う家の掃除をしておくように頼んだ。そして村の役男たちを集め、稲蔵の米を見ながら相談した。


「今年はどれだけとられるかな」

「ナイフは欲しいが、米を全部とられてはかなわん。ヤルスベは欲深い」

「全部はとられんさ。そんなにたくさんはとられん」

「ヤルスベにはオロソ沼はないからなあ」

「とにかく、十八壺ほど、わけておいてくれ」


村がいきなりあわただしくなった。明日、異民族の使いが、米の買い付けのためにこの村にくるのだ。大人は交渉場をしつらえるのに忙しくなった。交渉に使う家に鹿皮を敷き、野花や羽を飾り、飲み物と器を用意した。ヤルスベ族には、野生の林檎の酒を薄めたものに甘菜の蜜をほんの少し混ぜた飲料がいつも出された。彼らがそれをよろこぶからだ。


子供が目を輝かせて、ひゅーひゅーと空蝉をふきながら走り回った。恐ろしく興味があるみたいだった。母親の話では、ヤルスベ族は、人間なのに、まるで人間でないような顔をしているという。そんなおもしろいものをぜひとも見てみたい。だが母親たちは子供たちを、異民族に食われてはたまらないというように、家の中に閉じ込めようとやっきになった。


「あいつらは、カシワナカとは違う、変な魔物みたいのをいつも拝んでいるんだ。テヅルカっていうんだぞ。こわいやつらなんだ。取って食われたらこまる。子供は家にいろ」


ソミナは明日アシメックが身につける、族長の冠やビーズの首飾りの手入れをした。異民族に、アシメックの立派さをこれでもかと見せつけたかったのだ。ミコルに頼んで、一番上等な赤色の化粧土ももらってきた。これをつければ、アシメックは一層男らしさが引き立つ。きっとヤルスベはびっくりするだろう。そう思うだけで、ソミナは胸がわくわくした。ソミナにとっては、わが兄ほど立派な男はいない。


忙しい最中、ミコルがアシメックの家にやってきた。彼はアシメックと相談をしたかったのだ。とにかく、ヤルスベに負けてはならない、とミコルは言った。

「奴らは毎年、どんどんたくさんの米を要求するようになってきている。それなのに交換してくれるナイフやほかの宝の量は増えない。これ以上持っていかれたら、こっちの食べる分が少なくなりすぎる」


ミコルは心配げに続けた。

「こっちがしぶると、訳のわからない言葉を次々に言って騒ぐのだ。やつらはカシワナの言葉をかなり研究している。やつらは、おれたちのいうことはだいぶわかる。だけどおれたちは、ヤルスベの言葉はわかりにくい。いろんな知らない言葉がある」


次にアシメックが言った。

「それについては、川で漁をしているやつらが、かなり詳しいから連れて来よう。やつらはよく川でヤルスベに会っているんだ。ダヴィルはヤルスベとよくつきあっているからな、だいぶわかるようになってきたそうだ」


そうやって準備は着々と進んでいった。カシワナ族も、ヤルスベ族が作っている鉄のナイフは欲しかった。カシワナ族にはオロソ沼の米があるが、ヤルスベ族の持っている鉄のナイフを作る技術はないのだ。


聞くところによると、ヤルスベ族は、山から石を取って来て、それを、土器を焼く火よりも熱い火で溶かしているという。一体、石も溶けるほどの火とはどんな火だろう。どんなに考えても、カシワナ族にはそれがわからなかった。ヤルスベ族に聞いても、ほとんど何も教えてくれないのだ。


その日は一日、明日の準備に明け暮れた。夕暮れが近くなり、人々の興奮が幾分冷めてくる頃、ようやく準備は万端に整った。ダヴィルは明日言うべきヤルスベへのあいさつの言葉をしきりに口の中で繰り返し、ミコルは家で風紋占いをした。その結果によると、明日の交渉は上々だが、少し不安要素があるということだった。


「不安か。そんなのはいつものことだ。明日は何とかしよう」とアシメックはミコルに笑いながら言った。


夜が過ぎ、夜明けが来た。フウロ鳥が鳴き、昨日、明日だと言った日が今日になって明けた。


アシメックが寝床から身を起こすと、もうソミナが着替えの準備をしつつ起きて待っていた。アシメックはその顔に微笑みかけ、まずは糠だんごを食べて腹ごしらえをした。食欲はなかったが、食べておかねば気力が続かない。


食べ終わるのを待ちかねたかのように、ソミナが小さな土器の皿を持ってアシメックの前に来た。そして勝手に、アシメックの顔に化粧をし始めた。アシメックは何も言わずにソミナのやりたいようにやらせた。ソミナはまだ若い。妹だが、親子と言ってもいいくらい年が離れている。だからアシメックはこの妹がかわいくてしょうがないのだ。


ソミナは嬉しそうに、アシメックの身づくろいをした。フウロ鳥の鳥を何本も連ねた冠をアシメックにかぶせ、鹿皮の肩掛けをかけ、魚骨ビーズのきれいな首飾りをもう二つかけた。鹿の歯を細工した腕輪もつけた。


そうすると、立派な男がもっと立派になった。ソミナはまぶしそうに眼をしばたたいた。涙さえ出そうだった。きっとこの男を見るだけで、ヤルスベは恐れるに違いない。


身なりの整ったアシメックが外に出ると、川の方から楽が聞こえた。もう始まっているか。アシメックは急いで川に向かって走った。途中ミコルとあった。彼も肩掛けをかけ、いつもより一つ多く首飾りをかけている。化粧も派手だった。アシメックは歩きながら言った。


「今日の占いはどうだ」

「上々だ。しかしまだ不安材料は消えない」

「不安材料?」

「交渉はうまくいくだろう。そのほかのことで、何かがあるかもしれない」

「そのほかか。何だろうな」

「カシワナカが守ってくれるよ。やろうぜ」

「ああ、わかっているとも」


ミコルはアシメックより十ほど若いが、できるやつだ。こういうとき、いつもアシメックの心を盛り立ててくれる。


やがて彼らはケセン川の岸辺に来た。ダヴィルに指導されて、楽師たちが歌を歌っていた。


今や来い

今や来い

カシワナカはよいと言った

みんな来い


アシメックは楽師たちの横に、族長としての威厳をたっぷりと表しながら、胸をそらして立った。向こう岸に、白い二艘の舟が見えた。あれもわからないことのひとつだ。カシワナ族にはまだ、舟を白くぬりあげる技術がない。彼らがなんで舟を白く塗っているのかも、わからない。


あれも向こうのやり方なんだろう、とアシメックは思った。自分たちの力を見せつけようとしているのだ。そして交渉を自分の方に有利にもっていきたいのだろう。


やがて、向こうから答えの音楽が聞こえてきた。


テヅルカの使い参る

そちらに参る

ゴリンゴとくはしめがいく


言葉の意味が少しわからないが、ゴリンゴというのが、今のヤルスベ族の族長の名であることは知っていた。変な名前だが、ヤルスベはあれをかっこいいと思っているらしい。アシメックは楽師たちに合図して、よしの合図をさせた。


すると、二艘の白い舟が、すべるようにこちらに向かって動き出した。アシメックは胸の前で腕を組んだ。族長として威厳を見せねばならない。不安がっているなどという風情は微塵も出してはならない。胸を張り肩をはり、目をいからせ、いつもよりは数倍も偉そうにせねばならない。これが交渉のコツだということは、前の族長に習った。


二艘の舟はだんだんこちらの岸に近づいてきた。一艘の舟には四人の人間が乗り、もう一艘の舟には漕ぎ手ひとりしか乗っていなかった。もちろん、帰る時には空の舟に米を載せて帰るつもりなのだ。


やがて舟がこちらの岸に近づいた。ダヴィルが合図すると、川の漁師たちが川に飛び込んで、舟をつかみ、岸に導いた。すると舟の先頭に座っていた男が立ち上がり、腕をあげて、ヤハ、と言った。アシメックは知っていた。その赤ら顔の男がゴリンゴであり、ヤハが、「われは」という意味の挨拶の言葉であることを。


アシメックも腕をあげ、ヤハ、と返した。すると、ゴリンゴの後ろに座っていたものも立ち上がった。そのとき、アシメックの後ろでざわめきが起こった。


「アロンダだ……」


それを聞いてアシメックも少々びっくりした。ゴリンゴの後ろで立ち上がったのは、女だった。それも実に美しい女だった。


その名はヤルスベ族にもカシワナ族にも知らない者はいない。アロンダは、彼らの知っている世界の中では最も美しい女だった。


アシメックは後ろをちらりと見た。楽師たちが呆然とアロンダを見ている。彼は少し目を曇らせた。ヤルスベは、単に自分たちの美女を見せつけたいだけではないに違いない。これがミコルの言っていた不安材料かと、アシメックは思った。


舟から下りてきたヤルスベ族の人間は、総勢で五人だった。ゴリンゴとアシメックは、しばし岸辺で向かい合って立ち、にらみ合った。アシメックはゴリンゴの鋭い眼光に答えながら、この男をしばしためつすがめつ見た。


背はアシメックより若干低い。だが胸の広いたくましい男だった。鳥の羽のついた冠をかぶり、灰色の熊の皮を腰布にしている。二の腕に木をくりぬいて青く塗った腕輪をはめていた。胸には、三角形と円を組み合わせた不思議な文様の刺青があった。


刺青というのは、カシワナ族にはない風習だ。聞くところによると、ナイフで肌を傷つけて、その傷に色を染み込ませるという。そうすれば水で洗っても落ちない化粧になるのだ。だが、ナイフで自分を傷つけるなどと、聞くだけでカシワナ族はぞっとした。ヤルスベ族はなんでそんなことをするのか、きっとおかしなやつらに違いないと、カシワナ族がことごとにヤルスベ族を揶揄するときに、刺青はいつも格好の話題となった。


しかし、ゴリンゴの胸の刺青は、かなりかっこよく見えた。楽師の中には、それをうらやましげな目で見るやつもいた。


しばしにらみ合った後、ようやくゴリンゴは用件を言った。

「米もらいにきた。もちろんただではない。宝いぱいもてきた。交換してくれないか」

「わかった。話し合おう」

アシメックは答えると、目で合図して、みなに交渉場にいくように言った。アシメックはついてくるようにと言って、一行を交渉場に案内した。


村をしばらく歩くと、交渉場に指定された家にたどりついた。女たちが数人、外で待っていた。普通の家より幾分大きく立派なその天幕には、干した魚や木の実や藁や花が豪華に飾ってある。カシワナがどれだけ豊かな村かを見せたくて、女たちが飾り付けたのだ。


入り口に下げてある鹿皮をめくると、アシメックは一向に先に入るようにと勧めた。ゴリンゴたちは素直に入っていった。アシメックも続いて中に入った。交渉場の真ん中には米がいっぱい入った壺がいくつか固めておいてあり、その周りには、人数分の鹿皮の敷物が敷いてあった。


壺を真ん中にして、入り口から右側にヤルスベ族の五人が座り、左側に、カシワナ族の五人が座った。中央に陣取るのは、もちろん族長だ。


隣に座っていたダヴィルが合図すると、女たちが飲み物の入った椀を持って来て、ヤルスベ族の五人の前にそれぞれ置いた。かすかな酒とりんごの匂いがした。それが場の雰囲気を幾分和らげた。


アシメックは、ゴリンゴの隣に座ったアロンダの方をちらりと見た。確かに美しい。女には刺青はしないらしく、アロンダは形のいい乳房を強調するように、きれいな胸の肌に細い首飾りをしていた。花の形に彫った木片を三つほど連ねたものだ。変わった細工だと、アシメックは思った。黒髪を長くのばし、結びも結いもせずに背中に垂らしている。あれもカシワナ族にはない風習だ。だいたいカシワナ族は、男も女も肩の辺りで髪を切り揃えていた。長くのばしていいのは、族長と巫医だけに決まっていた。長い髪は神の使いの証拠なのだ。それなのに、女がそれだけ長く伸ばしているのを、アシメックは不思議な目で見た。しかしそれゆえにか、アロンダは妖しいほど美しく見えた。あのように、黒光りする大きな瞳を持っている女は、少なくともカシワナ族の女にはいない。


アシメックは周りにいる村の役男たちを見た。中には、アロンダばかりをじっと見ている男もいた。アシメックは苦い顔をした。もちろんこれが、ゴリンゴの手に違いない。女にわれをとられた男に、たくさん米を出させようという魂胆なのだ。


外で、丸太をたたく音がした。ミコルの指導で、楽師たちが歌を歌い始めたのだ。


おれたちの

美しい米を見て

ほしいものがきた

カシワナカのめぐみが

欲しいものがきた

みるがいい

みるがいい

みるがいい


音調の整ったきれいなリズムだ。声のいい奴が抑えた声で歌っている。音楽は人の心を上機嫌にさせる。ゴリンゴの顔が緩んだ。いい調子だと、アシメックは思った。こちらとて、無策なわけではないのだ。


飲み物を飲み、少し上機嫌になったゴリンゴが、最初に口を開いた。


「今年の米のでくかたはどうか」


できかた、というのを、でくかた、と言った。ヤルスベのなまりだ。彼らはカシワナ族に近づけてものを言っているが、どうしても自分たちの言葉が出る。だが失笑するものはいなかった。言い方がどうしても変な感じに聞こえるが、言葉などで相手を馬鹿にすると、交渉が壊れる恐れがある。アシメックは自分も、できるだけヤルスベ族に近づけた言い方で言った。


「とてもいい具合だ。去年より多くとれた。見るといい。その壺の中に、今年の米が入っている」


すると、横にいた役男のひとりが、真ん中においてある土器の蓋をとった。するとゴリンゴやアロンダたちが引き込まれるようにそれをのぞきこんだ。米を見ると、ゴリンゴの目が大きくなった。


ゴリンゴはアシメックの方を見、触ってもよいか?という目つきをした。アシメックはうなずいてそれに答えた。すると、ゴリンゴは少し震えるような手で、まるで愛しい子供に触るように、米に触った。


もうはるかに過ぎ去ってしまい、わからなくなってしまったが、カシワナ族が米を採集し始めて百年以上はたつという。ヤルスベにそれが伝えられたのも、百年くらい前だという。米というものは、一度食べて味を覚えてしまうと、それが忘れられなかった。それほどいいものなのだ。甘い。くるしいほどうまい。ぬくい飯をたべているだけで、なんでか染み入るように幸せが増える。なんでもいいことをしたくなる。米はカシワナカの恵みだった。


しかし、ヤルスベの村には、オロソ沼はない。米は、カシワナの領域にある、あの沼でしかとれないのだ。


だからヤルスベ族は、自族の産物である鉄のナイフなどを交換条件にして、毎年カシワナ族から米を買い付けるのだ。


「実にいい米だ。いいにおいだ。炊けばうまい飯になるだろう」ゴリンゴはアシメックに向き直りながら言った。アシメックは「もちろんだ」と答えた。


「では、早速だが」

言いながら、ゴリンゴはわきにいる男に合図した。するとその男は、後ろに隠していた袋をとり、その中から、交換条件の鉄のナイフを取り出し、床に並べた。


おお、という声が、カシワナ族の方から漏れた。美しい鉄色をした、三日月のように細い真新しい鉄のナイフが、いくつも床に並べられた。それに続いて、魚骨ビーズの首飾りが十五ほども並べられた。すごい宝だ。


ヤルスベ族にとっては、米はそれほどいいものなのだ。ダヴィルが言った。

「去年よりいいですよ。技が進んでる。ナイフのとがり方が、去年と違う」


「もちろんそうだ」とゴリンゴは言った。鉄のナイフづくりはヤルスベ族の持つ宝だった。いいナイフづくりの技術者がいた。それがとてもおもしろい、ナイフの作り方を考案したのだ。それで、去年よりいいナイフがたくさん作れたので、今年はそれをたくさん持って来たと、ゴリンゴはしばし自慢げにとうとうと話した。


アシメックはしばし鉄のナイフを見ていた。実に見事だ。すばらしい。その技術者がどんなやつか知らないが、アシメックはそいつを抱きしめたくなった。こんなものを作るやつは、それはいいやつにちがいない。アシメックはゴリンゴに許しを願い、ナイフの一つに触らせてもらった。


軽い。しかも手に持ちやすい。確かに、去年のものよりいい。アシメックは言った。


「いいものだ。稲刈りが楽になるだろう」


これで互いの条件は出た。これからが交渉だ。ヤルスベはできるだけ多くの米が欲しかった。それでゴリンゴは最初、二十五壺欲しいと言った。もちろんそれは多すぎる。アシメックはそれを退け、多くとも十三しか出せないと言った。それではヤルスベのほうが損だ。しかしこれが交渉というものだ。互いに意見を言いながら、少しずつ詰めていく。


お互いに条件を投げ合い、折り合いをつけながら、二十壺か、二十一壺かというところまで来た。エルヅの計算によると、今年採れた米の量は去年より六壺多い。二十一壺とられても余裕はある。だが、あまりたくさんは渡したくないのが、カシワナ族の気持ちだった。しかし、ヤルスベ族は、どうしても二十一壺以上の米が欲しいようだ。アシメックは考えた。そしてちらりと、ゴリンゴの前に置いてある鉄のナイフを見た。


いい技術だ。ヤルスベはどうしても、ナイフを作る技術を、カシワナ族に教えてはくれない。テヅルカ神の禁だと言って、カシワナ族がそれを聞くだけでいやな顔をする。だが、いつかは自分たちの力でも、鉄のナイフを作れる力を持ちたいものだ。


二十壺か二十一壺かという線で、考え込みながら、アシメックはふと、ヤルスベ族の舟のことを思った。そして何げなく聞いてみた。


「ヤルスベの舟は白い。なぜ白いのか」


するとゴリンゴは答えた。


「ああ? それは、白いものを塗っているからだ」

「白いものとはなんだ?」

「うむ。ミタイト川の上流に、白い粘土の層が露出した崖がある。その土を取って、クルサゴの木の汁と混ぜたものを塗ると、舟が白くなる。仕上げには油を塗る」


「ほう、おもしろい」


アシメックの頭の中で、たちまちのうちに計算ができた。


「われわれも、舟を白く塗ってみたい。白い色はとてもいい色だからだ。稲舟に近寄る魔も少なくなるだろう。どうだ。その技術をわれわれに教えてくれないか。そうすれば、二十一壺にしてやってもいい」


するとゴリンゴは、隣にいるヤルスベの仲間とひそひそ話をしだした。いい傾向だ。交渉はうまくいきそうだ、と思ったとき、彼はゴリンゴの隣にいるアロンダの視線に気づいた。アロンダは美しい黒曜石のような目で、じっとアシメックを見ている。アシメックは、今まで一言も話さずにそこにいただけのアロンダを見て、ちょっとかわいそうになった。男の気を引くために、おそらく無理矢理連れて来られたのだろう。居心地が悪そうに、自分の足をしきりになでている。


「よし、わかった」

と、突然ゴリンゴが言った。


交渉はまとまった。ヤルスベは二十一壺の米をとり、カシワナは相当量のナイフと首飾りと、舟を白く塗る技術をとった。


約束が決まったとき、その場にほっと安堵した空気が流れた。これで今年もうまい米を食うことができる、とヤルスベの中の誰かが言った。


アシメックとゴリンゴは、後の細かい段取りは下の者にまかせ、手を取り合いながら、交渉場の外に出た。交渉が終わった後、族長同士が外を歩きながら雑談するのが風習だった。そこで意見を交わしあい、お互いのこれからを考えていくのだ。アロンダもついてきた。


できるだけこれからも仲良くしたい、とアシメックがいうと、ゴリンゴも、もちろんそうだと言った。アロンダは目を伏せながら、少しつまらなそうに、彼らの二、三歩先を歩いていた。


アシメックとゴリンゴが、広場にさしかかるところまで、一緒に歩いてきたときだった。突然、村の中から叫び声が起こった。


「どろぼうだ! オラブが出たぞ!」


反射的に、アシメックは一歩前に出て、アロンダの腕をつかんで引き戻し、自分の後ろに下がらせた。そして彼女を守るように仁王立ちになりながら、叫んだ。


「つかまえろ!!」


村の中で騒ぎが起こった。一軒の家の向こうで、何人かが追いかけあっている気配が見えた。


「このやろう! 米を狙ってきたな!!」

「おれんところの壺がない!!」

「逃がすな!」


何かが割れる音が聞こえた。アシメックは腰に下げてあるナイフに手をかけた。何と間が悪いことだ。よりによってヤルスベとの交渉の日に出てくるとは。ほかの日ならば、もっとうまくやってやれたものを。


天幕の一つが勢いよくたおれ、そこから弾け飛ぶように、オラブがアシメックの前に飛び出してきた。オラブは小さな壺を胸に抱えていた。アシメックは叫んだ。


「やめるんだ! オラブ!」


オラブは小さな男だった。髪もひげも伸び放題に伸びている。異様に痩せて、目がぎらぎらとしていた。ろくな暮らしをしていないのだろう。オラブはアシメックの顔を見ると、突然青ざめて、くるりときびすを返し、一目散で逃げ出した。逃げ足だけは、だれよりも速いのだ。


村人たちが追いかけた。アシメックは後ろを見た。ゴリンゴは困ったような顔をしてアシメックを見た。アシメックは謝った。


「すまない。みっともないところを見せてしまった」

するとゴリンゴは安心させるように言った。

「泥棒なんぞ、ヤルスベにもいる」

「そうか。そっちではどうしているんだ」

「なんとかしようとしているんだがね、逃げるばかりでどうにもならない」

「どことも同じなんだな」


ふとアシメックは、ゴリンゴの後ろから、アロンダが濡れたような目つきで自分を見ているのに気付いた。アシメックは一瞬、困ったなと思った。オラブに、アロンダを見られたかもしれない。


何かはよくわからないが、それがアシメックに一種の不安を感じさせた。ミコルの今朝の風紋占いが、思い浮かんだ。

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