収穫祭


夜が明けて、フウロ鳥が鳴き始めるころ、ソミナがみなに糠だんごを持って来てくれた。いい女だ。いつもこういうことをしてくれる。誰にも言われないのに、腹を空かせているだろうと思うと、みなのために働いてくれる。見張り役をしていた男たちは歓声をあげてとびついた。ソミナの作る糠だんごはうまいのだ。


それで腹を満たしたあと、村役の一人が至聖所にお参りにいかねばならないと言った。みながそれに賛成した。アシメックも、あの夢のことが気になっていたが、村の風習を邪魔するわけにはいかないので、従った。稲の収穫が一段落した次の日には、一番に至聖所に向かい、神に感謝せねばならないのだ。


ソミナが花を摘んできてくれていた。村役の一人がそれを受け取り、一掴みの米と一緒に、土器の皿に盛った。そのときを見計らったかのように、ミコルが広場にやってきた。鹿皮の肩掛けをまとい、魚骨ビーズの首飾りをつけている。顔には赤土を塗って派手な化粧をしていた。彼は、村役の男から米と花を載せた土器の皿を受け取ると、それを捧げ持ちながら、アシメックともうひとりの村役の男とともに、至聖所に向かった。


至聖所とは、村の北のはずれにある、大きな岩のことだ。昔、カシワナ族の祖先が、神のお告げを受けて作ったという石である。灰色の岩に、ナイフで二重の三角形の文様が刻み付けられていた。それは神カシワナカのしるしだ。


ちなみにこのころには、文字はなかったが、ヒエログリフの原型のようなものはあった。人々は、線刻で奇妙におもしろい絵を描き、それに暗号的な意味を付して楽しんでいた。この至聖所の岩にきざみこまれた文様は、その一種だ。遠い昔、彼らの祖先が、三角形の記号に神聖なものという意味を付し、それを二重にすることによって、最も偉い神であるカシワナカのしるしにしたのである。


似たような文様が、アシメックの頬にもある。赤土で描いた三角形の模様は、神カシワナカのしるしだった。


村を横切ってひとしきりあるくと、至聖所についた。青みがかった大きな岩がそこにあり、堂々とカシワナカのしるしが彫り込まれていた。ミコルはそれを見ると、蛙がとつぜんつぶれたかのように頭を下げ、まじないの言葉をつぶやきながら、土器の皿を至聖の岩の前においた。それは神カシワナカへの捧げものであり、今年も米をもらったことへの感謝のしるしだった。


クルトマニマニ

クルトトラマニ

コラマサリリ

アルカラメリ

カシワナカ


偉い偉い神よ

何でも下さる神よ

今年もたくさん米がとれた

アルカラの豊穣に感謝を

カシワナカの神よ


歌いながら、ミコルは涙を流していた。こうして深い祈りをしているとき、ミコルは神の声を聞くことができるという。そんなときは、魂が震えて、涙が出るという。


アシメックはミコルが泣いていることを感じて、自分も深く頭を下げた。神の声とはどんな声だろう、と思いながらアシメックは昨夜見た夢のことを思い出した。そうだ、あのことをミコルに相談しなければならない、のだが。


ふとアシメックは、まだそれはやらないほうがいいような気がした。あれはまだ、自分の中で秘密にしておいたほうがいい。誰にも言わないほうがいい。


祈りの儀式はすぐに終わった。ミコルは涙で化粧が少し崩れた顔をあげ、言った。


「カシワナカは受け取ってくれた。ことしも皆で喜べと言ってくれた」


感動が、そこにいた人間の中に走った。誰もミコルのことばを疑わなかった。アシメックも感動していた。カシワナカはずっと見ていてくれるのだ。こうして、ミコルを通して、美しいことをみなに言ってくれるのだ。


みなで神に感謝のことばを捧げ、広場に戻ってくると、もう村人が祭の準備を九分通り終えていた。


広場の真ん中にはうずたかく榾が積まれ、それに火がつけられようとしていた。アシメックが現れると、さっそくソミナが近づいてきて、アシメックに衣装を着せた。三連のビーズの首飾りの上にもう二連首飾りを重ね、フウロ鳥の羽をあしらった豪華な冠をかぶせた。それは祭用のもので、普段のものの三倍の羽がつけてあり、さきに空蝉の鈴もつけてある。縁飾りをつけた鹿皮の肩掛けもつけた。


アシメックが晴れの装いをすると、ソミナは目を細めてまぶしそうにそれを見た。ほれぼれするような男ぶりだ。ソミナには、この麗しい兄がうれしいのだ。どんどん立派になっていく。ソミナはアシメックにとっては年の一番離れた妹だった。母が産んだ最後の子供だった。醜女だということを気にして、いつも家に閉じこもっていがちなこの妹が、アシメックは一番かわいかった。他の兄弟はもう離れて別の家を作っているのに、ソミナだけはいつまでも自分のそばを離れず、ずっと母親のように世話をしてくれる。


突然、楽師たちが木をたたき始めた。それを合図にするかのように、各所で用事をしていた村人たちが、火を囲んで所定の位置に座った。アシメックも呼び出されるかのように、火の前に躍り出た。村人たちに歓声が起こった。アシメックが、カシワナカの踊りを踊ってくれるのだ。楽師がどんどんと木をたたき、カシワナカの歌を歌い始めた。


賢き者

遠き道をゆけ

難き道をゆけ

正しきものついには勝たむ


花を踏むな

石を踏め

蛇を切るな

魔蠍を切れ

正しきものついには勝たむ


ナイフは稲のために

弓は鹿のために

人を愚弄してはならぬ

敵は阿呆である

正しきものついには勝たむ


アシメックは長い両腕を鷲のように広げた。そして歌に合わせて舞い始めた。軽快なリズムに合わせて特有のステップを踏み、焚火を囲む村人たちの前で、優雅に踊った。村人たちの目がキラキラと輝いた。立派な男がすばらしいことをしてくれる。それだけで、村人たちの目が嬉しそうに光る。アシメックはそれがうれしかった。


所作はみんな覚えていた。若いころ、族長を引き継ぐときに前の族長に教えてもらったのだ。収穫の祝いの時、族長は皆の前でカシワナカの踊りを踊らなければならない。勇猛で美しい立派な神、カシワナカの中に全身入り込み、すばらしい踊りを踊らなければならない。


村人たちも楽に合わせて手を打った。アシメックの一挙一動に目が離せない。それほど彼は美しいのだ。立派な男とは、なんといいものだろう。涙を流すものさえいた。アシメックはいい男だ。あの体と知恵で、村のために何でもしてくれる。あれがいる限り、カシワナ族はいいことがありつづけるにちがいない。皆はそう思った。そして神の歌を歌った。


正しいもの

カシワナの人よ

はげめ つとめよ

まじめにはたらけ

米をやろう

米はうれしい


村人は今ひとつの感動の中にいた。たくさんの米が今年もとれたことが、うれしくてならなかった。また今年も、うまい米がたくさん食えるのだ。なんと幸せなのだろう。アシメックも踊りながら、いつか涙を流していた。ふと空を見ると、鷲が一羽空を飛んでいた。するとそのとき、アシメックはまるで、フクロウにつかまれた鼠のように、神に魂をつかまれたような気がした。とたんに、自分の体が二倍くらい大きくなったような気がした。


ああ、神がやってきたのだ。カシワナカが今、俺の中に入ってきたのだ。


アシメックはそう思った。そして感動のままに、新しい歌を歌った。


五色の実のなる

神の山で

林檎をとれ

グミをとれ

くりをとれ

ああうれしい

神はうれしい

人はうれしい


その歌があまりによかったので、村人はたちまちのうちに覚えて真似して歌った。みなの大合唱になった。そして感動のうちに、アシメックの踊りは静かに終わった。彼は神が空に去っていく所作をし、小さく体を縮めながら下がっていった。


ざわざわと騒ぐ村人たちの間を、若いものたちが走り回り、鹿の肩甲骨で作った小さな杯を配り始めた。そして別のものが、薄い林檎の酒をそれに注いでいった。子供には、煮た栗や干しグミが与えられた。飲めや歌えのどんちゃん騒ぎが始まった。これからが、祝いの始まりなのだ。


「今年の作柄はいいな。エルヅによると去年よりずっといいそうだ」

疲れて帰って来たアシメックに、ミコルが言った。

「そうか、いいな。まだいろいろなことがあるが、今日は忘れて飲もう」

アシメックにも杯が差し出された。彼も酒を飲んだ。うまい酒だ。野生の林檎を発酵させてつくる濃い濁り酒を水でうすめたものだったが、それでも十分に酔える。アシメックも干し魚を食いながら何杯も飲んだ。


族長の席についていると、若者が次々に酒をつぎにきた。彼らにとっては、アシメックと話ができるのは、こんな時以外になかったからだ。若者というのは、だいたい二十代までのものをいう。三十代に入ると、村では年寄り扱いされた。サリクはまだ、ぎりぎりで若者の仲間に入っていた。


注ぎ口のついた壺を持ち、サリクはどきどきしながら、アシメックに近寄って行った。晴れの装いをしたアシメックは、まぶしいくらいにいい男に見えた。アシメックが杯を空にしたのを見計らって、サリクは急いで酒を注ぎに行った。


「アシメック、酒を入れるよ」


自分の声が震えているのを感じた。すごくうれしい。すごくうれしい。すごくうれしい。アシメックに声をかけられるだけで、胸が破裂してしまいそうなほどサリクはうれしかった。


「おお、サリクか。今何してるんだ」


名前を憶えていてくれたことに、ぼんやりと痛みに似たものを感じつつ、サリクは上ずった声で答えた。


「矢じりを作ってるんだ。狩りにはいくらでもいるから。石を、い、石を……」

「ああ、石を割って作るんだな」

「うん。それと、毒も……」

「ああ、矢につける毒か。あれも作っておかないとな。だが気をつけろよ。子供がなめないようにしっかりしまえ」

「わかってる、わかってる」


帰ったら、蛙をとりにいこう、と思いながら、サリクはアシメックの前から下がった。自分のことを覚えていてくれたのがうれしかったのだ。上ずった声をあげながら、自分が泣いていたことに気付いたのは、席に戻ってしばらくしてからだ。馬鹿みたいだ、という目でじっと自分を見ている若者の目に気付いたからだ。


視線の持ち主は、トカムという若者だった。干し魚を噛みながら、アシメックとサリクを交互に見つつ、つまらなそうな顔をしている。


サリクは知っていた。トカムは二十代に入ってもまだ、自分の仕事が決まっていないのだ。村には、村の男の仕事を決める役男がいるのだが、その役男が勧める仕事を、まだ満足にやれたことがないのだ。だからトカムはいつも、ばつの悪そうな顔をしている。


きっと自分が、狩人の仕事を立派にやっていて、アシメックに酒をつぎにいけるのが妬ましいのだろう、とサリクは思った。そしてそんなやつのことは別に考えなくていい。とにかく明日は蛙をとりにいこう、とサリクは思った。オロソ沼でとれる蛙には、時々赤くて毒々しい色をした蛙がいる。あの蛙の肝からは、鹿が一発で死ぬ毒がとれるのだ。



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