人鳥温泉街のひな祭り
高橋志歩
人鳥温泉街のひな祭り
今日は3月3日。ひな祭りの日の朝。
温泉街のほぼ中央部にある人気ケーキ屋「スチームライジング」の店長は、店頭に飾った小さなひな人形の横に小さなピンク色の花を飾って、愛らしい眺めに満足した。
クリスマスやバレンタインは温泉街中でイベントで盛り上がるが、ひな祭りは地味である。
それでも春だし、それなりの温泉客の訪問もあるので、期間中は商売をやっている店舗で各々ひな人形を飾る事になっている。
一番大きな温泉旅館「
「スチームライジング」はケーキ屋なので、パステルカラーの丸々とした
店の前は中央通りで結構賑やかだ。でも、いつも朝になると店長の顔を見に来るマスコットペンギンの大福がいないのでちょっと寂しかった。
ペンギンの大福は、一昨日から隣の市の大きな動物園に定期健康診断に行っていて、明日戻って来る予定だ。
その時、頭の上をゆっくり、ふうわり、と漂っていくものがあった。
店長が顔を上げると、青空を背にして巨大な半透明のクラゲが浮かんでいる。ゼリーのような胴体から何本もひらりひらりと伸びている足の内部には、ピンク色や緑色の丸い発光体がぼんやりと光っている。ああ、今年もクラゲがやって来たんだなあと店長は嬉しくなった。夜空で見るととても綺麗なのだけど、昼間に見るのも悪くないな、と店長は思った。
さて、そろそろ店に戻ろうと思った時、中央通りの真ん中で空中の巨大クラゲを見上げている姿に気がついた。
「全宇宙征服連盟」地球日本担当のエーテル所長だ。
店長は元気よく「おはようございます!」と挨拶をした。所長はこの人鳥温泉街の重要人物だし、本人も甘い物好きで良く店のケーキを買ってくれる。「地球を征服するためには、地球人の味覚を知っておかねば」と厳めしい顔で言い訳をしているけど、はっきり言ってバレている。
今日も高級そうなスーツ姿のエーテル所長は店長の顔を見て、「ああ、おはよう」と返事をしながらちらりと店長の顔を見て、また視線を巨大クラゲに戻した。そういえば所長はこの人鳥温泉街に赴任してきてまだ日が浅いから、巨大クラゲを見るのは初めてかもしれない。
「このクラゲを見ると、ああ春が来たなあと思うんですよねえ」
店長の言葉に、エーテル所長は不思議そうな顔になった。
「このクラゲは、毎年出没するのか?」
「ええ、そうですよ。どうも春の陽気が好きらしくて、今頃になると温泉街の上をふわふわ飛び出すんです。他の季節はどこにいるのかなあ、と不思議ですけどね」
「ほほお。興味深いな」
「出来たら、夜のクラゲも見てください。青白く光ってとても綺麗ですから」
「そうしてみよう。ところでどれぐらいの期間、宙を漂っているのだろうか?」
「10日間ぐらいですね。いつの間にか姿が見えなくなるんです」
「短いな。ずっと飛んでくれていたら、この温泉の名物になるのにな」
2人の会話など知らぬげに、巨大クラゲはひたすらゆっくりと漂い、ゆっくり遠ざかっていった。でもまたしばらくしたら、店の上に戻ってくるだろう。
エーテル所長はそのまま「スチームライジング」の店にやって来た。
ひな人形をじっくり眺め、店長のひな祭りの解説を聞いて、他の店のひな人形も見てみようと呟いてから、特製ひな祭りケーキを5個も買って去って行った。
今日はひな祭りだから、3人いる秘書の皆にプレゼントするのだろう。可愛いケーキはきっと喜ばれるに違いない。
店長はもうすぐ桜が満開になったらどんなケーキを作ろうかな、と考えながらペンギンの大福のためにマカロンを幾つか小袋に入れた。
明日は一緒に春の空に漂う巨大クラゲを眺められるだろう。
人鳥温泉街のひな祭り 高橋志歩 @sasacat11
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます