とむらい
秋も近い晩夏のある日、沼寄りの家に住んでいたハルトという男が死んだ。三十六という年だった。
死因はよくわからない。同じ家に住んでいた妹の話によれば、朝目覚めたら隣の寝床で冷たくなっていたそうだ。
部族のみんなにミコルと呼ばれている巫医によれば、鬼に魂を呼ばれたか、アルカラを思い出して帰ってしまったのだろうという。アルカラとは、カシワナ族に伝わる常世の国のことだ。そこは神カシワナカのしらす天国で、人間の魂はそこから来て、このカシワナ族の子供に生まれてくるという。生まれたときには忘れているが、生きている間にその国のことを思い出すと、人間は無性にそこに帰りたくなり、魂が体を離れて死んでしまうことがあるという。
とにかく死んだ人間を放っておくことはできない。村の役男がきて、とむらいの準備が始まった。忌み事では女は働いてはならないというのが、村のしきたりだった。子供を産む女が死んだ人間に触れては、生まれてくる子供がすぐに死んでしまうという言い伝えがあったからだ。だから役男は死人を見ると女を下がらせた。そして集まった男たちに向かって言った。
「村はずれの墓地に穴を掘らねばならない。ハルトの友達はいるか。いたら掘ってくれ」
役男がいうと、さっそく誰かが手をあげた。
「おれがやろう。ハルトとはずっと友達だった。死んだら俺に土をかけてくれと、約束したんだ」
それはサリクという男だった。目の大きい幼げな顔をしているが、そろそろ年は三十にとどこうとしていた。
それから二、三人の男が手をあげて、段取りが決まった。死体は茅布で包まれ、家族が摘んできた花や果物が供えられた。
お祈りの歌を詠いながら、墓掘りを願い出た男たちは、鉄鍬をもって墓地に向かった。遠い昔から、先祖たちがここを墓地として決めてきた土地だ。山が遠くに見え、何本かの高い木の梢が半分空を覆っている。湿っている土に、黄色いチロブの花がそこらじゅうに生えていた。
「ここがいいだろう」
一行を先導していた役男が言った。そこで墓掘り人たちは鍬を下ろし、穴を掘り始めた。土は硬かったが、男が三人協力してやれば、案外早くそれなりの穴ができてきた。ハルトの体を入れるのにちょうどいい大きさだ。サリクは穴を掘りながら、胸に何かせまるものがあって、何度か涙を落した。ハルトと一緒に遊んだ思い出が、ぽろぽろと浮かんできた。
もう会うことはないんだな。そう思うとまた涙があふれてきた。ついこの前まで一緒にいて、女をからかいながら酒を飲んでいたのに。
充分に穴が深くなってきたころ、とむらいの準備も整った。弟といとこが供え物の花と、お祈りの紐を準備した。その紐は干した茅草をよったもので、先に蝉の抜け殻に種をこめた鈴を結んであった。とむらいの歌を歌いながらそれを振り回すと、死者の魂が健やかにアルカラにたどりつけるのだという。
茅布で包んだハルトの遺体が、墓穴の横に寝かされた。その時になったら、女たちも参加してよいことになっていた。女たちが来ると、ハルトの遺体を見て一斉に泣いた。妹らしい女が、しきりに「あにや、あにや」と呼びながらしゃくりあげていた。それを見たサリクもまた涙があふれてきた。
感情は胸を破ってあふれ出てきた。サリクにはわけがわからなくなった。なんで死んだのか。なんで逝ってしまったのか。もう少しここにいてくれよ。かえってきてくれよ。そんな言葉が次々を自分の中からあふれてくるのを、サリクは自分でも少し驚きながら聞いていた。
みんなの愁嘆が高まってきたころ、突然巫医がやってきた。そして言った。
「族長が来るぞ。アシメックが来るぞ」
それを聞いてみんなはびっくりして鎮まった。妹だけがまだ泣いていたが、しばらくすると泣き止んだ。
「ハルトの母が、アシメックの友達だったのだ。だから来るそうだ。みんな、お祈りの歌を歌うのはもう少し待て」
サリクは知らず立ち上がり、族長が姿を現すだろう墓地の入り口の方を見つめていた。サリクは族長を見るのが好きだった。あの厚い体躯をした男を見るだけで、何かにつかれたかのように目が追いかけてしまう。
みなが静まりつつ待っている間に、フウロ鳥が三度鳴いた。そしてみなの期待通り、来ると予想していた入り口に、族長アシメックが現れた。皆の間にため息がもれた。
アシメックは大きな男だった。背丈はほかの部族の男より頭一つ抜きんでている。胸は厚く、族長のしるしである羽の冠をかぶったあかがね色の顔は、威厳に満ちていた。頬骨は高く、鼻は鷲のように突き出ていた。アーモンド形の目は小さいが深く澄み、不思議な慈愛が住んでいた。
みんな、アシメックがどんなことを部族のためにやって来てくれたか、知っていた。みんなをよくするために、どれだけ働いてきてくれたかを知っていた。部族の人間で、アシメックを嫌いなやつはいなかった。だれもがアシメックに従った。
サリクはアシメックの姿を見て、目に涙がにじむほどだった。まぶしいと思った。男なのに、恋してしまいそうなほど、美しく見える。アシメックがいると、サリクは彼ばかり見ていた。
「ハルトはよい男だった。逝ってしまって悲しい」
アシメックは深い声で言った。そしてみなに近づいてきた。茅布で包まれた遺体を見ると、彼はそばに足をつき、愛おし気に、その顔があるあたりに触れた。
「おまえは生きている頃、母親を手伝って、稲舟で働いた。ナイフの扱いが上手だった。みなによく教えていた。おまえはよい男だった」
アシメックはささやくように言った。そして振り向くと、巫医に目で合図をした。
とむらいが始まった。巫医のミコルが、神カシワナカにささげる歌を歌った。
タリセメトカリカリ
アテメトタタニニ
アテウチリトワセ
ナスム
賢き者
遠き道をゆけ
難き道をゆけ
正しきものついには勝たむ
カシウメト
オラクメト
テラエリ
アルカラミ
世にありし
よきものよ
健やかに
アルカラにゆけ
皆が歌を和し、遺体に花を投げた。その頃にはもう、だいぶあきらめもついていた。死んだものは仕方ない。寂しいが、もうハルトはアルカラに帰ったのだ。そう思ったら、もうハルトのことは忘れて、サリクは弔いが終わったら、アシメックについていこうと考えた。族長の家まで追いかけて行って、何かを手伝って来よう。アシメックは若いものを大事にしてくれるから、何かを言いつけてくれるだろう。
弔いの歌が終わると、ハルトの遺体は穴の底に下ろされた。それから、みんなで遺体に土をかけた。遺体がすっかり土に覆われるまで、そう長くはかからなかった。墓碑として、瓜の実くらいの小さな石が置かれた。しばらくはそれをよすがに、ハルトを忍ぶことになるだろう。
弔いの一切が終わるのを見計らって、アシメックがみなに挨拶をし、来た道を帰っていった。サリクはすぐに追いかけた。アシメックはしばらくして、ついてくるサリクに気付いて、少し困った顔をしたが、何も言わずにすぐに前を向いて歩いて行った。
アシメックは道を速足で歩き、村の中央にある自分の家に帰っていった。家というが、それは簡単な木組みに鹿の皮を張って作った粗末な天幕だった。だが族長の家ゆえにそれなりに立派なしつらえがしてあった。イゴの木の枝を飾った入り口の帳をくぐると、中で妹が火を焚き、土器で何かを煮ていた。夕食の準備をしているのだ。アシメックは妹に帰って来たことを伝えると、そのまま家のすみにおいてある小さな杭のところに行き、腰のナイフを抜いてそれに傷をつけた。今日はもう終わったという意味だったが、それはこの当時にあった簡単な暦だった。一本の木の杭に三十個の傷がつくと、新しい杭に傷をつけ始める。その杭が十二本たまると、新しい年が始まる。先祖から伝わる時の数え方だった。
アシメックは手の中のナイフを見た。それは鉄製の立派なものだった。家の中の薄闇の中でもきれいに光っている。アシメックはその刃を指でなぞりながら思った。そろそろ稲舟を出さねばならない。オロソ沼の米も実り始めているだろう。アシメックは、村の宝蔵にしまってある村の宝のことを思った。そこには一つ、彼が常に思いをかけている問題があった。
その時、後ろで妹が悲鳴を上げたので、アシメックの思考は中断された。振り向くと、妹が入り口のところで尻もちをついていた。何かに驚いたらしい。アシメックは声をかけた。
「どうした、何があった」
「あにや、だれかいるの」
アシメックが入り口のところに来て、妹が指さすところを見ると、そこにサリクがいた。入り口から二、三歩ほど離れたところの地面に膝を抱いて座り、何かが欲しそうな目つきでアシメックを見つめている。
アシメックはほほ笑んだ。ずっとついてきていたのか。何かを言ってやらねばなるまい。そこでアシメックはサリクに言った。
「そろそろ稲舟を出さねばならない。おまえはイタカの野に行って、コクリの花を見て来い。花が咲いていたら、稲舟を出そう」
それを聞くと、サリクの顔はぱっと明るくなった。返事もせずに飛び上がるように立ち上がり、そのままかけていった。花を見に行ったのだろう。
アシメックはほほ笑んだ。かわいい奴だ。なんとかしてやらねばなるまい。
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